リフォーム16/二人に足りないもの(中)



(――貴男が、どんな決断をしても私はそれを尊重しますわ)


 目を閉じたシャロンは、静かに五郎の返答を待っていた。

 もし、彼がそれでも体を求めるのなら、彼の心が堕ちる前に一緒に死ぬと。

 もし、恋人に戻ろうと言い出すなら、絶対に拒否しようと。


(…………震えてるの、シャロン?)


 思考停止に陥っていた五郎は、彼女の怯えに気づいて正気を取り戻した。

 きっと彼女も怖いのだ、離れてしまうのが、恋人として繋がれていないから。

 そんな彼女を愛おしく思ってしまう、どうしよもなく求めてしまう。


(もう、無理なのかな)


 五郎の心が叫んでいる、シャロンと離れたくないと。

 二人の関係が正常に、普通の恋人に戻れないのなら。

 否、そもそも普通の恋人だった時があるのだろうか、間違った恋人同士だったなら、その先も間違ったままではいけないのか。


(嗚呼、駄目だ、駄目、なんだよ)


 五郎は唇が白くなるほど強く噛みしめ、力なく彼女から体を離す。

 無言、わなわなと震える彼をシャロンは静かに見据えて。

 彼は何と返すのだろうか、彼の事など全て理解していた筈なのに何も分からなくて。


(恋人に戻ろうって言われたら、拒絶してさしあげますわ。セフレになろうって言われたら、心中してあげます)


 シャロンには耐えられなかった、己の為に五郎が輝きを喪っていくのが。

 彼はもっと眩しくて、正しくて、引っ張っていってくれる存在で。

 そんな白馬の王子様という妄信を、押しつけてしまっていたのに気づいたからだ。


(逃げるんじゃなくて、二人で立ち向かっていくべきでしたの、引っ張って貰うんじゃなくて、私も貴男を――)


 過ちは正さなければならない、そうシャロンが決心する一方で。

 五郎は深く、深く沈んでいく。

 何故、どうしてこうなってしまったのか、離れたくないから駆け落ちして、親友に戻って


(親友なんて曖昧な関係じゃなくて、完全に断ち切る方がいいって僕も分かってるッ、分かってるけどさぁ!!)


 溢れ出る感情が押さえきれない、本当は恋人に戻りたい。

 一瞬でも離れたくない、誰の目にも触れさせず隠しておきたい。


(結局、――――僕もシャロンの家族と同じなんだ)


 我が儘な愛を注いで悲しませてしまっている、否、それよりも悪い。

 きっとこの感情は妄執で、執着で、本当は理解していた。


(シャロンがさ、僕に駆け落ちを唆したって)


 それだけじゃない。


(僕との恋人関係になったのも、逃げ場が欲しかったからだって)


 今の彼女の想いは本物だろう、でも最初は違った。

 好きだから、イエスという告白の返事の裏に嘘があるのが分かってしまった。

 だから繋ぎ止めようと必死になって、初めて夜を共にした日。


(君は嘘でも愛してるって、後ろめたさを隠しながら必死に演技してくれたよね)


 駆け落ちする頃には本物に変わっていったと思う、けれど頭の片隅にどこか疑いがあって。

 なんとかやってこれたのに、耐えきれなかった。

 それでもと足掻いて、破綻してしまった。


(本当にもう、駄目なんだな……ッ)


 恨めしい、愛しているのに憎く感じてしまう。

 愛を受け入れたのはシャロンなのに、駆け落ちまでしたのに、親友に戻ることも。

 けど、今になって拒絶するのか。


(なんて愚か、――僕は君に愛の見返りを期待してたワケか)


 乾いた笑いすら出てくる、破綻する筈だ。

 和久五郎と奥間シャロンの恋愛は、恋人になった時から間違っていた。

 ――――それでも。


(シャロン……君は僕のものだ)


 もう無理なら。


(我慢しなくて、いいよね)


 ぷつん、とか細い線のような何かが切れる音が聞こえた。


「ははは、はははははははっ」


「ご、五郎?」


「ははははははははははははははっ、ははっ、あー、おかしいッ、間違ってた!! 僕らはッ、いいや違うッ、僕が間違ってた!!」


「ちょっと五郎、しっかりし――ってぇっ!? な、なんで包丁を取ったんですの!?」


「答えは、はいかイエスしか認めないよ。……つべこべ言わず僕の女になれ、嫁になれ」


「うええええええええええええええっ、も、もしノーって言ったらどうなりますの!?」


「………………さよならシャロン、君を弔った後に警察に行って余生を送るよ」


「なんで貴男がそうなるんですのよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!! 唸れ私の足ィ!! 追いつかれたら、死、あるのみですわーーーー!!」


 そして鬼ごっこが始まった、シャロンは居間から縁側に飛び出し裸足のまま庭へ。

 五郎も包丁片手に追いかける、その目は見るからに狂人のそれ。


「安心してよ、殺すのは最終手段。ちょっとアキレス腱を切るだけだからさ、安心して、その後は快楽しかないよ」


「安心できる要素が一つもございませんわああああああああああああああ!!」


「大人しく僕に捕まってよ、それとも焦らしてる? うーん、君ってば僕を煽るのが上手いなぁ」


「ポジティブシンキングも程ほどにしてくださいましいッ!?」


 シャロンは庭の端にある小さな畑に逃げ込み、二十日大根を引っこ抜く。

 包丁を持った男を相手にするには心許ないが、ないよりはマシだ。


「くらえっ、これが二十日お大根のパワーですわ!!」


「食べ物を粗末にするなって教わらなかった?」


「命を粗末にしようとしている五郎に言われたくありませんわよっ!!」


「うーん、抵抗されるのって正直燃えるんだけど、やっぱり煽って焦らしてる?」


「バッカじゃありませんの!? ばーかばーかばーか!! 貴男ってサイテーの男ですわね!! なんで愛してるなんて言ったのかしら不思議で仕方ありませんわよ!!」


 やはり長物でなくては駄目だと、シャロンは物干し竿を手にするべく走り出した。

 物干し竿の場所は五郎の背後に位置している、ならば 庭から外に逃げると見せかけて家の周りを外周。

 捕まる気はない、けれど逃げる気もない、彼女は立ち向かう事を選んだからだ。


(んもおおおおおおおおおお、そりゃあ五郎がヤンデレっぽい所は気づいておりましたけれど!! そういう所もきゅんきゅんくるって嬉しかったですけども!!)


 実際に強行手段に出られると、また話は別だ。


(なんか五郎に押しつけていた幻想がボロボロと壊れていく音がしますわーー!! いえ良いことな筈なんですけども!! みっともなく執着する姿に愛情を感じてしまうあたり私もダメダメですわ!! だからこそ受け入れてしまうワケには!!)


 正直な事をいうと、もっとラブラブな状態でそれをして欲しい所だ。

 もしそれがもっと前の段階で言えていれば、何かが違ったのかも知れない。

 原因はきっと、シャロンは確信して舌打ちをした。


(――逃げ方が変だね、このままだと庭に戻る、何をする気? 誰かに助けを? それとも僕に対抗する手段を探してる?)


(ッ!? あの表情!! 気づかれたっぽいですわ!! となれば物干し竿は悪手? それとも初志貫徹? どうすりゃいいんですわよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!)


 そもそも、殴って気絶させて何か解決するのだろうか。


(――――――いえ、暴力は全てを解決しますわ!! 言葉など無力!! でなければ私達は破局してませんコトよッ!!)


 命の危機に、シャロンの頭のネジは飛んでいった。

 物干し竿を無視して通り過ぎ、倉庫の中へ駆け込む。

 出入り口は一つしかないが、誰かが移動させていなければアレがある筈で。


「あった!! 私の――マイ・チェーンソーッ!!」


「………………えっと、その、シャロンさん? 美しい手にお持ちのソレは…………どうするのでしょう??」


「私ッ、殿方の暴力に負ける女じゃございませんわーー!! 貴男が育てたのですッ!! こんな女にしたのですわッ!! だから…………私を殺したり犯したりするなら、貴男が死ねぇ、今からチェーンソーマン!! もしくは13日の金曜日でもいいですわよおおおおおおおおおおおおおおお!!」


 ばるるん、ばるるんとチェーンソーのエンジンが唸る。

 ギュイイインと刃が回転する、シャロンの顔はヤケッパチ百パーセントで。


「うおおおおおおおおおおッ!? あ、危ないっ!? 死ぬよ!? 僕、マジで死ぬよそれ!!」


「安心なさってーー!! 殺してから後悔しますわーー!!」


「どこにも安心できる要素がない!!」


「もう止まりませんわよ!! 包丁を捨てて全裸土下座してもぶっ殺す!!」


「あ、これマジなやつだよねぇッ??」


 芋ジャージチェーンソー女VSヤンデレ包丁男という第二ラウンドが開始。

 フィールドは倉庫、幸いにして出入り口は五郎の背後だ。

 しかし迂闊に逃げると、ブチ切れシャロンに背中からまっぷたつの危険性がある。


(こ、殺しますわ!! 全ては殺してから考える!! 愛する者を死にたまへ!!)


(殺るしか、ないのか……本当に、殺るしかないのかッ!!)


 じりじりと後退して庭に戦場を移そうとする五郎、そこに冷静な判断などない。

 単に、気迫で負けているだけである。

 彼に額には脂汗が滲み、死の予感が焦燥感となって襲いかかる。


「ほほほほほほっ、貴男の腕を切り取ったら私の腰に巻き付けますわよぉ!!」


「あいみょんの歌を実行しようとするなよッ!?」


「私のモノにならないのならば死んでしまえッ!! 私ッ、今ッ、超共感していますわーーーーッ!!」


「死んでたまるかああああああああああああ!!」


 五郎は思い切って背を向け走り出した、向かうは物干し竿。

 相手よりリーチの長い獲物を手に入れるのだ、だがそれを見てシャロンは焦ることなくゆっくりと追う。

 ぶるるん、ぶるるんとエンジン音が五郎の心を追いこんで。


「――――これがあれば!!」


「ふっ、それは私も考えましたわ。……でも、ウチの物干し竿には致命的な弱点があるッ!!」


「何を!? これで獲物の長さでは僕の有利だ!!」


「おバカさんですね五郎は、ウチの物干し竿は木製の手作り!! ――即ち、鉄で何とかなる!! おほほほほほっ!! チェーンソーの敵ではありませんわーー!! チェーンソー無双!! チェーンソーしか勝たんっ!!」


 しまったと舌打ちしながら、五郎は物干し竿を構えた。

 だが不利といっても、やりようはある。

 チェーンソーに切断される前に、リーチを生かして突く事が出来れば勝ちだ。


「何処からでもかかっていらっしゃいな、それとも足下のお包丁を使いますか? それぐらい待って差し上げてもいいですわよ!!」


「ふん、その手には乗らないよ」


「では大人しく降参してくださる? 殺すのが楽になりますわーーっ!!」


「ッ!? 来るッ」


 彼我の距離は十メートル、物干し竿という名の細い角材に臆さずシャロンは走り出した。

 五郎もまた走り出し、すぐさま物干し竿をシャロンの胴めがけて繰り出す。

 だがそれは届く前に、チェーンソーに切断され。


「――――ちょっとタンマ、冷静になろうじゃないか僕ら」


「遺言を残す時間はさしあげてもよろしくてよ!!」


「僕が全面的に悪かった、降参する、反省として君の巨乳を支えるブラになるから許して欲しい」


「本当に反省してますソレ??」


「実はそうとうパニくってる、なんせこんなにあっさり物干し竿が切られると思ってなくてさ、いやもう捨てたほうがいいねコレ」


 長さが半分になった物干し竿を捨て、五郎は深呼吸を二度三度。

 殺されるのは嫌だ、だってそれはシャロンと離れる事と同じだから。

 これを乗り越えないと、彼女を閉じこめられない。


「――――でも、それはフェアじゃないよね」


「五郎?」


「よし、…………チェーンソーなんて捨ててかかって来いよシャロン!!」


「なんかネットでみたヤツ言いだしましたわっ!?」


「僕は君を殴ってでも監禁して犯したい、君は僕を殺したい、――――殴り合いで決めないか?」


「バカですの? そんなの受けるワケ……ってぇ!? なんで脱いでるんですのバカですの五郎!?」


 目を丸くするシャロンの前で、五郎は服を全て脱いで全裸になる。

 そこに意図は存在しない、殴り合いという言葉すら思いついた事を考え無しに提案しただけだ。

 フルチンでファイティングポーズをとる彼の顔は、自棄の一言で。


(こ、これはどういう……って考えるまでもありませんわね!! きっと何も考えてませんわよーー!!)


 ならば、このままチェーンソーで切って殺してしまえばいい。


(――――でもそれは、負けた気がしますわッ!!)


 これが最後の逢瀬かもしれない、ならば殺す前にステゴロに付き合ってもと。

 拳のみで向かってくるならば、拳で制圧してこそ女の本懐ではないか。

 頭が茹だりきっているのはシャロンも同じで、彼女はチェーンソーの回転を止めると地面に置いた。


「へぇ、付き合ってくれるのかい? 安心しなよ顔は殴らない」


「わざわざステゴロに付き合うとでも? 頭お花畑ですわねぇ」


「君ほどじゃ…………ね、なんで包丁拾ったの??」


「私ね、思いつきましたの。絶対に貴男に勝てる方法が」


「つまり?」


 シャロンは大輪の華が咲くように微笑む、同時に包丁の刃を己の首筋にあてて。

 静かに目を閉じる、さよならと言わんばかりに。


(これで、私から解放してあげますわ)


 思考経路はショート寸前どころか、焼き切れて自分でも支離滅裂だった。

 自分の手で死んでしまえば五郎の目的は達成されず、その上で彼の心に呪いのように一生残る傷跡を与えられるだろうと、あるいは彼の救いになるかもしれないと。

 この行為が逃げなのか、抵抗なのかも分からずに。


「このぉッ――――」


 刹那、五郎は自分でも驚くほど素早く動いた。

 シャロンが目を閉じていた事も幸いして、包丁を白い首から遠ざける事に成功し。

 だがそこからまた始まってしまった、包丁を奪われまいと二人は空いた手で殴り、自由な足で蹴り。


「いやっ、いやぁ!! 死なせてっ、死なせなさいよバカぁッ!!」


「誰が死なすかよ!! 勝手に死のうとするんじゃないッ!! 絶対に犯してやるッ、死のうとした事を一生後悔しながら僕に犯されるだけの人生にしてやる!!」


「この強姦魔!! よくも愛する人にそんな事が言えたわね!! 死ねっ、死んでしまいなさい!!」


「ッ、シャロンんんんんんんん!!」「五郎おおおおおおおおおおおおおおお!!」


 二人の間を包丁は何度も行き来して、五郎もシャロンも何を取り合っているか忘却した瞬間であった。

 彼の右手には包丁、それを自然な流れで彼女の腹部へ思いっきり。


「――――――ぁ」


「………………嗚呼、やってしまいましたわね五郎」


「ご、ごめっ、ちが、ちがく、うぁ、こ、これは、僕、僕は――――」


 五郎の顔は青ざめた、なんて事をしてしまったのだろうか。

 暴力をふるってまで手に入れようとした、いざとなれば心中しようとしていた。

 だが、決して、殺したかった訳ではないのだ。


「~~~~~~っ、ぁ、あああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」


 愚かな男の、苦痛に満ち溢れている掠れた叫びが響きわたった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る