第9話・魔鳥
森の別邸へと続く道が消えたという噂は、瞬く間にグラン領内に広がった。ただ、実際にそこを通る用がある者は僅かで、民の間では面白可笑しい話題の一つとして取り上げられる程度。ゾースの言っていた通り、直接迷惑をかけられている者などいないから、取り立てて騒がれることもなかった。
唯一、別邸から騙される形で放り出された世話係も、慣れ親しんだ本邸での勤めに戻ったと、逆に生き生きとしているくらいだ。
「あれから二週間か……ベル、無事であってくれ」
館に蓄えられた食料や日用の物品が尽きれば、何事も無かったかのように森の道が戻されると安易に思っていた。けれど、定期的に確認で人を送っても、いまだ吉報を持ち帰って来たことはない。
使用人達の話を聞く限り、一週もすれば物品で足りない物が出てくるはずだった。アナベルは一人でどうやって過ごしているのだろうか……。
執務机に積み上げられた報告書の束を、ジョセフは事務的に目を通していく。父から任された職務は、日を追うごとに増えていた。事によっては父の判を押す手前までをジョセフが担うことがあり、領の運営の大半の決定権を与えて貰えるようになっている。
まだ父の元には届かないような重要度の低い案件の報告書の束を手に取ると、秘書が淹れてくれたばかりのお茶を片手に目を落とす。紐で一まとめにされた書類をパラパラと順に捲っては、機械的に確認の判を押していく。森周辺の魔獣の被害報告や、学舎の建物の改修の見積もり。警護兵の宿舎の増築工事の進歩など、既に解決した事案や、領の運営費の一部に関わることが主だ。
と、その書類の束に含まれていた一枚を捲りかけて、ジョセフはその動きをピタリと止める。
「……森周辺で魔鳥が頻繁に目撃されてる、だって?」
「ああ、木箱を運ぶ鳥ですか、私も耳にしたことがあります。大きな鳥が森の方からやって来るらしいんですが、木箱を括り付けた綱を足で掴んで飛んでいるそうです」
使ったばかりのポットを片付けていた、秘書兼護衛のアロンがジョセフの呟きに即答する。自宅で家族が話しているのを聞いて、器用な魔鳥がいるものだなと感心していたのだという。
「木箱を? 森の方から? ――まさか」
否、まさかなんて物じゃないだろう。そんな不可思議なことが出来るのは、この領内では一人しかいない。ジョセフはこみ上げてくる笑いと共に、従姉妹が無事であることにホッと胸を撫で下ろした。
「至急、その魔鳥のことを調べてくれ。アナベルとの唯一の連絡手段かもしれない」
おそらく、その魔鳥は彼女の守護獣であるオオワシだろう。全長2メートルもある大きな鳥のことだ、街に飛来していればその姿はとてつもなく目立つはず。
その情報は翌朝にはジョセフの元へと届いた。指示を受けて現地へ向かっていた役人は、額に浮き上がった汗をチーフで拭いながら、次期領主の前で書類を読み上げていく。
「ご報告いたします。頻繫に目撃されていた大きな鳥は、街外れにある道具屋の元に飛んできているようです」
「道具屋?」
「はい。女主人が一人で営んでいる店で、我々が訪れた際も店先から丁度飛び去ったのが目視できております」
魔鳥が運んで来たらしき荷物の確認をしたという役人は、隠し事もせず問われたことには何でも受け答えしたという道具屋の女主人に呆気に取られた。「別に何もやましいことはしてないわ」と、ケラケラと笑い飛ばされ、どうでもいいことをこちらが一方的に騒いでいる気分にすらなってしまった。
「で、その鳥は何を運んでいたのかな?」
「薬です。薬店に納品する商品だそうです。代わりに食料や日用品、空の薬瓶を木箱に入れ直したと申しておりました」
ベルが森に一人で引き篭もってからも、森の魔女の薬が品切れを起こしたという話は聞いたことが無かった。手渡された報告書には、その日に道具屋に届き、送り出された物品のリストも含まれている。
「ああ、そこから調べていれば、すぐに分かったのか……」
どのルートで薬店に納品されているかを確認すれば、簡単に道具屋の存在に辿り着けたはずだ。そうすれば、もっと早くにアナベルの無事を確認することができていた。自分の視野の狭さに、ジョセフは情けないなと栗色の髪を掻きむしった。
もしかしなくとも、このことを父は既に容認しているのだろう。
すぐさまアナベル宛に手紙を書き記し、道具屋に送り届けるようにと託してみるが、なぜか翌朝にはそれはジョセフの執務机の上に戻っていた。
「アナベル様から、そういったものは受け取らないように仰せつかっております、とのことです。頑なに、受け取りを拒まれました」
「誰からだと分かっていてかい?」
「はい。特にジョセフ様からのものはお断りするようにと」
開封されてもいない手紙を、ジョセフは恨めし気に握り締める。クシャクシャになったそれを、さらに丸めてゴミ箱へと放り込むと、深い溜息をついた。
「ベル……」
森の中で薬作りをして過ごしているらしい従姉妹は、様々なしがらみを絶ちつつも、森の魔女としての役割はしっかりとこなしているようだった。けれどそれだって、いつかは限界が来るはずで、自分達はその機が来るのを黙って待っているしかできないということか。
「父上はこのことは?」
「それはその……領主様は、既にご存じだったようです」
少し言い辛そうにした役人は、彼と森の魔女との関係を噂で聞くなりして知っていたようだ。全てを報告し終えたと一礼してから部屋を出て行く男の後ろ姿を見送りながら、ジョセフはまた一つ大きな溜め息を漏らした。
実の親ですら、自分のこの想いを理解してくれてはいないんだ……。
アナベルが森の入口に施した隠蔽魔法の効果が消えたという報告を受けるまで、それから三年の月日を要した。これは時間経過と共に魔法の力が弱まったからであり、決してベルが自分の意志で解除したという訳ではなかった。
ただ、その報告を受けて駆け付けたジョセフは、改めて目前に広がる光景に自分の目を疑った。
「なっ……!」
「まぁ、三年も経てばこうなりますよね、普通」
護衛として付いてきたアロンが、薄笑いを浮かべてさらりと言う。少し小馬鹿にした言い草に、ジョセフは苛立ちを覚えた。
隠蔽の魔法が解けたはずの森の道は、相変わらずその入口がどこにあるかの判別がつかない。長く人が足を踏み入れることがなかった道は獣道と化し、草や木が覆い茂り、完全に森と一体化していた。
「別邸への距離を考えますと、整備に三日はかかるそうです」
「し、至急!」
「かしこまりました」
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