第5話・森の別邸

 グランの領土の半分近くを占め、隣領シュコールとの境に広がる広大な森には魔獣と呼ばれる獰猛な存在が生息している。それ故、ここは魔の森とも呼ばれることがある。理性を持たない魔獣による被害は後を絶たないが、森が育む豊かな資源を求める人々は護衛を付けたり、魔獣除けを携えた上で森の中へと足を踏み入れるしかない。


 そんな危険な森の中にグラン領主家の別邸を建設したのは、先々代の当主だと言われている。本邸の四分の一にも満たない広さの敷地だったが、森のど真ん中を開拓して資材を持ち込んで建てられた屋敷は、当時の建築技術をこれでもかと駆使した立派な物。レンガと木材が組み合わされた建物を取り囲む庭も、ベテランの庭師から手を加えられ、周辺の自然と見事に調和していた。


 グラン家の本邸もある中心街の東側から森の中へと通ずる道は、別邸の門前まで真っ直ぐに伸び、馬車を走らせれば一時間ほど。早馬だと二十分ほどで行き来可能だ。屋敷の為だけに整備された森の長い道もまた、当時に動いた資金の大きさを察することができるだろう。


 周辺に生息する薬草の採集に便利だからと、森の魔女が夫亡き後の隠居場所に森の館を選んだのはもう十年以上前のこと。生活に必要な物品は、毎日のように本邸からやってくる庭師などの使用人達が運んでくるし、調薬を終えた薬もまた彼らが街まで運搬していく。程よく孤立していて、魔女として静かに余生を過ごすには最適な場所だった。


「ここには煩わしい社交も必要無いし、薬作りするのにとても向いているのよ」


 館の裏にある薬草の群生地で孫娘に草の見分け方を教えながら、老魔女は穏やかに微笑んでみせる。誰にも邪魔されずに好きなだけ薬を作って生きていけるのよ、と話す祖母の顔からは長年蓄積された社交疲れが垣間見れた。


「私も社交は嫌いです。だって、面倒だもの……」

「そうね、ベルには向いていなさそうね」


 父親似の高魔力を持つ孫娘には、近い将来に必ず王都からのお呼びがかかるだろう。けれど、古いしきたりも多くて役人気質な宮廷で上手に立ち回れるほど器用な子でもない。

 年若い孫娘をこんな森に閉じ込めてしまったと悔いる反面、本邸で窮屈な思いをする前に救い出せて良かったとも思う。あそこにいたらあと数年もすれば無理にでも社交の場に出されてしまっただろうから。


「あら、今日はこれくらいでいいかしら。二人だとあっという間に集まるわね。今度からはベルだけでも大丈夫そうね」


 持って来た麻袋にいっぱいになった薬草を満足気に確認すると、老魔女はローブに付いた砂埃を払いながら立ち上がる。微妙な薬草の違いもすぐに覚えているし、途中で近付いて来た小型魔獣にも狼狽えることなく黙って撃退していた孫娘アナベル。

 これ以上ない、良い後継者を得られて良かったと、心の中で一人ほくそ笑む。


「戻ったら、これを使って回復薬の作り方を教えるわね。森の魔女の一番の薬よ」

「回復薬は他の薬よりも大変なんでしょう? たくさんの種類を使うからって」

「基本的な作り方は同じよ。ただ、繰り返す工程が多いだけ。使う薬草の数だけ増えるから。勿論、精製に必要な魔力量は大きくなるけれど」


 主だった薬の製法を一通りに教え込んだ後、最後に伝えようと思っていた回復薬のレシピ。森の魔女と言えば回復薬と言われるくらい、薬店に卸せばすぐに売り切れる人気商品だ。かつての師であった先代の森の魔女から譲り受けたレシピは、一緒に教えを乞うていた姉弟子達は魔力不足で挫折していた。だから今、それを作ることができるのはこの老魔女ただ一人。


「魔力には自信あるけど、工程が増えるのは、ちょっと面倒そうね……」

「ふふふ。どの薬も作り方に違いはないから、使う薬草の種類と順序さえ覚えるだけよ。あとはどれだけ丁寧に精製ができるかね」


 間違いなく、この弟子は自分よりも高い性能を持つ薬を作ることができるだろう。精度の高い魔力操作と豊富な力。恨めしいほどの素質があるのは明らか。


 他の薬草の群生地を教え込みながら、館の裏口まで戻ってくると、老魔女達は建物の脇に停められた一台の馬車に気付いた。魔獣除けが側面に嵌め込まれた小型の馬車の扉上部に見えるのは馬の意匠。グラン家の家紋で、この館の玄関扉にも同じ物が施されている。


「あら、またジョセフかしらね? あの子もマメねぇ」


 隣を歩くアナベルを見れば、眉を寄せて渋い表情をしている。少女が同じ歳の従兄弟のことを煩わしいと思っているのは傍から見ていてもよく分かった。それをふふふと可笑し気に笑うと、老魔女は建物の裏にある勝手口の扉を開き、そちらから中へと入って行く。調薬作業をする部屋には裏からの方が近い。


「ベル!」


 勝手口から調理場を通り過ぎ、玄関ホールを抜けようとした時、備え付けられたソファーでソワソワしながら一人座っていた少年が、従姉妹と祖母の姿を見つけて勢いよく立ち上がる。窓際のティーテーブルには彼と共に来たとおぼしき護衛が二人。


「あ、お婆様、お邪魔しております」

「ふふふ。ゆっくりしていらっしゃい。最近は忙しいんでしょう? 職務のいくつかを任せて貰えるようになったと聞いているわ。ベルもそれを片付け終えたら、一緒にお茶を頂きましょうか。沢山歩いてきたから、疲れたでしょう?」

「お二人で薬草採取に行かれていたのですか?」


 脱いだローブを侍女に預けてから、魔女はゆったりとした仕草でジョセフの向かいに腰を下ろして、微笑みながら頷き返す。弟子であるアナベルは抱えていた薬草入りの麻袋を足早に作業部屋へと運び入れ、ホールへ戻ってくるとジョセフへの挨拶もそこそこに祖母の隣で淹れたてのお茶に手を伸ばした。

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