第8話・森の道

 森の館の状況を耳にしてから、ジョセフは落ち着かない日々を送っていた。近しい世話係以外を自分の元から追い出すように移動させたアナベル。本邸に配属替えして来た者達はベルの気遣いだと感謝しているようだが、まるでベルが人との関わりを拒絶しているかのように思えて心配でならない。


 急いで別邸の様子を確認しに行くべきだと使命感に燃えていたジョセフは、急を要する職務以外を夜半遅くまでかかって終わらせた。馬と護衛の手配も済み、いざ魔の森にある館へ行かんと愛馬の手綱に手をかけ掛けた時、彼らより遥か先に出て別邸に向かったはずの庭師の荷馬車が門を駆け戻ってくるのが目に入った。


「あれは、クロードじゃないか? どうして帰って来たんだろう?」


 古参の庭師が慌てた様子で門番に何やら話している。「森の道が、森の入口が」と騒いでいる声が聞こえてきて、ジョセフは嫌な予感がし、門番達の元に近付く。


「どうした?」

「あ、ジョセフ坊ちゃん! 別邸に行こうと思ったら、森の道が消えてんだよ。昨日はあったのに、さっぱり意味が分からん……」

「森の道、が?」

「そう、いくら探しても入口が見つからねぇんだよ。試しに馬を降りて歩いて森に入って見ても一緒でさ。あったはずの道がねぇんだよ」


 館へと続く森の道は街の西側に接する場所に入口があった。道続きだから見失うことがあるはずもないし、森の木々は暴風でも無ければ、一日二日では様相を変えることもない。

 話を聞いていた門番達は、「爺さん、もうボケたんじゃないの?」と揶揄い混じりに庭師を宥めていた。「違うわい!」と怒りながら否定する庭師だったが、その場にいる誰もが老人の勘違いだと信じて疑っていなかった。


 だが、彼の荷馬車の後、飛び込むように正門に入って来た馬車から、顔を青褪めながら降りて来た二人の侍女に一同は騒然とする。


「無いんです、森の道が無いんです……」

「私達、今日は別邸でのお仕えの日だったので一緒に向かってたんですが、入口が見つからなくてどうして良いのかと……」


 別邸の通いの侍女達だったらしく、揃って「道が無かった」と繰り返していた。ボケ老人扱いされてた庭師は、「だから言ってるだろう!」と怒り心頭気味だった。


 ――一体、何が起こっているんだ……? 森の道がたった一晩で消えるなんてこと、ある訳ないじゃないか。


 彼らの突拍子の無い話を真に受ける訳にもいかず、なら急いで確かめようとジョセフは護衛騎士に預けていた馬の手綱を握り直した。


「どういうこと、だ……?」

「この場所で間違いないはずなんですが……」

「たまたま入口付近だけが隠れてしまってるだけかもしれません。中に入って確かめてみましょうか?」


 二人の護衛騎士と一緒に道の入口があった場所をうろつきながら、ジョセフは頭を抱えていた。庭師達が言っていたように、別邸へと続いているはずの道が一切見つからないのだ。まるで、以前からそんなものは無かったかのように、手付かずの森の風景が目の前には広がっている。


 近くの手頃な木に手綱を括り付けると、護衛達と共に森の中へと足を踏み入れる。以前は整備された道が確かにあったはずのそこは、森の他の場所と違わず、草が覆い茂り、木が生え育ち、枝々が腕を伸ばして行方を遮っていた。


「道なんて、ありませんね」

「どういうことなんだ?」

「……分かりません。迷う前に、一旦戻った方が良さそうです」


 森の探索をするには、彼らは軽装過ぎる。馬で数十分ほど走るだけのつもりでいたから、このまま無闇に進み続けるのは危険極まりない。足場の悪い場所で魔獣と遭遇した場合、まともに戦えるとも思えない。戻る以外の選択肢はなかった。


「戻ろう。他にも何か知っている者がいるかもしれないし、父上にも報告しないと」

「畏まりました」


 まるで悪い夢でも見ているようだと、自宅へと向かう馬上でジョセフは自分の目が見たものを信じることができないでいた。もう一度戻って確認すれば、あるべき道はちゃんとそこにあるような気がして、馬の上から何度も後ろを振り返り見る。


「ジョセフ様っ、別邸にはアナベルお嬢様がお一人になっておられるんですっ」

「マ、マーサ?! どうして君がここに?! 別邸に住み込んでいるはずでは……?」


 馬から飛び下りて駆け込んだ領主執務室で、ジョセフはここに居るはずのない人物と顔を合わせた。アナベルの世話係で、最近では唯一の住み込みの使用人でもあるマーサだ。


「本日は通いの者が二人も来るはずだから、たまには街で息抜きしてくるようにとお嬢様からお勧めいただいたので、朝から買い出しに出ておりました」

「で、戻ろうと思ったら、森の入口が消えていたらしい。――間違いなく、ベルの仕業だろうな」

「隠蔽の魔法、ですか……」


 唯一の使用人を追い出した後、森の入口を魔法で隠してしまったのは他でもないアナベルだろうと、領主はマーサ達の話しを聞いてすぐに思い当たった。そして、その魔法の解除が出来る者がこの領内では一人もいないことに、苦笑しか漏れない。ベルの魔力に太刀打ちできるのは、王都にいる父親のジークくらいだろうか。


「まあ、ほとぼりが覚めたら解くだろう。しばらくは放っておいてやればいい。別に誰かが迷惑を被っている訳でもないし」

「なっ! 何を言ってるんですか、ベル一人で森の中で生きていける訳がないじゃないですか?!」


 父のあまりに無責任な物言いに、ジョセフは身を乗り出して反論する。魔力の高さは生活力とは直結しない。生まれた時から使用人に囲まれて育って来た従姉妹が、森の中で一人で生活できるはずもない。

 心配のあまりに声を荒げるジョセフへ、ゾースとマーサは薄笑いを浮かべながら宥めるように告げる。


「意外と平気かもしれんぞ。お前が思っているほど、ベルは弱くはないからな」

「そうですわね。お嬢様は多少のことでは動じない方ですもの」

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