第14話・お見合い
屋敷の中でも一番眺めの良い部屋。大きな窓の外に見えるのは、色とりどりの花と緑豊かで形の整った木々。まるで窓枠という名の額縁に収められた風景画のような景色は、熟練の庭師達の手による作品と言って良いだろう。
ほんの僅かに開かれた窓辺からふんわりと優しい風が入り込み、ジョセフの栗色の前髪を揺らしていく。崩れた前髪を気怠げに手櫛で直していると、漆黒の大理石で作られた大きなテーブルの向こう側から声を掛けられた。
「ジョセフ君は、うちの領へ来たことは?」
「はい。父の遣いで何度か中心街へは伺ったことがあります」
「こちらと比べると、あまりに騒がしくて驚いたんじゃないかな?」
「そうですね。夜遅くまで人通りが絶えなくて、初めて伺った時は何かの祭りでも催されているのかと勘違いしてしまいました」
ジョセフの隣に腰掛けている父の対面で、愛想のない淡々とした口調の青年の返しにも、銀髪の紳士は愉快そうに顔を緩めている。シュコール領主である彼にとっては、若いジョセフが今どんな失礼を口にしようが動じないということだろうか。
冒険者や狩人が拠点とするギルドを抱えたシュコールの中心街は、穏やかなグラン領で生まれ育ったジョセフにはとても刺激的な街だったと記憶している。大通りは深夜まで飲み歩く者達で溢れていたかと思えば、朝日の昇る時刻にもなれば武器や武具を打ち鳴らしながら闊歩する音がどこかしらから聞こえてきた。
そんな雑多な街を抱えた領地を統治するヨーゼフ・シュコールの隣には、小柄な少女が終始その頬をピンクに染めながら座っている。編み込んでまとめられたブロンドの髪に、まだ幼さが残る顔立ち。長い睫毛は伏せがちで、少女がこういった場には慣れていないのが明らか。
自分の目前に腰掛ける隣領の領主息女ソフィー・シュコールへちらりと目線を送り、ジョセフはふと思い耽った。
――ベルも昔に、似た色のドレスを着ていたことがあったっけ。最近はあまり明るい色の物は着なくなったけれど、本当はこういう色合いの物が一番似合うのにな……。
従兄弟のアナベルがシンプルな黒のロングワンピースを好んで着る理由は、調薬作業に適しているからだと言っていた。多少汚れても目立たない上に、動きやすいというのは理解できるが、ベルの白い肌と栗色の柔らかな髪は春の日差しのような淡い色がよく映えるはずだ。ジョセフがお姫様みたいだと褒めた時は露骨に嫌そうな顔をしていたが、幼い頃のベルはいつも優しい春色の服を好んで着ていた。
――そうだ、今度の贈り物はベルに似合うドレスを誂えるのもいいかな。仕立て屋を別邸に連れて行ったら、少しは驚いてくれるかも。
不意に思い浮かんだ名案に、ジョセフは口の端が自然と緩んだのに気付いて、誤魔化すようにテーブルの上のティーカップへと手を伸ばす。少し冷めかけていたお茶を一気に半分飲み干していると、隣に座っている上機嫌な父親がにやけた顔を向けて来る。
「そうだ、ジョセフ。今は中庭の花壇が見頃だったな。ソフィー嬢を案内してさしあげてはどうだ」
「ああ、それは良いですな。うちの娘は花が好きだから、是非連れて行ってくれるかな」
両領主が意気投合とばかりにジョセフへと令嬢のエスコートを促す。お見合い定番の「後は若い二人で」というつもりなのだろうが、ジョセフはその露骨な誘導に小さく溜息を吐いた。
隣領シュコールとは長年に渡って友好関係にはある。それをさらに強固なものとするのに子供達の婚姻は丁度良い。血縁は口約束よりも確実だ。
――今更、アナベル以外となんて……。
直前までジョセフに気付かれないよう準備された接見。朝食の際に「今日の午後の予定は全てキャンセルだ。シュコール卿が娘を連れて来られる」と父親から宣言されるまで知らされもしなかった。
そもそも、いつもはほとんど一緒になることがない領主が息子達よりも先に食堂に居て、食後のお茶をのんびりと嗜んでいたこと自体が不自然だったのだ。
「会うのは構いませんが、それ以上は話が進むと思わないでください」
「まだそんなことを言っているのか……ベルはもう、ここを出てしまったというのに」
呆れを含んだ溜息混じりの息子の言葉に、グラン領主は眉を寄せる。実際に会えば気が替わるだろうなどと安直なことは思わない。ジョセフの従姉妹への執着心は幼い頃から一ミリも変わってはいないのだから。
ただ、少しでも息子に次期領主としての自覚があるのならば、自分の気持ちよりも優先すべきものがあることに気付いて欲しいだけだ。
「……ジョセフ、様?」
朝からの親子の会話を思い出して下唇を強く噛みしめたジョセフを、左隣で歩いていた少女が心配そうに見上げて名を呼んだ。遠慮がちに彼の腕に手を添えて、中庭へと続く回廊をまだ緊張が隠せない面持ちで進んでいたソフィーは、急に黙り込んだジョセフの顔を無邪気に覗き込んでくる。
「ああ、申し訳ない。少し考え事をしてしまっただけです。――そちらのベンチからの眺めが良いので、どうぞよろしければ」
「とても見事なお庭ですね。お花がとても多くて、良い香りがします」
勧められたベンチに並んで腰を掛けると、ソフィーは周辺の花を一輪ずつ確認するようにゆっくりと眺めている。花が好きというのは本当のことらしい。
日も高くなり日差しが強いことに気付いた侍女が、二人の腰掛けるベンチの横でパラソルを開く。少女には常に専属らしき使用人が付き、当たり前のように横から世話を焼いていた。普通なら疎ましく思うところだろうが、今のジョセフには完全に二人きりにはならない状況は有難い。
「以前に一緒に暮らしていた従姉妹も、よくこのベンチに座って本を読んでましたね。ここは木々に遮られて、風の通りが穏やかなんだって言って」
「本当に、風がとても気持ちが良いですね」
ふっと優しい表情になったジョセフのことを、ソフィーは少し眩しそうに見上げている。彼の一番のお気に入りの場所を教えて貰えたのだと、嬉しさがこみ上げてくるのを感じながら。
――読書中のベルの隣で、ただ庭を眺めているだけの時間はとても幸せだったな。あの頃に戻りたいなんてことは、決して思わないけれど……。
ベルとの想い出の場で、今隣にいるのが彼女でないことに、ジョセフはそこはかとない寂しさを覚えていた。
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