次期領主は引き篭もり魔女を愛してやまない

瀬崎由美

第1話・ジョセフ少年の恋

 屋敷中に飾り立てられた花々は麗しく咲き誇り、厨房からは食欲をそそるかぐわしい香りが漂う。いつもは文官達が慌ただしく出入りする玄関ホールだったが、今日は朝から役人らしき姿は一人も見えない。

 今日がどんな日であるかを知らずに訪れた者は皆、門番によって無情に追い返されていた。


「急ぎじゃないなら、せめて夕刻に出直した方がいい。この時間は誰も通さないように仰せ遣っている」

「何かありましたっけ、今日?」


 配属されてまだ日の浅い文官は、同僚が何か今日の日のことを言っていたような気もするが、と首を傾げた。脇に抱えた鞄の中には、領主の判が必要な書類が束で入っている。館の三階にある執務室にそれらを届けるよう上司から命じられたのは昨夕のこと。何も考えずに普段通り、朝一で持って来たつもりだったが、どうやら大変なことを度忘れしていたようだ。


「あんた、文官のくせに知らないのか? 今日は大奥様の誕生祝いで一族が勢揃いされる日だよ。すでに王都からはジーク様ご夫妻も駆け付けて来られている」

「え、あの英雄様も? ――それは、大変な日に来てしまったみたいだな。大人しく出直した方が良さそうだ」


 現領主であるゾース・グランの実兄であるジーク・グラン。封印から覚めた古の竜を倒し、有名な冒険譚のモデルにもなっている男の名を知らぬ者は、この領にはいない。今は宮廷魔導師として王都にいると聞いていたが、わざわざ母親の誕生祝いの為に帰郷しているのだという。


「一族でお食事されるだけとは聞いているが、久しぶりに領主様のご兄弟が揃われる日だ、急ぎでないのなら――」

「ええ、また夕刻にでも伺い直させていただくことにします」


 ぺこりと小さく頭を下げると、若き文官は少しばかり照れ笑いを浮かべながら門を後にした。一族水入らずにあえて水を差さないといけないような、急を要する書類は含まれていなかったはずだ。



 本館とは中庭に面した回廊で繋がる離れの一室。その木製の扉を前にして少年は右手の拳をどう振るべきかを悩んでいた。栗色の髪を後ろへ撫でつけてはいるが、12歳にしてはまだ幼さの残る顔は少しばかり緊張の色を見せている。


 ――乱暴じゃなく、スマートなノックってどうだったっけ? あまり早過ぎたら急かしてるみたいだし、遅ければ間抜けに思われてしまわないだろうか……。ああ、力加減も一度意識してしまうと、難しいものだな。


 些細なことも変に考え込んでしまうと、訳が分からなくなる。今まではどうしていたのかが思い出せない。

 部屋の前で悶々としながらも、一刻も早く扉を開き、中にいるはずの少女の顔が見たくてしょうがない。


 今日の為に誂えた真新しいスーツを身にまとい、大きく深呼吸してから右拳で扉を二度叩いてみる。手入れの行き届いた重厚な扉は、その重さの割に音も無く内側へと開き、中からは母親ほどの年齢のふくよかな体格の侍女が顔を出した。離れ付きの侍女で、少女の世話係をするマーサだ。


「あら、ジョセフ様。いかがなさいましたか?」

「アナベルの支度は、もう終わった?」


 嬉々として、マーサ越しに部屋の中を覗き込んでみるが、お目当ての少女の姿は見えない。奥の部屋で着替えの最中だろうか。ガックリと肩を落とすが、少しだけホッともしていた。


 ――良かった。今のノックは、少し子供っぽかったし、彼女に聞かれなくて助かった。


 思った以上に力が入り過ぎたせいで、あまりスマートな叩き方だったとは思えなかった。しばらくは寝る前に自室で扉を叩く練習をしようと心に決める。


「おや、ジョセフ。ベルのエスコートに来てくれたのか? 娘達はまだしばらくかかりそうだね。髪型がどうとか、奥で大騒ぎしてるよ」

「あ、伯父上。ご無沙汰しております」


 部屋の中央に設置された六人掛けソファーから、伯父であるジークに声を掛けられて、ジョセフは慌てて胸に右手を添えて頭を下げる。本来はここグラン領の領主職に就くべき立場だったジークは、その魔力を評価されて王都から宮廷魔導師として誘われ、妻と共に領を出ていた。そして、彼の代わりに領主職を継ぐことになったのが、ジョセフの父であるゾースだ。


「身内だけの食事会とは言っても、アナベルのエスコートは婚約者である僕の役目ですから」

「あははっ、それは頼もしいね。是非とも頼むよ」


 鼻息荒く言ってのける甥へ、ジークは可笑しそうに笑い返す。目の前の席へ腰掛けるようジョセフに勧めてから、部屋付きの侍女に彼用のお茶を願い、既に空になっていた自分のカップを引き上げさせる。


「そう言えば、伯父上達はいつまでこちらにいらっしゃるのですか?」

「それが、今日の夕刻には出ないといけないんだ。ちょうど役職が替わったばかりで、あまり長く休暇が取れなくてね」

「ああ、父から伺いました! 魔導師長に就任されたとか。おめでとうございます!」


 国の魔術関連の業務を統括する魔導師団のトップに伯父が就任したと聞いたのは、つい先日のこと。宮廷魔導師に選任されるだけでも名誉なことで、その魔導師を輩出した領にも与えられる恩恵は大きく、彼が領主職を辞退して王都へ行くことを選んでも、反対する者は誰一人いなかった。その頂点に伯父がいることは、甥であるジョセフにとって誇りでもある。


 王都の話を詳しく聞こうと身を乗り出しかけたジョセフだったが、彼の真後ろの扉がガチャリと開く音を耳にし、そのまま勢いよく振り返る。

 開いた扉の向こうから姿を見せたのは、落ち着いた深緑のドレスに身を包んだ黒髪の女性。きっちりと結い上げられた髪に、快活さが滲み出た顔立ち。


「あら、ジョセフ君」

「ご無沙汰しております、伯母上」

「ベルのエスコートに来てくれたらしいよ」


 夫からジョセフが居る理由を聞かされ、妻であるリン・グランは「あらまぁ」と両手を口に当てて嬉し気に微笑んでみせる。けれど、すぐに困った表情に変えると、自分の後ろに隠れてしまった娘のことを振り返り見た。


「ベル。隠れずに、ジョセフ君にも見ていただきなさい。せっかく綺麗に髪を結ってあげたんだから」

「別に、いつも通りでも良かったのに……」

「またそんなことを言って!」


 母親に背を押されるように部屋を出て来たのは、ジョセフと似た栗色の髪の同い年の少女。普段は無造作に下ろしているだけの長い髪は編み込んでから結い上げられ、白い首筋が露わだ。淡い空色のワンピースはシンプルな形で腰の大きなリボンが彼女の華奢さを際立たせていた。


「ベル。すごく、可愛い。お姫様みたいだ」


 ソファーから立ち上がったまま、茫然と従姉妹の姿に見入るジョセフ。普段とはまた違う雰囲気の少女に、少しばかり照れてしまったのか、頬が熱を帯びている。自然と口から出た言葉は、紛れもなく本音で、世辞などというつもりは一切なかった。

 けれど、言われたベルことアナベルは顔を真っ赤にして、キッと従兄弟に向かって睨みつけてくる。


「だから嫌なの! ジョセフはいつも嘘くさい!」

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