第4話・別離

 グラン家の本館ではなく離れで生活するアナベルだったが、一日に二度は必ず回廊を渡って本館を訪れて来る。朝と夕の食事は本館にある食堂に用意される為、叔父である領主は職務の忙しさから同席することは稀だが、ジョセフ達従兄弟とその母親のセリーナとは常に一緒。

 実の両親と離れて暮らしてはいたが、少女が一人で食事することは一切無い。


 一階の厨房から程近い場所にある食堂は、来客時に使うホールとは比較対象にならないほどこじんまりとして飾り気もない。唯一あるのは壁際に置かれた花瓶くらいだろうか。見栄えよりも給仕に付く使用人の作業効率を優先し、日常使いを意識した室内。

 元来、グラン家は不必要な煌びやかさを好まない一族であり、先日の前領主夫人の誕生祝いがその筆頭例と言って良い。そういったこともあり、近年は特に領民からの支持も厚い。


 朝食を終え、食後のお茶を一口飲んだ後、現領主夫人であるセリーナが子供達の食事風景をしばらく眺めてから口を開く。


「今日の昼前にネーブル商会の方が来られるわ。何か頼んでおいて欲しい物はある? ノーラは新しい髪飾りが欲しいというのは聞いたけれど――」

「お母様、私も髪飾りが欲しいわ。今のより、もう少し大人っぽいのがいいの。あと、こないだのナッツの入ったクッキーもお願いっ」


 馴染みの商会で取り寄せる品を確認すると、長女のミレイが母の言葉を遮る勢いで喋り出す。妹の抜け駆けも許せなかったが、そんなことより前回に届けられた菓子の味がどうしても忘れられない。


「ミレイは髪飾りとクッキーね。ジョセフとベルはどう? 最近ぐっと背が伸びたみたいだし、ベルは新しい洋服を仕立て直さないといけないわね。もう去年の物は着られなくなってるでしょう?」

「僕は今回は別に……あ、インクがもうすぐ無くなりそうなのでお願いします」

「あら、インクならお父様のところに余分があったはずよ。後で分けていただきなさいな」


 母の提案に黙って頷き返すと、ジョセフは隣の席で食事しているベルを盗み見た。卵料理を味わいながら小首を傾げている従姉妹は、注文してもらう物を必死で考え込んでいるようだった。


「洋服はよく分からないから、叔母様にお任せします。あとは、薬草のことが載っている図鑑かしら」

「ふふふ、薬草図鑑ね、ベルらしいわ。お婆様もお持ちで無さそうな、新しい物を探していただきましょう」


 仕立て直す洋服はどんなのが良いかしら、と義理の姪から任されたことで機嫌良く微笑むセリーナ。娘達とベルはまた違うタイプだから、悩み甲斐があるというもの。商家の出だからか、相手の好みに合う物を選ぶとなると我が事以上に気合いが入る気質のようだ。


 あまり離れの館から出てくることがない従姉妹だったが、必ず顔を合わせることができる食事の時間はジョセフにとって一番の楽しみだった。勿論、同じ敷地内にいるのだから時間さえあれば何かしらの用事を作ってはベルの部屋の扉を叩くことはある。


 ただ、いつ部屋を訪れてもソファーの周りに書物を山積みにして、ベルはその場から一歩足りとも動こうとはしなかった。気を利かせた世話係が、「せっかくジョセフ様がいらしてくださっているんですから」と促しても、彼のことはまるで見えていないかのように平然と読書を続けるのが常だ。


 けれど、ジョセフにとってはそんな素っ気ない態度も愛らしく思え、書物から視線を外さないアナベルを至近距離で眺めている瞬間も至福のひと時なのだ。


 侍女が淹れてくれたお茶も、カップとソーサーが触れる音で邪魔になってしまうのではないかと手が付けられず、ただ静かに向かいの席に腰掛けたまま少女のことを見つめていた。そんな時に、不意にアナベルが書物から顔を上げてから言われたことがある。


「ジョセフの視線がうるさい」


 どう考えても、最大限の照れ隠しだ。ずっと見られているのが分かっていて、必死で素知らぬフリしていたのだと思うと、可愛くて堪らない。

 素直でないのは彼女の魅力の一つなのだ。


 またいつもと変わらず相手にされないのは分かっていたが、午前の剣術の稽古を終えてから着替えを済ませたジョセフは、商会から納品されたばかりの焼き菓子を携えて離れを訪れていた。


「これ、シュコール領で人気のお菓子なんだって」


 一緒に食べようと扉の前で菓子箱を掲げて見せながら、足を踏み入れた部屋の異変に、ジョセフは次の言葉を失ってしまう。

 床に積み上げられた沢山の木箱。開け広げられたクローゼットの中は完全な空になっていて、よく見れば普段は本館で従事しているはずの侍女まで手伝っている。


「な、何やってるの?」

「荷造りよ。お婆様から別邸での部屋の準備ができたって連絡をいただけたの。明日の朝には移るわ」


 手際よく木箱に荷物を詰めていく世話係達を遠巻きに見守りながら、アナベル自身は壁面の棚から書物を選り分けている最中だった。


「丁度良かったわ。書庫から借りたままの本を戻しに行くのを手伝って貰えない? 一人じゃ持ち切れなくって」


 本館の二階にある書庫からアナベルが頻繁に書物を持ち出しているのを見かけたことはあった。借りて来た本はそのまま部屋に置きっぱなしにしていたらしい。彼女以外で書庫を利用する者はほとんど無かったし、それについては何の問題無い。


「でも、これは多過ぎだと思うよ」

「仕方ないわ、気付いたら溜まっていたのよ」

「あ、いや、そんなことじゃなくって! 明日の朝に?! どうしてそんな急にっ?!」


 これから運ばされる書物の量にも正直驚いたが、そんなことは問題じゃない。明日にはベルと離れ離れになってしまうなんてと、ジョセフは項垂れる。


「そんな……まだ、心の準備が……」

「あら、引っ越しするのは私だけよ?」


 涙目になっている従兄弟の顔を不思議そうに覗き込んで、アナベルは小首を傾げる。

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