第7話・別邸の異変

 グラン領の中心街に佇むグラン家本邸は石壁に囲まれ、その敷地の南に位置する正門には警備兵が常駐している。他に出入りできるのは、使用人や業者だけが使う西門で、そちらは日の出から日没の時刻に限って開かれているが、それ以外は頑丈な扉で閉ざされてしまう。


 その西門近くの鍛錬場で、ジョセフは護衛騎士達と共に模造剣を振っていた。騎士長のアデルによって剣筋のブレを指摘され、今朝はずっと同じ型を繰り返していて、そろそろ左の上腕が悲鳴を上げそうだった。


「うーん、まだまだ身体の重心が左寄りになってますね。それでは片腕に負担がかかり過ぎてしまいます。あと二十振ってから休憩にいたしましょう」

「あ、ああ……」


 肩で息をしながら、何とか返事したものの、あと二十もやるのかと剣を振りながら遠くを見つめる。周りの騎士達にとってはほんのウォーミングアップに過ぎないのだろうが、普段は執務机でペンを走らせるだけの優男にはただただキツイ。

 元冒険者という異色の経歴を持つ騎士長は、伯父の古い友人でもあるらしい。英雄ジークから剣術の腕を見込まれただけはあり、四十を過ぎてもいまだに模擬戦で彼に勝てる者は現れていない。


 ふらつきながらもようやく剣を振り終えると、ジョセフは近くの植木に身体を凭れかせる。休憩だからと油断して座り込んでしまえば、次に立ち上がれる自信は無い。

 と、彼の目の前を足早に通り過ぎて行く侍女の一人に気付く。丁度、通いの使用人が遅番でやって来て西門から入ってくる時間帯だ。


「あ、おはようございます、ジョセフ様」


 雇用主の息子である彼の顔を知らない訳はない。目が合うと当たり前のように頭を下げられる。赤毛を後ろで一つに結んだ女の顔は何度か見た覚えがあった。


「君は確か、別邸にいた人だよね?」

「はい。以前は別邸でお仕えさせていただいておりましたが、少し前からはこちらでお世話になっております」


 幾度となく訪れている森の別邸で見掛けた顔に似ていると声を掛けてみたら、やはり見間違いではなかった。配属先が替わるのは別段珍しいことでもないと、「ああ、そうなんだね」と世間話の体で流して終えかけると、


「あ、あの子も別邸から一緒に移って来たんですよ」


 ちょうど後からやって来た別の侍女を指差して教えられる。そして、彼女の次に続く台詞に耳を疑う。


「大奥様が亡くなられてからは、別邸で住み込んでいるのはマーサさんだけじゃないでしょうか。ほとんどの者はこちらへ戻していただけましたし」

「え、それって……」


 お喋りの好きな女に声を掛けてしまったようで、問うたこと以上に話して聞かせてくれる。祖母の時代に別邸で仕えていた使用人は皆、アナベルによって本邸へと配属を移してもらったのだという。不便な森の館で働くよりも、賑やかな街中にある本邸で勤める方が若い侍女達にはよっぽど楽しいだろうと。ありがたいですと明るく語る侍女の表情とは反対に、ジョセフの顔色は一気に暗くなっていく。


「どういうことだ……?」


 本邸とは比べ物にはならないが、それなりに広さのある別邸。使用人の数が減れば困ることもあるはずだ。なのに、どうして……。

 お喋りな侍女達が裏口から館に入っていく後ろ姿を見送りながら、ジョセフは訝し気に眉を寄せた。


「では、次は軽く打ち合ってみましょうか。ジョセフ様には見習いの者の中から誰か――」


 休憩を終えた騎士達はすでに思い思いに身体を動かし始めている。その内から騎士長が選んだのは、背高こそジョセフと同じくらいだが、見るからにしなやかな筋肉を付けた見習い騎士。入団して二月ほどだと記憶しているが、剣術の評判はなかなかのもの。


「あー、うん。申し訳ないのですが、早急に父へ確認しないといけないことができたので」

「おや、そうですか。では打ち合いは次回にでも」


 鍛錬に使用していた模擬剣を近くにいた騎士に預けると、ジョセフは剣術の師である騎士長へと一礼して、鍛錬場を離れる。今は一刻も早く、別邸での異変を父に確認したかった。万が一、別邸での人払いが領主の指示であるならば、その真意を問いただすつもりでいた。


「父上、どういうことでしょうか?!」


 館の三階、一番奥まった場所にある領主の執務室へ、息子であるジョセフは息まきながら扉を開いた。部屋の入口近くに控えて書類に目を落としていた執務官が、慌てて立ちあがった時には既に、駆け込んできた青年は父の執務机の前に仁王立ちしていた。


「ん、何がだ? 朝から騒々しいやつだな」

「何がじゃないです。別邸のことですよっ」


 ジョセフの剣幕には慣れっこだと言いたげに、父であるゾースは持っていたペンを静かに机に置いて息子の顔を見上げる。


「お婆様が亡くなってから、向こうの使用人達が揃ってこちらへ移動させられてるそうじゃないですか。ベルの傍には世話係一人だけしかいないとか」

「ああ、そのことか。それは私の指示じゃないな」


 何だそんなことか、と詰まらなさそうに顎を撫でる父へ、ジョセフは苛立ちを抑えきれない。


「じゃあ、誰だっていうんですか? まさか……」

「ベルから移動願いが出てたな。だからと言って、別に一人しか使用人がいない訳じゃないぞ。通いの侍女もいるし、庭師も変わらず行き来しているはずだ」

「否しかし、それでは日没後は女性二人だけになってしまうではないですか。森の中でそれは、あまりにも危険過ぎます」


 ベル達が住んでいるのは魔獣の生息する森の奥深く。常識的に考えて、無謀としか言えない。そんなところに住まわすくらいなら、一刻も早くベルを本邸へ連れ戻すべきだと主張する息子に、ゾースは呆れを含んだ溜息をついた。


「お前はいつまでベルの婚約者のつもりでいるんだ? あの子は今、領内一の薬魔女なんだぞ。屋敷周辺には結界を張り直したから問題ないと言っているし、あの子は攻撃魔法の使い手だ」


 お前よりもよっぽど強かったじゃないかと嘲笑って見せる。今まさに、全く上がらない剣術の腕を痛感して来たところである。ジョセフにはそれ以上、言い返す術がない。

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