2 奉公にやってまいりました


「ここがブラッドレイ家……」


 森の奥にそびえる大要塞……もとい、おおきな赤レンガのお屋敷だった。

 年季が入った外観だが、手入れが行き届いている。

 門扉や鉄柵などの細かいところは新しく、黒い光沢を放っている。要所要所に金がかけられた、精錬された貴族のお屋敷って感じ。


 前日に家を出た私は、さすがに深夜にお伺いするのは失礼だと思い至り、なけなしのお金の全てをはたいて一夜の安宿を取った。

 翌日、宿を出てブラッドレイ家の門扉の前に来ていた。

 手荷物ひとつにまとまった私物を背負い直して、声を上げる。


「あのー! すいませーん!」


 庭の手入れをしていた庭師らしき人がこっちにきた。


「このあいだ馬車を転倒させてしまった者です。修理代がわりに奉公させていただきに参りました」


 そう伝えると、寡黙そうな庭師は黙って屋敷に入っていってしまった。

 しばらくすると白髪をしっかりと結い上げた壮年のメイドが屋敷から出てきた。

 皺があってもキリリと締まった美しい顔立ち。背筋がしゃんと伸びているので、私より背が低いはずなのに同じぐらいに見える。

 彼女は年嵩を感じさせない俊敏な挙動で黒い門までくると、ギギギと重い音を立てて開けてくれた。


「ベルナ=リンドワーズですね?」

「はい。ですが、離婚しましてベルナ=スカーレット、になりました。この度は誠に申し訳――」

「口上は結構。ベルナさん、こちらへ」


 怒っているのかいないのか。

 まったくわからない口調で言うと、また足早に屋敷に戻りはじめた。


 ん? ちょっとまって?

 この人歩くのめっちゃ早い?!

 私の歩く速度も遅くはないはずだけど、それでも小走りにならなきゃいけないぐらいだ。


 メイドさんの後を転がるように追って屋敷に入ると、重厚感のある円筒状の玄関ホール。

 仄暗い雰囲気は、調度品や正面の大窓にかかるカーテンが暗い色だからかな。

 ホールの正面には赤い絨毯が敷かれた階段がある。その裏に使用人専用の通路があるらしい。

 いわゆる用務員通路だ。


 用務員通路の長い廊下をメイドさんに続いてひたすら歩く。

 また円状のホールに出た。五つの廊下の先には部屋の扉がひたすら並んでいる。

 その一室の前で止まったメイドさんは、鍵を開けて言った。


「今日からここが貴女の部屋です」


 あるのはベッドと棚付きの机だけ。

 それだけでいっぱいになるぐらい小じんまりとしているが、清潔感のある部屋だった。


 ってつまり、私の個人部屋?

 馬小屋とか台所で雑魚寝させられるんだと思ってた私にとっては、寝耳に水だ。

 義実家では台所と直結の居間で寝てたぐらいだし。


「荷物を置いて。ついてきなさい」


 私は慌てて荷物をベッドに放り投げてメイドさんについていく。

 次に通されたのはメイド服がぎっしり詰まった更衣室。

 メイドさんはいくつかの服を手に取って私と見比べる。


「貴女には……これですね」


 渡されたのはメイドさんと同じ服。紺のロングドレスに白いエプロンという、オーソドックスなメイド服だ。


「ぐずぐずしないで、すぐに着替えなさい」


 あ、もう着替えるんですね。

 どうせメイドさんしかいないし、とその場で着替えてしまった。

 着替え終わるとメイドさんが後ろに回り込み、エプロンのリボンを結びなおしてくれた。


「このブラッドレイ家は由緒と格式のある家です。身だしなみには気を付けるように。リボンの結び方はこのあと教えます。……さて」


 遠目にわたしの姿をチェックしたメイドさんが、ひとつ頷いた。


「次は、髪を整えましょうか」


=====


 ……髪なんて久々に切ったわー。


 メイドさんによって肩より少し先で切りそろえられた髪は、メイド服のエプロンと同じ白いリボンでうなじで留めた。


 姿見を覗いてみると、小綺麗になった自分が映る。

 背丈はだいぶ高い方だが、それでもしっかり足首まで隠れている紺のワンピース。

 その丈に合った白いレースエプロン。


 義実家からもってきた服はもう3年以上着まわしたボロ布だったから、新しい服があるのはありがたい。持ってきた服はパジャマにでもしてしまおう。

 それにスカートなんて、いったい何年ぶりに着ただろうか。女物はどれも丈が合わないからよく男物着てたんだよね。おかげで何度、性別を間違われたことか……。

 なんだか新鮮な気分だ。


 そんな内心などいざ知らず、メイドさんは満足そうに頷いた。


「今日はこんなところでしょうか。まだ血色の悪さや目の下のクマが気になるところではありますが、一朝一夕に治るものではありませんからね。では、次は業務内容です」


 と、さっさと歩きだそうとしたメイドさんに、さすがに声をかけた。


「あの」


 メイドさんは無表情に振り返った。


「なにか?」

「いえ、テキパキと説明を進めて頂けるのはありがたいのですが。その、まだお名前をきいていないな、と」


 さっきから心の中でメイドさん、としか呼べていない。

 風貌といい、やたらきびきびした動きと言い、メイドさんの中でも上役なのかもしれないけれど、だからこそ呼び方も間違ってたら失礼だろう。


「そうでしたね」


 そう言って彼女はスカートの端を優雅に持ち上げて、美しい所作で首を垂れた。


「わたくしは、ブラッドレイの屋敷のメイド長を仰せつかっております、テファニと申します」

「ご、ご丁寧にありがとうございます。では、メイド長様、とお呼びすればよろしいので……?」

「ティーちゃん、でもよろしいですよ」


 真顔で言われても。

 この人なりのジョークなのだろうが、このタイミングでぶっこまれても対処に困る。


「皆さんは婦長様、と呼びますが」


 あ、困惑をわかってくれた……。

 笑えなかった罪悪感をちょっと感じつつも、婦長様は淡々とそのまま次に進むのでついていくしかなかった。

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