第19話・別邸への侵入者3

 用意された軽食を平らげた後、深くソファーに身体を預けているジョセフが睡魔に抗えずに目を瞑った。それを確認すると、マーサは窓際のティーテーブルで待機している護衛騎士のお茶を淹れ直してから調理場へ戻る。


 手早く用意した一人分の朝食をトレイに乗せて、マーサは足音を立てないよう気をつけながら二階の階段を上がって行く。

 廊下を進んで館の一番奥に位置する主寝室の扉を軽く二度叩いて入室した後、世話係は部屋の中央に設置されたソファーテーブルの上にトレイを乗せる。そして、チャコールグレーの革が張った三人掛けソファーの端で肘置きと背凭れに身体を斜めに預けた少しだらしない体勢で本を読んでいたベルを、咳払い一つで諫める。


「ジョセフ様は下で休んでおられますわ」

「そう……」


 ベルは興味なさげに頷き返す。

 マーサに願われてベルがティーポットに手を添えて湯を沸かすと、世話係はそれで少し甘めのフルーツティーを淹れて出した。読みかけていた書籍を横に置いてベルが朝食を口にしている間、マーサはベッドや机の上に積み上げられている書物などを本来あるべき場所へと勝手に戻して回った。今手元に置いている物以外は読み終わったまま放置されているだけと判断されたのだが、ベルが何も言わないということは間違っていないのだろう。


 主がいつもの魔女仕様の黒いワンピースを着ているのを横目で確認すると、クローゼットの中から白色のブラウスとスミレ色のスカートを選び出し、これ見よがしにベルの向かいのソファーの背凭れに掛けていく。

 マーサからの着替えるようにという無言の圧力を感じて、森の魔女は口に含んだフルーツティーをごくりと飲み込んだ後、見えないように眉をひそめた。


「そろそろ護衛の交代の時間じゃない?」

「ええ。次の方達は後から来られるそうですわ」

「そう……」


 お供の騎士達の勤務時間に合わせてジョセフも一旦引き上げてくれるのかもという期待はあっさりと覆された。今日はあまり人に会いたくない気分だったが、諦めるしか無さそうだ。

 カップに残るお茶を一気に飲み干して、ベルは渋々ながらもマーサの指示に従って着替えることにする。熟練の世話係へ反抗してもロクなことはない。


「ベル! 無事で良かった」


 今日の気分とは正反対の明るい装いの森の魔女は、ホールに顔を出すや否や、長身の従兄弟から名を呼ばれ、抱きしめられる。あまりの勢いに、避けることすら叶わなかった。

 いつの間にこんなに身長差が出てしまったのだろうかと、これ以上ない至近距離にいるジョセフの変貌に密かに驚く。決して低い方ではないはずのベルが、従兄弟の胸元までしかないのだから。


 ジョセフは昔からひょろりと背だけは高く、ベルはいつも上から見下ろされていたが、ここまで差は感じ無かった気がする。

 そもそも、彼と話す時はいつだって座った状態で、並んで立ったことは最近ではほとんどなかった。あったとしてもまともに見た記憶がない。


 自分よりも遥かに大きくなった身体で優しく包み込まれていると、ザワついていた心が少し落ち着いた気がする。「無事で良かった」と耳元で幾度となく繰り返される声を聞いていると、攻撃魔法を行使する為に力んで強張っていた指先から力が抜けていく。


 柄にもなく少し戸惑いながら、ベルは従兄弟の抱擁を何とか宥めつつ押しのけてソファーへと向かう。栗色の少し癖のある髪に隠れた両耳が、動揺の為に少し熱を帯びていたことはその場の誰も気付いてはいない。


 ――ダメね、今日は少し調子が狂うわ。


 人に対して魔法を撃つという初めての経験は、森の魔女の心を多少なりとも乱しているようだった。森で魔獣を討伐するのとは訳が違う。いくら盗賊と言えど、言葉を発し同じように生きている人間に対して、傷付ける目的で放つ魔法はベルの人との距離感を狂わせる。


 苦痛で歪む顔と怯える目は間違いなく自分へと向けられていた。護りたいものを護る為に、仕方ないことだとは分かっているけれど……。

 まるで自分の方が他者を襲う魔物にでも成り下がったかのような、そんなおぞましい錯覚すら覚えてしまった。


「アナベル? もしや、どこか怪我でも?」

「いいえ、大丈夫」


 向かいの席に腰掛けたジョセフが心配そうに顔を覗き込んでくる。首を振って否定してみせるが、従兄弟はオロオロと視線を彷徨わせているままだった。警備兵の代わりに彼女から昨晩の話を聞き取るのがジョセフの役目なのだが、今はそれどころではなさそうだ。


 頼りない優男全開の従兄弟の、優しさ溢れる空気感が今のベルには心地よい。毎日一緒は耐えられないけれど、たまにはジョセフが傍にいてくれる日もあっても良いのかもしれない。

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