3 ホワイト企業
「ここは食堂、銀製スプーンは指紋のないよう拭くこと。コツは後々覚えていきなさい。あとは……」
屋敷の案内と、業務内容を婦長様から教わる。
屋敷自体は貴族としてはだいぶこじんまりとしている印象だ。無駄な部屋やホールがほとんどなく、使われていない部屋も急な来客用としてきちんと整えられている。
なので、作業量はそこそ多くて一日に納まりきらない。
メイドには朝礼があり、その時に分担が振り分けられるのだと婦長様から聞いた。
きっと朝早くに起きて夜遅くまでこってり働かされるんだろう。
ま、そのあたりは義実家とそう変わりはないので、指示があるだけありがたい話だ。
そんなことを考えていたら、婦長様が言った。
「そして、すべての作業工程を終了するのは夕方5時です。そこからは遅番の人間に引継ぎを。朝は8時までに身支度を整えて、さきほど教えた食堂に集合しなさい」
……え???
「五時で終了、ですか?」
「ええ、そうですよ。時間厳守です。8時には必ず集合し、5時には残し作業がなきように気を付けなさい」
「あの、言ってはなんですが……早すぎませんか? もっとこう、夜10時終了で残業アリとか」
寝る寸前までが『人が仕事できる時間』ではないのか??
すると婦長様は眉間にしわを寄せて、呆れたようにため息をついた。
「それくらいに作業を終えなくては、身を整えることができないでしょう」
……身を整える???
「効率の良い仕事にはきちんとした休憩が必要です。己の身の回りの世話をして、心身を癒し、充分な睡眠をとる時間が。それを身を整える、といいます。たまに寝る寸前までが仕事の時間と捉えているバカモノもおりますが。身心を己で整えることも仕事の内と捉えなさい」
「そ、そうですね……」
そのバカモノの思考をしてた私は恐縮する。
たしかに言われてみれば反論のしようもない。
でも、あれ……?
婚前にやってた仕事は肉体労働系で単独出張も多かったから、身体には充分気を使ってたような気がする。
だから体調管理も込みで「仕事」だと無意識のうちに理解していたし、寝る前ギリギリまでが仕事だなんて思っていなかったはずだ。
……なんで、忘れてたんだろ?
「あ、そういえば」
ふと気になっていていたことを婦長様に質問する。
「旦那様のお部屋はどこですか? お掃除のやり方とか聞いていないのですが……」
すると、婦長様はなぜか顔を盛大にしかめた。
「旦那様のお部屋は二階、廊下を突きあたってすぐの場所です。しかし、プライベート空間に足を踏み入れるなど恐れ多いことですよ。慎みなさい」
「え、そういったところのお掃除や備品の管理はメイドの仕事ではないんですか……?」
少なくともあの家では、旦那や両親の部屋までが私の掃除の守備範囲。
日用品や彼らの仕事道具は手入れをしてわかりやすいところにしまい、見た目のいい生活空間を作って、埃がないように掃除をする。
年中寝坊する旦那が遅刻しないよう朝起こしてあげたり、服や仕事用具を用意してあげたり。
家族それぞれの好みに合わせた料理を出して、熱湯風呂が好きな義父やぬるめが好きな義母のためにいちいち風呂温度を調節して。
貴族って、それぐらい当たり前なんじゃないの?
それを皆でやるのがメイドじゃないの??
婦長様はいっそう顔をしかめて、ため息をついた。
「言ったでしょう。己の身の回りを整えることも仕事のひとつだ、と。屋敷は大きいですし来客の数も少なくありませんから、旦那様一人では回せません。ゆえにそれらをサポートするための我々が雇われているのです。しかし最低限の仕事用具の管理や身支度、生活空間の調整などは自らで行う。貴族だろうが平民だろうが、子どもの頃にしっかりと教えられているはずですよ。ごく自然であたりまえのことです。旦那様がそれすらできない、幼稚で不出来な人間だとでも?」
「……すみません、そんなつもりでは」
「赤ん坊ではないのですから、そこまでしなくてよろしいのです。一人前の大人なら、出来て当然の範囲なのですから」
出来て当然……。
なんか、あたりまえのことを言われただけなのに、目からうろこが落ちたようだ。
「ああ、そうそう」
婦長様が柏手を打つ。
「給与の件も話しておかなくてはいけませんね。このあと一階のメイド休憩室に来なさい」
「給与?!」
「……なにを驚いているのです?」
いや、だって。
「あの、私、借金のカタで奉公に来ている身ですので給与が出るとは……」
「給与が出なければ、借金返済もないでしょう」
心底呆れられたような目で見られてしまった。
「もちろん、初任給は微々たるものですから全額お渡しします。しかし次の給与からは借金の返済額を差し引いた額をお渡しします。それこそ微々たる額になりますが」
その内訳を、このあと説明してくれるのだという。
正直、朝から晩まで無給で奴隷みたいに使われるんだと思ってた。
借金を返しに来てるんだから、家畜動物並みにひどい扱いになるんだろうなって漠然と思って疑いもしなかった。
でも、そうじゃなかった。
独身時代には意識すらしてなかったような、あたりまえの等価交換と内情説明。
ほかにも、身の回りのことは自分でする、だとか、労働には正当な報酬が支払われる、とか。
婦長様の言ってることはいたって普通のこと。
……するってーと、あれ??
私の常識、世間からずれてきてる……???
「貴女は少し、世間一般の知識がないようですね」
婦長様の呆れ声。
私は何も言い返せずにうつむいた。
「ここでしっかりと常識を身につけなさい。そんなことではブラッドレイ家のメイドとして恥をかくだけですよ」
「はい……頑張ります……」
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