第16話・調薬の見学

 大きな壺に両手を添えて薬草粉砕の為の風魔法を行使しながら、ベルはちらりと部屋の隅に視線を移し、すぐに逸らす。

 普段は穏やかなベルだったが、今日は明らかに苛ついていた。大鍋をかき混ぜる動作は一際雑だし、ずっと眉を寄せた険しい表情のまま固まっている。肩で息を吐いたり、何度も大きな溜息をついたりして本人なりに落ち着く努力はしているようだったが、効果はない。


 それもそのはず、彼女が調薬している小部屋の隅には、ニコニコと満面の笑みで立つジョセフの姿。


「まだ居るの?」

「ああ。気にしないで、続けてくれて構わないよ」


 そうじゃなくて! と声を荒げそうになるのをぐっと抑えて、ベルは耐えるように下唇を噛んだ。気が散るから、と露骨に怒ってみても気にしないでくれと返って来るだけで一向に出て行こうとしない。服が汚れるわよ、と遠巻きに追い出そうとしてもみたが、気を使ってくれるんだ、優しいねと嬉しそうに笑い返されるだけだった。


 薬の不正流出の件の報告後、作業しているところを少し見たいと言うから、少しだけのつもりで案内して、ずっと居座り続けられていた。


 事件に関してはベルは当事者であるけれど、それほど興味が無い。薬店の前に建つ宿屋の一室から薬の納品されるタイミングを見張っていたと聞かされた時は、多少の怖さを感じはしたが、それだけだ。

 ここ最近に納品され、その者達によって買い占められた薬類は店の前に停められていた幌馬車から発見され、全て押収されたと聞かされた。自分の作った薬が、他の領の薬師達を脅かす原因にならずに済んだことには安堵する。


 必要な話が済んだ後も、部屋に居座り続けるジョセフからは声を掛けられる訳でもなく、横から余計な手を出される訳でもない。ただ居るだけだけど、広くはない作業部屋の隅から長身のジョセフがずっとこちらを見ている状況に不快感。言ってみれば、視線が邪魔、なのだ。


 最初こそ、部屋の中の様子や薬作りに興味を示していろいろと質問したりしていたが、一通り聞き終わった後はずっとベルに熱視線を送り続けていた。


 視界に入らないように作業してるつもりでも、ベルは見られてる気配が気になってしょうがない。

 落ち着いて考え事もできず、ただただ無言の時間が流れていた。こんなにつまらない薬作りは久しぶりだわ、と壁際の従兄弟を睨みつける。が、目が合ったと喜ばれてしまい、逆効果だった。


 作業工程の見学をしたいのかと思いきや、作業しているベルの姿を見ていたいだけ。ジョセフとしては、会えなかった時間を取り戻したい一心だ。そして、元婚約者を見つめていられる至福のひと時でもあった。


「そう言えば、どこかのお嬢さんとのお見合いはどうだったの?」


 イライラが限界に達して、ベルは彼が一番嫌がるだろう話題を振ってみた。案の定、ジョセフは怪訝な顔になる。想い人からお見合いの話をされて嬉しい訳がない。


「ああ、シュコールのな」

「お隣ね、近くて良いわね」


 長くに渡って友好的な関係にある隣接したシュコール領。森を含めた自然が豊かで穏やかなグランとは正反対の、冒険者や旅人の集う賑やかな領だ。若干、賑やか過ぎて治安に不安はあるかもしれないが、活気溢れる領地だ。


 魔獣討伐の目的でシュコールの冒険者や狩人がグランの森を訪問してくることはよくある。そういった彼らにもベルの作る薬はとても人気があった。


「どんな方だったの?」

「若かった。それ以外の印象はないな」

「ふーん、おいくつだったの?」

「確か、20だったかなぁ……」


 お見合い相手の印象は若さ以外になかったらしい。ベルと同じ24歳のジョセフとはつり合いも取れるとは思うのだが、それ以上の感想は無いようだった。相手からしてみれば、この上なく失礼な話だ。


「次はあなたが向こうへ?」


 お見合いはグラン領内で行われたと聞いているので、次は彼が訪問する番なはず。互いの領地を行き来して親族とも親交を深めていくのが習わしだ。ジョセフがシュコールを訪れている間は平和になるわ、という期待も込める。


「いや、行かないよ」

「どうして?」

「元々、お見合いなんてする必要はないからね。僕にはベルがいるから」


 嫌がる話題で追い出す作戦だったはずが、興味本位でつい突っ込んで聞いてしまったばかりに、今度はベルの嫌な話題にすり替わってしまった。

 そういうのはもういいから! とジョセフの背中を押して、力づくで部屋から追い出した。最初からこうすれば良かったわ、とベルがはぁっと大きく息を吐いた。


 落ち着く為か、ポットに手を伸ばして薬草茶を淹れる準備を始める。魔力は使っていないけれど、今日は何故かどっと疲れた気がする。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る