058 カクカクしかじかの鹿被害

◆ 2023年7月9日

昨年十月。唯一、国内で野生鹿が絶えたとされていた茨木県で日本鹿が2頭捕獲されました。およそ百年ぶりとのことです。

鹿シカはほとんどの植物を食害するため(かぶれる漆の皮さえ喰らい、枯らす)、海月山も被害甚大。でなければとっくに花ざかり山になってたはずで、根元を掘っくり返すイノシシより、タチが悪いとも言える。

野菜畑2段を放置しちまった原因ともなりました。

その憎い鹿、このところどうしたのやら。大抵はボロロプレハブ近くに潜んでるらしく、夜中はもちろん朝に夕に鳴き声が聞こえていたのですが。




5年は前かな。防獣ネットに角がからまり身動きできなくていたことがあります。それで役所へ連絡、やって来た猟師が絶命させました。

そしてその一部始終を、私は目をそむけず見すえました。私なりの生命への敬意と失意から、まじまじと──。



命は、他の命を殺めてまでも生きぬかんとする。

と同時に、死には決してあらがいようもない。



鹿は暴れはしたけれど、最後に胸部へナイフを深く刺されてなお一声も発しませんでした。



息絶えてまで濡れ々れと見開いていた鹿のまなこに、私はどう映ってたろう。


──いつか私がこの山で野たれ死ぬ時の姿を思いました。





もし私が心底強く、本当に生命に敬謙でありたいのなら、生きるための「汚れ仕事」は常に人任せにせず、鹿自らの手でほふるべきはずです。




でも、そんなのも実は、おごりやおためごかしでもあるかしれない。

たまたま人間様に近い四つ足相手だから、生存の根元にまで思いを馳せただけ。足下の蟻一匹、雑草一本踏みにじるたびってわけには決して至らないもの。


実際、こんなことを考えたなんぞ翌日にはコロッと忘れ、一頭でも鹿がいなくなれば助かるとこの数日思ってた。

そしてこんな風こそ、生命にとっちゃ健全なのではとも。

鹿ごときで神羅万象のことわりにまで大風呂敷広げることなく、一頭でも消えてくれれば婆さんが喰えるくらいの野菜畑なら保持できると安堵するほうが、よほどサバイブに真摯ではないのか。

この世界、無自覚に自己保全を計れないようじゃ適者生存は至難だもん。



さあて。動物愛護団体の批判も面倒だし、話はここで尻切れトンボにしちゃおう。

今日こそサトイモの定植終えたいのよ。鹿に喰われない場所を用意できず時期遅れにしちゃったから、まにあわせの植えつけしたいのよね。

それに、

なんで鹿鹿のって無駄話こそ、ボケ婆さんにはふさわしかったものね。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る