第3話・婚約解消

 前領主夫人である祖母を中心に、現領主である父ゾース、父と二つ違いの伯父ジーク。そして、その隣にはそれぞれの着飾った妻達が食事会の席に着いていた。

 本当に近しい者だけが集まる、ささやかな食事の場。それが高齢である老女の望みで、今日この場にいるのは家族だけと言って良い。


「王都への道も随分と良くなったと聞きますが、実際のところはいかがですか?」

「そうだね、道幅も広くなったし、安全な地域が増えたこともあって、初めて行った時のことを思えば半分の日数で行き来できるようになってるかな」

「最初に兄上が向かわれた時は、たしか四日掛かったと――」

「ああ、今は二日で済むようになった」


 道が整備されたこともあるが、馬車の速度もかなり上がったんだろうねと、ジークはグラスに入った赤ワインを上機嫌で飲み干した。兄弟で酒を味わいながら、取り留めのないことを話すのは、もう何年ぶりになるだろうか。

 妻達もまたそれぞれ、王都や領内での流行りの話題を持ち出し合っている。

 そんな息子達の様子を、老女は満足そうな微笑みを浮かべながら眺めていた。


 大人達の会話の邪魔にならないよう、ひそひそ声で話し合っていたのはジョセフの妹であるミレイとノーラの二人。まだ十にも満たない少女達は、いつにも増して様子がおかしい兄のことをチラチラ盗み見ては、クスクスと笑っている。


「兄さま、絶対に顔色が悪いわ。朝食の時は普通だったのに」

「またベル姉さまに振られたのよ、きっと」

「ああ、そういうことね。でも、それはいつものことじゃない?」


 揃いのピンクのドレスを身に付け、同じ髪飾りで前髪を止めた二人は、テーブルの向かいにアナベルと並んで座っている兄の、フォークに刺されたままいつまで経っても口に運ばれない白身魚のムニエルの行方を見守っていた。


 ――ベルと僕の婚約が、解消される……。


 お抱え料理人が朝早くから仕込んで調理してくれた、まだ湯気のたつほど温かい白身魚の切り身を見つめつつ、ジョセフはつい先程の父の言葉を頭の中で繰り返していた。


「ベルのやりたいように。森の魔女の薬が引き継がれることは、領にとっても喜ばしいことだね」


 領土の半分を占める森。その森に生息する薬草を使って薬を作る森の魔女。魔女の薬の生成方法は師から弟子へとレシピが代々継承されるものだが、現在の森の魔女である祖母は夫が健在の時には領主夫人としての立場もあり薬作りから離れていた時期が長かった。その為、これまで弟子がいたことはない。

 そして、既に高齢の今となっては新たに他から弟子を取る予定もなく、その伝承レシピを引き継ぐ者は居らず、森の魔女の薬はあと数年もすれば完全に消滅してしまうと思われている。


 ジョセフがベルのことを慕っているのは重々分かってはいたが、領主の立場から考えれば姪が薬魔女になることを反対する理由は思い浮かばない。そんな父から厳しく叱責された言葉を、ジョセフは何度も頭の中で反芻しては項垂れていた。


「次期領主として、何が領の為に必要だろうか? 良く考えてみなさい」


 魔法使いの尊厳を守る意味もあり、この国では領土間での薬の流通に制限がある。それぞれの領地では、それぞれの薬魔女が製造した薬しか販売することが出来ず、他領の薬は個人で使用する分を現地調達するくらいしか出来ない。

 つまり、一人の薬魔女が居なくなれば、それまで彼女が担っていた分の薬の供給が完全に途絶えてしまうということ。


 ――でも、だからと言って……。


 薬魔女と領主夫人の立場が両立できないのは、祖母がグラン家へ嫁いだ後に薬作りから離れたことでも理解しているつもりだ。けれど、祖父母の代とは時代が異なる。社交の場に一切出てこない夫人だって珍しいことではなくなっているはずだ。

 なのにジョセフの意志に関係なく、あっさりと婚約が無かったことになってしまった。


 ――ベルは平気なの? 僕の婚約者じゃなくなっても……。


 追い打ちを掛けられるのが怖くて、本人には直接問いかける勇気は無かったが、隣に座る従姉妹へと視線を向ける。

 小さくちぎったパンの最後の一欠けらを口に放り込んだアナベルは、それをグラスに入った水でこくりと飲み込んでいた。飲み切って完全に空になってしまったグラスをしばらく眺めていたので、飲み足りないのかと気を利かせて代わりに給仕の者を呼んであげようとしたジョセフだったが、気付いたベルに首を横に振って制される。


「水なら自分で出せるわ」


 そう言いながらベルが手を添えると、ついさっきまで空だったグラスはシュワシュワと小さな気泡を立てながら、ゆっくりと水で満たされていく。半分の嵩まで溜まったグラスをジョセフの方に向けて、ベルが「ほらね」と笑って見せてくる。


 素っ気ないようでいて、こんなに無邪気で可愛い従姉妹のことを簡単に諦められる訳がない。親同士が勝手に決めて勝手に解消した婚約だ、いつか自分達の意志でまた約束を交わし直せばいい。

 ジョセフはいつもとは違うドレスアップした愛らしい従姉妹の姿を熱い眼差しで見つめた。

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