第13話・叶わぬ初恋

 自室兼執務室の机に向かいながら、ジョセフは頭を抱えていた。

 目の前にあるのは、来期の領地運営の予算改正案の書類。数字に強い彼にとってそれを作成するのは容易いことで、すでに立案は終えて、あとはグラン領主である父に承認を貰うだけだった。


 今、彼を悩ませているのは予算案でもなければ、領民からの嘆願書でもなかった。


「……どうしてなんだ」


 思わず声を出すと、部屋の片隅に控えて書類に目を通していた秘書兼護衛のアロンが怪訝そうに顔を上げた。が、またかと小さく呟くと、まるで何も聞こえなかったかのように書類に視線を戻していた。


 ベルから返事が来ない。あれほど情熱的な手紙を書いて送ったのに、何の反応も返って来ない。彼女の心の氷を溶かそうと、自分の想いの丈をこれでもかと文に乗せたのに。

 ずっと閉ざされていた森の道が開通して、ようやく自由に連絡を取り合えるようになったのに……。


 これまで契約獣を介して森の館とやり取りしていた仲介人は、彼がいくら頼んでも手紙一通すら預かってはくれなかった。アナベル様よりお断りするよう申し遣っているとの一点張りで。


 道が出来て行き来がし易くなった今は、別邸へ毎日のように通っている庭師に託すこともできるし、何なら自分で馬を走らせることもできるようになった。とは言っても実際のところはジョセフが一人でふらりと訪れるのは難しく、護衛の手配等が必要になってしまうので、安易には顔を見に行けず悔しい。


 どうして彼女はあんな魔獣だらけの森の中に籠ってしまうのだろうか。どうして彼女は婚約破棄などと寂しいことを口にするのだろうか。


 幼い頃から慕い続けてきた従姉妹との距離が悩ましい。


 幼い頃のこと、危険だと大人達から言い聞かされていた森の中に一人でこっそりと入って行くベルの姿を見つけ、心配で黙って後ろから付いて行ったことがあった。

 ベルは森の入口に近いところへ薬草を探しに来たようだった。しばらく採取していると、木々の奥からガサゴソと物音が聞こえ、体長一メートルほどの中型の魔獣が現れた。

 それまでは討伐されて死んでいる物か、書物くらいでしかまともに魔獣を見たことがなかったジョセフは慌てた。必死で逃げようと来た道を戻ろうとしたが、慣れない森の中で上手く走ることができず、すぐに足がもつれてコケてしまった。

 もうダメだと思ったその時、恐怖で怯える彼の前に同じ歳の少女が庇うように立ち、風の魔法を発動させて一瞬で魔獣を撃退してくれたのだった。


 従姉妹が強い魔力持ちだということは知っていたが、彼女が攻撃系の魔法を使うところは初めて見た。魔法を発動させている時のベルは栗色の緩やかな癖の入った髪をたなびかせて、とても美しかった。


 その後、膝に出来た擦り傷の痛みに泣く彼の為に、少女はいつも持ち歩いていた傷薬を惜しみなく塗って手当をしてくれた。彼女がその薬をとても大事にしていたことをジョゼフは知っていた。いつもポケットに入れていたのだから、何か特別な思い入れのある物なのだろうと思っていた。

 それを彼女は躊躇うことなくジョセフの為に使ってくれたのだ。


 あの時に察したのだ、彼女も自分のことを大事に想ってくれているのだと。


 なのに何故、ベルは一緒に暮らしていた本邸を出て、森の館に住んでいるのだろうか。彼には全く理解できなかった。ここに居て、そのままこの館の女主人となる未来を望まないというのだろうか。


「……っ?!」


 ふと、机上に一枚のメモを見つけて、怒りに震える。父の筆跡のそれに彼は我を忘れたかのように執務室を飛び出した。開けっ放しにされた扉をアロンは呆れ顔をしながら静かに閉じる。


「ち、父上っ!」

「ん、何だ? 騒々しいな」


 館の奥まったところに位置する領主用執務室で山積みの書類に囲まれていた現グラン領主は、ノックもせずに飛び込んできた長男に眉をひそめた。


「ど、どういうことでしょうか、これは?!」

「ん? あー、それか」


 握りしめて皺くちゃになったメモ用紙を父の目の前に突き出すと、別に驚くこともないだろうと流される。メモに記されていたのは、隣領主の娘とのお見合いの日取りだった。


「お前もそろそろ身を固めても良い頃合いだろう」

「私にはアナベルがおりますので、見合いなど必要ありませんっ」

「ん? ベルとの婚約は解消したはずだが?」


 はて? と領主はわざととぼけてみせる。この思い込みの激しい息子が従姉妹との婚約解消を認めていないのは知っていた。しかし己の立場を考えて、その内に諦めるだろうと放置していたのだが……。


「ベル側から解消を望まれれば、お前には拒否権が無いのは分かっているだろう?」

「し、しかしっ! それが彼女の本意とは限りません」


 その自信はどこから来るんだと我が息子ながらに呆れ返る。ベルからは再三に渡って、ジョセフをちゃんと説得するようにと言われていた。


「宮廷魔導師の素質がある娘を、一介の領主の妻にしておくのか?」

「ぐっ……べ、ベルは伯父上の後を継ぐ気はないと言っていましたが……」

「それは今は兄上が健在だからだろう。いずれは宮廷側からも打診される可能性はある」


 ベル同様に強い魔力持ちである兄は領を出て王都で宮廷魔導師として従事している。長兄が宮廷に仕えることになったおかげで、次男である彼が領主職を継ぐことになって今に至っていた。

 豊かな領地であるグラン領の領主職を辞退するほどの価値が宮廷魔導師にはあり、王都での身分と生活の保障は当然のこと、魔導師を輩出した領地へもたらされる恩恵も大きい。


 なので、もしベルが宮廷から呼ばれるようなことがあった時、叔父である彼にも止める権限は無い。尊重されるのは、ベル本人の意思のみである。


「し、しかし、ベルが薬作りを止めてしまったら、領内の薬の価格が高騰してしまいます」


 宮廷に従事できる魔導師は当然のごとく希少だが、ベルのように調薬ができる魔法使いもそれほど多くはない。彼女の作る薬が無くなれば、それはそれで相場が大きく変わってしまう可能性もあった。


「なら領主夫人として留めて置くことも出来る訳がないだろう。よく考えなさい」


 それ以上は何も言わず、ジョセフは肩を落として父の執務室を出て行った。

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