4 ブラッドレイ家のメイド
仕事は数日で慣れた。
むしろ嫁入りしていた頃よりやることが少ないぐらい。
個人的には辞儀の練習だったり、マナーや作法の練習の方がつらい。
今日も仕事が早めに終わったので、婦長様直々に「優雅なお辞儀の仕方」を叩き込まれた。
練習だけで、何十回。いや、百はいってるのかも……。
「こ、腰痛ーい……」
その練習も含めて5時で終わったので、私は自室のベッドにダイブする。
休息の時間は十分すぎるほどある。このあとの湯あみでしっかりほぐしておこう。
しかし!
その前に夕食である!
私はしっかり意識を覚醒させて、痛みを忘れて立ち上がる。
メイドの食事は旦那様の料理を作っているシェフの、その下の見習いが作るまかない食だ。
肉のさばき方を練習したり、新しい料理を考案するためとかで、毎日レパートリーが変わる。
だから肉は基本的に上物の使わなかった切れ端が卸されることも多くて、柔らかくジューシーなものばかり。
野菜も産地直送。パンの小麦も素材の甘さが際立っている。
つまり何が言いたいかといえば。
とにかく美味しいのだ、ここのまかないは。
義実家ではみんなの残飯や赤子の食べ残し、離乳食の残りなんかばっかりだったから、初めて食べた時は滝のように号泣してしまった。(婦長様や周囲のメイドさんが引き気味だった)
自分で作らなくてもいいってだけで幸せなのに、こんな贅沢でいいんだろうか?
ウキウキ気分でメイド専用の通路を歩く。
通用路は屋敷に網の目のように巡らされていて、ドアにはそれぞれ番号とマークがついている。
その番号とマークを基準にして、どこが屋敷のどの部屋の出口なのかがわかるのだ。
これを覚えるのも一苦労だが、昔の勘が少しづつ戻っているのか昨日の一日だけでだいぶ覚えることができた。
その通用路を通って、台所近くに備えられた下働き用食堂へ。
食堂と言ってもそんなに大きくない。
大テーブルがふたつあり、それぞれに十人程度ぶんぐらいの椅子が添えられているだけ。
それでも充分。食事をとる時間はみんなまちまちで、気が向いたら台所に取りに行くシステムだから、十人以上がここに集まることはめったにない。
今日もそんな感じで、ぶっちゃけ私以外一人もいない。
静かな食堂を横切って台所へ行き、今日のまかないを盆に載せて戻る。
今日は赤い切り口が美しいローストビーフと甘い香りの野菜スープ、そして白パン。
白パンの甘く香ばしい匂いを胸いっぱいに吸い込み、両手を合わせる。
「いただきまーす♡」
そして。
気がついてしまう。
食堂に居るのが、私ひとりではないことに。
幽霊……なんかではない。きれい消された気配は、裏家業と呼ばれる暗殺や偵察の訓練を受けた生きた人間のそれだ。
私が昔『そちらの仕事』に携わっていなければ、きっと気がつかないレベル。
でも、なんで? そんな人がなんでこの屋敷に?
冷汗を悟られないよう何も気がついていません風を装いながらスープをかき込みつつ、気配の主の目的を考察する。
メイドを狙った暴漢……にしちゃ気配の消し方がきれいすぎるから、衝動犯の線は消える。
となれば、この屋敷の主に用があるってこと。そういえば、旦那様の仕事について深く聞いた事がなかったな。
スープを飲みほしたぐらいで、その気配が動いた。
気がついてないと思いこんでいるのだろう、そいつは私の背後に回り込んできた。
そしてゆっくりと近づいてくる。私を人質にとるつもりか……。
意識していなければ気がつかないようなその微かな足音や息遣いから、中背の男だと判断する。
そして襲われる、3,2,1――
相手の初動と同時に、私は椅子を蹴倒して床に転がる!
「――?!」
まったく予期してなかったのだろうそいつは、掴みかかった手が空を切って一瞬棒立ちになった。
その隙を逃す私じゃないっ!
さらに転がって男の後ろに回り込むと、起き上がって喉元に腕を回す。
両手を首の後ろで組んでホールドすれば相手は動けなくなる。
……4年のブランクがあってもここまで動けるんだから、昔取った杵柄ってすごい。
しかし、ここからどうしよう?
頸動脈を絞めて落とすか、刃物を持ってるふりして事情を聴きだすか。
なにも考えずに身体だけ動いちゃっただけで、実はまったくのノープラン。
と、我に返ったプロが身体をおもいっきり前に倒した。それにつられて私の両足が浮き上がる。
間一髪、背負い投げ出される前に腕を離して距離を取ると、相手も飛びずさり得体のしれない化け物を見る目で睨んでくる。
ダメだな、こんな簡単な判断も秒でできなくなってる。
たかが4年、されど4年のブランクといったところか……。
私も相手から目を離さなないまま、しばらく無言が続く。
こっちもあっちも下手に動けば隙ができる。
隙を見せれば、必ず負ける。
……と、言いつつ、実はこっちはいつでも動けたんだけど。
睨み合いは時間稼ぎ。
しばらくすると廊下から大勢の足音が聞こえてくる。
実は襲われる直前、食堂の扉の奥に他のメイドの気配があったのを察知してたんだよね。
刺客の方はテンパってて気がつかなかったみたいだけど、その気配は私が椅子を蹴倒したときにあがった大きな物音が聞こえると、すぐにどこかへ駆け出していった。
たぶん彼女?が呼んでくれたのだろう増援が、食堂に飛び込んでくる。
―――……って、おおお?!
「神妙になさい!!」
細く曲線を描く、東の地方特有の剣を持った婦長様。
その後ろに二丁銃をもったメイドと、長斧をもったメイド。
その後ろにも数名、殺気立った使用人たちが控えているような気配がした。
なになに何ナニ、その重装備??!
え、皆さん普通のメイドさんや使用人さんたちじゃないの?!
刺客が動く。
あからさまに悪くなった情勢に逃げるつもりだ。
窓に飛びつこうとしたその足元に、私はつい、倒れた椅子を蹴り飛ばした。
椅子の足が刺客の足と絶妙に絡み合い、そのまま転倒。
飛びかかろうとしていた婦長様方にあっさりお縄となる。
「……ベルナさん」
めちゃくちゃ手馴れた手際で刺客が拘束されていく中、婦長様が目の前に来る。
「何か武芸を嗜んでおられて?」
「いえ、まあ……昔のことですけど……」
お互い、いろいろ話さなくてはならない事ができたようだ。
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