5 護衛班
婦長室は私の個人部屋より一回り大きい程度だった。しかし内装は彼女の性格を表わすかのごとく無駄なものが一切ないため、体感では倍の広さがあるように感じる。
部屋の中央に鎮座する事務机。その前に立った私は昔の、前職の話とか学校でやんちゃをしていた頃の話をし終えた。
婦長様は背後の窓からのぞく月夜を背負って言った。
「ならば、ブラッドレイ家についてもご存知のはずですね」
ブラッドレイ家。
昔話をしてたら、だんだん思い出してきた。
――街には犯罪がある。
それは別に珍しいことじゃない。どこの街だって、日に十件程度なら軽犯罪やケンカを含めて起こっているものである。
しかし、時にはそんな猥雑な空気に紛れて巨大な犯罪が動いていることもある。
たとえば、国家に仇を成すプロパガンダ集団や活動家。
たとえば、市民から過剰な搾取を狙う裏組織。
戦争の下準備をしにきた国外スパイ、なんてのもないわけじゃない。
軽犯罪は表の警邏組織に任せればいい。しかし大きな組織が動いている場合、表沙汰になれば市民の不安が膨らみ、更なる犯罪を誘発しかねない。
悪が悪を呼び、人々の安全な暮らしが脅かされてていく。
国はそういった負の連鎖を止めるため、重犯罪を秘密裏に処理する組織を結成した。
婦長様は言葉を続ける。
「庶民の間では政府の汚点、公式の犯罪組織などと称されておりますが。政府からの命を受け、表沙汰にできない犯罪や取引を人目につかぬよう処分する裏方の
そう。そうだった……。
かつて『そっち側』にどっぷり足を踏み入れていた私も当然知っている。
裏組織の中でも一二を争う巨大組織であり、どこへ行っても、何をしても、その息のかかったものにぶち当たる。犯罪を一切逃さない国の底引き網。地底深く、広大に静かに広がって獲物を狙う。彼らの監視網を潜り抜けることなんて、絶対に不可能。
国家の番犬「ブラッドレイ」。
―――……。
そんな巨大組織の親玉の名前、なんで忘れてたかなぁ……。
あの多忙の日々で記憶を洗い流しちゃったらしい。
婦長様が事務椅子に座って手を組んだ。
「なぜ、貴女がブラッドレイ家の馬車の前に飛び出してきたのか……いま、事情を聴いておおよそ理解しました。とりあえず信用いたしましょう」
昔の職場は合法と非合法の間を取り持つような仕事だった。ブラッドレイと衝突を起こしたこともある。
だから信用してくれるだけでもありがたい。素直に頭を下げる。
「ありがとうございます」
「しかし、相応の仕事はしてもらいます」
あ、やっぱりそうなりますよね。
当然だがブラッドレイ家にとっての敵は星の数ほどいる。さっき交戦したプロ級の暗殺者なんかはゴロゴロやって来てるんだろう。
借金もちでこれだけ優遇してもらっているのに何もしないのは、さすがにちょっと引け目を感じてしまう。
「使用人は二種に分かれます。護衛班と一般班。日頃は同じ仕事をしておりますが、先の有事の際には護衛班が主導で動きます。一般班は護衛班がある事を、基本的には知りません」
婦長様の説明を要約すると。
ブラッドレイ家の使用人は一般で募集する一般班と、専門学校や派遣会社と提携して玄人を紹介してもらう護衛班があるらしい。一般班に入るメイドには護衛班の説明はしないものの、長く働いているとなんとなく気がつくこともあるそうで。長く務める者はだいたい誰が護衛班で何かあった時には誰を頼ればいいかを把握しているんだそう。
さっき婦長様方を呼び行ったメイドも長く勤めてる人で、物音がした瞬間にとっとと逃げて近くの護衛班を呼んだんだって。
「今この時から、貴女には護衛班に所属してもらいます」
この職が嫌になって足抜けしたわけでもなかったから、戻ることにやぶさかでない。
婦長様は続ける。
「安心なさい。基本的な勤務スケジュールは変わりません。しかし、夜間に叩き起こすことは出てくるでしょうし、身の危険もあります。その分の追加手当は出ますよ」
追加手当?
「現在の給与の倍額が、護衛班の基本給になります。護衛班は実力主義ですからね、かつての貴女の仕事における実績を鑑みれば……そう、初任給でこれくらいになりますか」
さっと、事務机のメモ帳に書いて提示された金額に、私は思わず小さい悲鳴を上げてしまった。
「こっ……こんなに貰えません!!」
「前はこれくらいの給与ではなかったのですか?」
「そそそんな、こんな貰ってないですよ!」
たしかに、昔の職場は他と比べてちょっと安月給なところがあったけど。
それでも十分生活できるだけ貰ってた。
提示された金額は……そんな前職場よりゼロが2つ多かった。
借金返済が3ヶ月でできて、さらに毎月充分なお小遣いまでもらえる計算。
「これがブラッドレイ家の相場です」
さっすが巨大組織……桁が違う……。
「腕のいい者を雇うのに出し惜しみはしません。その代わりの働きをお願いするだけです」
等価交換ってわけですか。
どうせ一度は所属してた組織からも足を洗って、普通の主婦に身をやつしたのだ。
いまさら義理だ守秘義務だと守るものもない。
この際だし、元の世界の巨大組織に身を置くのもいいだろう。
私は神妙に首を垂れた。
「謹んで、お受けいたします」
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