第2話・祖母の誕生日会

 熟練の庭師によって計算し尽くされた景色は、離れから本館へ渡る短い距離であれ、つい足を止めてしまいそうになるほど観る者の心を奪う。咲き誇る花の色まで考え抜かれた植木に、程良い間隔で設置された彫刻やベンチ。遠くに見える石壁までもが風景の一つとして誂えたかのようだった。


 朗らかに談笑しながら前を歩く伯父の隣には、その妻であるリンが夫の左腕に自分の手を添えている。時折、あははと快活に笑う義理の伯母の姿に、ジョセフは自分の母とは大きく違うと感じていた。


 ――母上が大きな声を出して笑うなんてこと、あったっけ?


 口元を手で隠し、声を控えて上品に微笑む母親しか知らない。大商会の娘であり、目利きに優れた鑑定士でもあったという母は、リンに劣らずよく笑う明るい人だが、商人としての気質だろうか、いまいち本心が掴み辛いところがある。その点、目の前の伯母は感情が明白で、とても分かり易い。


 ――ベルも、もうちょっと素直になってくれるといいのにな。


 母親に倣って、隣を歩くジョセフの左腕に手を添えている少女は、部屋を出てから一度もこちらを向こうともしない。ただ前を向いて、本館まで続く回廊を仕方なく歩いているだけ。


「はぁ……面倒だわ」


 たまに耳に聞こえてくる小さな溜め息を、この短い間に何度も吐いている。ちらちらと横に視線を移しては、ジョセフはその華奢な手が自分の腕に触れていることに頬を緩ませていた。


「今日はただ食事するだけだから、平気だよ」

「そんなの、大人だけでやればいいのに……」

「大丈夫。ベルの席は僕の隣にってお願いしてあるから」


 少年の言葉に、ようやく彼の方を振り向いたベルの顔には、明らかな呆れの表情が張り付いていた。「誰が隣でも、何も変わらないわ」吐き捨てるように言うと、再び進行方向から目を逸らさなくなる。



「ご無沙汰しております、母上」

「お義母様、お誕生日おめでとうございます」


 本館に渡った四人は本日の会場となるホールに到着すると、壁際に設置されたティーテーブルに腰掛け、老齢の執事を相手に話し込んでいた老女へと歩み寄る。魔女らしい黒色のロングワンピースを身に纏い、穏やかに微笑んで迎えたのが本日の主役でもあるグラン前領主夫人。普段は森の中にある別邸で過ごしている夫人は、久しぶりに顔を合わせた馴染みの使用人と共に、思い出話に花を咲かせていたようだった。

 彼女の息子達の存在に気付いた執事は、軽く一礼するとその場を静かに立ち去っていく。


「あら、あなたたち、いつ着いたの?」

「今朝方です」

「まあ、慌ただしいことね。それで、いつまでいられるのかしら?」

「それが、今日の夕刻には……休みが取れませんでね」

「あらあら。それではベルも寂しいわねぇ」


 ホールに着くや否や、ぱっと従兄弟の腕から離れて、すぐさま母のドレスの後ろに隠れてしまった孫娘を覗き見る。普段は離れて暮らす親子が揃っているのはいつぶりだろうか。


「お誕生日、おめでとうございます。お婆様」

「ありがとう。今日は綺麗に結い上げて貰ったのね、とても素敵よ」

「ふふ。ありがとうございます。お母様にしていただいたんです」


 祖母から髪型を褒められ、素直に喜んでいる従姉妹を見て、ジョセフは首を傾げる。どうして自分が褒めた時は、あんなにキレられたんだろうか、と。本当にお姫様みたいだと思ったからそう言っただけで、嘘くさいと切り捨てられたのは何故だろう。


 従姉妹のアナベルはいつもそうだった。ジョセフが思ったままを伝えても、呆れた顔をして信じてくれない。どんなに褒めても、どんなに大事な存在だと言っても、冷ややかな目ですかされてしまう。


 けれど、ジョセフは知っている。彼が大切だと思っているのと同じくらい、従姉妹も彼のことを大切にしてくれていることを。だから、どんなに冷たくあしらわれても、それはベルなりの照れ隠しなのだと信じられた。


 ――だって、ベルは大事にしていた薬を、僕の為に使ってくれたんだから。


「娘からの手紙に書いてあったのですが、母上から薬作りを教えていただいてるとか」

「そうそう、週に二日くらいかしら。庭師と一緒に森へ通って来ているのよ。筋が良いから、もう随分と種類が作れるようになったわ」

「そうなの、お父様! 私、将来はお婆様みたいな薬魔女になりたいんです」


 使用人達が用意してくれた人数分の椅子に、祖母を取り囲むように腰掛けていた面々は、声を発した少女の方へ一斉に視線を送った。意を決したとばかりに高揚した顔で宣言したアナベルは、祖母と両親に向かってにこりと微笑んで見せる。


 彼女らの後ろでは、長いダイニングテーブルの上に食器やカトラリーが並べられ、着々と食事会の準備が進んでいた。テーブル中央には夫人の好きな黄色の花のアレンジメントが飾られ、本日のテーブルクロスはそれが映える薄緑色の織物が使用されていて、まるで春の情景を連想させる。


「薬作りがとても楽しいんです。私なら、一日中どれだけ作っていても平気よ」

「そうねぇ、ベルの魔力量なら私の後を継ぐには十分だわ」

「母上の後継というと、森の魔女、ですか――」


 父親譲りの魔力を保有するアナベル。魔力を持たない者の方が多いこの国で、魔力持ちは特別視され、中でも高魔力持ちはジークのように宮廷魔導師として王都への誘いを受けることがある。おそらく、ベルも数年の内に王都からの勧誘を受けるはずだ。


 ただし、王都へ誘われたからと言って、それは必ずしも強制ではない。この国は希少な魔法使いの権限は最大限に守られ、優遇される為だ。魔力持ちは国にとって宝であり、同時に脅威でもある。かつて国を一番の危機に陥れたのは、魔術師達の反乱だったという国史がそれを物語っている。


「薬魔女か、私は別に構わないんだが……それは、ゾースにも相談してみないことにはね」

「そうね、宮廷魔導師よりは薬魔女の方が、ベルには向いていそうだわ」


 まだ12歳になったばかりの娘が言い出したこと。最初は勢いだけで言っているのかと思った二人だったが、その意志の強い瞳を見れば反対する気は起こらない。王都での生活が落ち着いたこともあり、この機にと一緒に連れ帰るつもりでいたが、いつの間にか大きくなった娘は自分の居場所を新たに見つけていたようだ。


「どうして叔父様に相談しなきゃいけないの?」

「あら、だって。お婆様に正式に弟子入りさせていただくのなら、ジョセフ君との婚約をどうするかを決めていただかないといけないわ。どちらも中途半端は許されることではないもの」


 次期領主になる予定のジョセフとの婚約は、子供達が幼い頃に親同士で勝手に決めたこと。前領主の第一子であったジークは領主職を辞退したが、その一人娘であるアナベルが次期領主であるジョセフの伴侶となれば、グラン家の家督争いは近い将来まで心配ないだろうと。


「そんなの、婚約解消でいいの。領主夫人なんて、面倒だもの」


 目の前で話し合われる内容に、ジョセフは頭が付いていけないでいた。ただ、ベルが口に出した「婚約解消」という単語が、頭の中をぐるぐる巡っているだけだった。


 ――婚約、解消? ベルと僕との、婚約が無くなる……? え、えっ、えーっ?!


 一気にジョセフの顔から血の気が引いていく。

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