第15話・アナベルからの手紙
森の館へ通う庭師がジョセフの執務室の扉を叩いたのは、日も陰り書類の文字が読み辛く感じ始めた頃。秘書が部屋の照明具を灯そうと、壁に埋め込まれた魔石に手をかざした時だった。
「ベルお嬢様から手紙を預かって来たんだが。急ぎで読んで欲しいんだってよ」
通常の注文や要望書類なら、一階にいる執事に事付けるだけで済んでしまうので、彼がわざわざ三階まで上がって来ることは、これまでは一度も無かった。直接手渡す必要がある手紙というと、先日に送った物への返事だろうかと少し期待してみたが、それは瞬時に違うと分かる。
「何が書いてあるかは知らんが、まあ、読んでやってくれ」
古参の庭師にとって、幼い頃に庭中を駆けまわっていたジョセフ達は孫も同然。困っていることがあれば、庭師の仕事の範疇を越えて手を貸したくなるというもの。本邸に戻ったついでに手紙を配達することくらい、どうってことはない。内容は聞いていないと言ってはいたが、老人にもおおよその察しはついているのだろう。森から戻って休憩室にも寄らずに上がって来たらしく、ブーツの踵には土が付いたままだった。
受け取った封書を慎重に開封すると、ジョセフは入っていた手紙に目をやる。アナベルからの直筆の文書を最後まで読み終えると、眉間に深い皺を寄せた。
「まずは父上への報告が必要だね。――ああ、確かに読ませてもらったよ、クロード」
「明日も森に行くつもりだから、また何かあったら言ってくれ」
後ろ手を振りながら部屋を出ていく老人へ、ジョセフも片手を挙げて見送る。
そしてもう一度、机の上に置いた文書を最初から読み返していく。怪訝な顔でこちらを見ている秘書へ、別邸に起こっているという問題を端的に説明する。
「森の魔女の薬が、不正流出されている。薬店の店主からは事情確認できているが、取引相手の素性は不明。どこへ持ち出されているのかも分からないそうだ」
「個人が買い占める量を越えているということでしょうか?」
「納品された分をごっそり買い取っていくらしい」
薬の領外への持ち出しは、個人的な使用の範囲であれば問題ない。けれど、その領の薬師の権限を損ない、薬の相場を狂わすほどの流通は禁じられている。森からの報告によれば、商人と名乗った何者かが薬店店主をそそのかし、市場価格よりも高い値段でアナベルの薬を買い占めているということだった。
どれだけ多めに薬を届けても、すぐに追加の注文が入ってくる状況に、ベルは不審に思い、薬店店主を森へ呼び付けて問い詰めたのだという。取引停止をチラつかされて即座に反省の色を見せた店主からの謝罪は受け入れることにしたが、薬の不正流出そのものは放置できないと、後は本邸の判断に任せるつもりらしい。
「父の許可が下り次第、薬店を張り込んでその商人を拘束する。次の薬の納品は明後日だそうだ。それまでに腕の立つ者を数名用意してくれ。……ったく、どうして初めから相談してくれないんだ」
薬店店主への尋問などを密かに全て済ませた上で、最後になってようやく頼ってくれたアナベルへ、ジョセフは大きな寂しさを覚える。最初に気付いた時点で声を掛け、協力を求めてくれたら良かったのにと、ギリギリまで頼られなかったことが残念でならない。
すぐに騎士長を伴って父の執務室を訪れて、森から届いたという文書を見せると、張り切り過ぎている息子へ領主は呆れ顔で嗜める。
「仮にも商人と名乗っている者を相手に、それほど人数はいらないだろう。剣術の得意な者を、せいぜい三人か」
「勿論、私も向かいます」
「否、お前が行っても足手まといになるだけだ、人選は彼に任せなさい」
畏まりました、と頷く騎士長アデルの横で、ジョセフは絵に描いたように項垂れていた。自分の目で事の行方を見守りたい気持ちは分からないでもないが、戦力にならない者が狭い店の中をうろつけば邪魔になるだけだ。
「お前はおとなしく、報告を待っていなさい。上に立つべき者が、全てに手を出そうとするな」
「分かりました……」
父から言われたことにも一理ある。言い返す言葉もなく、ジョセフは背を丸めてシュンと俯く。
アナベルからの提案に従い、囮として納品された薬が店に運ばれたのはそれから二日後のこと。夕刻前に別邸を出た庭師が、いつも通りに薬店へ立ち寄ってから本邸へと荷馬車を走らせていく。
馬車の姿が完全に見えなくなり、木箱に詰め込まれた薬瓶を店主が店の隅に積み上げていると現れたのは、男二人。スーツを身に付けた小太りな男と、冒険者崩れの背の高い男。剣を携えているところを見ると、背の高い方は護衛だろうか。
二人は薬店の扉を押し開けると、狭い店内をぐるりと見回した。今しがた運ばれて来た木箱は陳列棚の下に積み上げられている。その中身をちらりと覗き見すると満足そうに頷いて、小太りな男が白々しく聞いてくる。
「今は何の薬ならあるかな?」
「あ、えっと、回復薬と傷薬が納品されたばかりで……」
自然に対応しろと指示されてはいたけれど、幾分か声が小さくなる。目を合わせて話す自信がなかったので、店主は俯いて納品書を確認するふりを通した。
「なら、あるだけ全部を頼む」
「はい……あ、いや、店に並べる分は残して貰わないと」
いつも通りにするとしたら、店で扱う分は確保するはずだ。普段の自分のやり取りを思い出しながら、いつも通りを演じる。
「頼むよ。しばらく来れそうにないから、あるだけを頼むよ」
「そう言われても……」
全部持っていかれると困りますよ、とそれっぽいことを言い返すと、行商人はすぐに引き下がり、とりあえず出せる分だけ出してくれと懐から財布を取り出した。
「しばらくって、どこに売りに行くつもりなんだ?」
勢いよく扉を開いて店の奥から現れたのは、三人の騎士。領主付きの騎士団の中でも剣術に優れた精鋭だ。すぐに一人が入口付近に回り込み、残りの二人が行商人と護衛の前を立ち塞いだ。
「な、何っ……?!」
「グラン領主の命により、詳しく話を聞かせていただこうか」
二人が連行されていくのを遠巻きに見ているしかなかった若い店主は、店のカウンターの中でヘナヘナと崩れた。万が一、あの護衛が剣を抜いて暴れ出しでもしたらと心配だったが、おとなしく確保されたのでホッとした。あっさりと捕まっていたところを見ると、どうやら見かけ倒しだったようだ。
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