リフォーム13/マネーアウトフェイク(前)



 突然の金欠宣言に、言った本人である五郎とシャロンは驚いた。


(え、マジ? マジで?? 確かにお金は足り苦しいけど、わざわざ改まって言うほどヤバいの!? そんなバカな、だって僕が把握している限りは記念日サプライズに使うお金ぐらいはあるってのに……)


(どういうコトですの!? 記念日サプライズをしようと思ったのに……、い、いえ冷静になるのですわ、私が確認している限りではサプライズの費用ぐらいは簡単に出る)


(でもシャロンが言うんだから、正しい筈なんだ、でも――)


(五郎が嘘を言うワケがありませんものね……けれど)


 信じられないとお互いを見る、貧乏という焦燥が身を焦がす。

 ひりついた空気の中で。圧迫感のある沈黙が二人の間にあるちゃぶ台の上に横たわった。

 ごくり、と唾を飲む音はどちらからしたのか。


(嘘を……ついてるのかいシャロン)


(金欠だと嘘を言って、何かを企んでますの?)


(でも本当だったら大問題だ、それに……)


(サプライズの事をバレる訳にはいきませんわ)


 相手の言葉を信じるしかない、両者とも同じ記念日サプライズが目的であるが。

 それが故に、相手に伝える事ができずに。

 だからこそ疑ってしまう、自分が嘘をついてしまったから、信じられない。


「そ、そっかぁ……ベッドを作った時の材料費って結構した筈だもんね」


「おほほほっ、そうですわーー!! 次にお金が入るまでの一週間、何とか乗り越えないといけませんのよ!!」


「確かに、僕も君もバイト代はその頃だね」


「なので暫くは節約生活!! おビール様とか飲めませんわ~~!!」


 シャロンの言葉は嘆きが込められていた、だがどこか不自然で。

 彼女としても、五郎の台詞には妙な含みがある気がする。


(仮に金欠が嘘だったとして、何か出費がある筈だよ)


(そういえば五郎には合コンの予定がありましたわね、――金欠と嘘を言って、合コンの為の資金を稼ぐおつもりですのッ!?)


(くっ、そういえばシャロンにはお見合いの話があった!! なら少しでも綺麗に見せる為の資金が必要なのか!?)


((…………怪しい))


 だがそれを口に出してしまえば、疑っていると知られる事になる。

 ただでさえ恋人から親友へと、男女の関係にしては曖昧な関係になっているのだ。

 余計な罅をいれる訳にはいかない、とはいえ気になる事は確かで。


「そういえば、一週間分の生活費と次のバイト代があればさ、シャロンはもっと綺麗に着飾れるんじゃない?」


「貴男こそ、つなぎ姿ではなく流行の服とか買えるんじゃありません?」


「っ!? ごめんね、いつも同じような服でさ」


「ほ、ほほほっ、私こそいつもジャージですもの。お互い様ですわーー!!」


 これは当たりかもしれない、二人は相手に鋭い視線を向けた。


(今まで聞いた事なかったけどっ、僕の服装に不満があったってコト!? や、ヤバい、本当にお見合いして僕に愛想を尽かしてそれで、それで――)


(なんというコトっ!? 駆け落ちして貧乏状態ですし、それに楽だからって女を捨てすぎた!? ジャージ姿の元お嬢様なんて捨てて、ひらひらのスカートの女を選ぶと!? そういうコトですのね!?)


 ――ちくりと、シャロンの胸は痛んだ。


(今からでも服を買いに行く? けどそしたらサプライズ計画に支障が出る……、僕はどうすればいいんだっ)


(五郎の気を引かなければ……、もっと可愛らしい女の子っぽい、いえ大人女子って感じの方が、でも今から買うとなるとサプライズのお金がッ)


 追いつめられていく、たった一つの嘘で、坂を転げ落ちる岩のように焦りが勢いを増していく。

 素直になって、行かないでくれと懇願すべきか。

 しかしそれは出来ない、少なくとも言葉には出来ない。

 ――ならば。


「節約生活するって言ったよね、……僕に提案があるんだ」


「お聞きましょう」


「切り詰められる所は切り詰める、つまり光熱費も可能な限り削った方がいい」


「道理ですわね」


「なら、――暖房費を少しでも削る為にさ。もっと近くでくっついておくべきじゃないかな!!」


「ほう? それは親友としてですわね?? あくまで親友として!! 暖房費を削る為にお互いの体温で暖まろうと!!」


 これだ、と二人は同時にちゃぶ台の下で拳を握りしめた。

 常に近くに居るという事は、監視しやすいという事、そしてスキンシップは恋愛において有効な手段。

 手と手が触れ合えば、体温を感じあえば、相手に情が生まれる筈で。


「じゃあ今日はバイトの時間まで、一緒にいようか」


「ええ、離れる時はおトイレの時のみ、――いえ、おトイレの時もそうしますわよ!!」


「それは流石に無しじゃない??」


「ちぇっ、五郎がそう言うなら諦めますわ。でも代わりに…………今から抱きしめて暖めてくださいませ!! 暖かさを重視してベッドの上でいいですわよ!!」


「――――なるほど??」


 冷や汗がたらりと一つ、五郎の顔が少しひきつった。

 シャロンには何か目的がある、その為に誘惑しようとしていると見るべきだ。

 だがここで迂闊に断ることは出来ない、彼にとっても絶好の機会であるのだから。


「わかった、――後悔しないでよ」


「ええ五郎こそ、……私を甘くみない事ね」


 バチバチと火花が散る、二人は相手を睨みつけながら寝室へ。

 そしてベッドの上に座ると、五郎はニヤリと笑う。

 シャロンが嫌な予感を覚えた瞬間、彼は有無をいわさず彼女を“対面”で抱きしめて。


「――――いやっ!!」


「ぇ?」


 とん、と軽く押され五郎は後ろに倒れた。

 彼を押したシャロンは、酷く傷ついた顔で驚いて。

 どうして彼女はそんな辛そうな顔をしているのか、何故、土壇場になって拒絶したのだろうか。


(痛い……痛いですわよ、五郎……)


 心の痛みなんて、気のせいだと思った。

 でも耐えられなかった、だって。


(貴男が、私以外の女を求めてるだなんて――)


 ずきり、ずきりと心臓が痛みを訴えた、嫌だ、そんなのは嫌だと。

 他の女を求めようとしている手で、触れられたくないと叫ぶ。

 見ないフリをしていた、ドロドロとした嫉妬が溢れそうになる。


「…………ごめんなさい五郎、やっぱりそういう気になれませんわ」


 彼に触れれば不安など吹き飛ぶと、醜い嫉妬など消えてしまうと。

 そう思っていたのに、こんなに愛しているのに。

 今は五郎の姿を目にするのすら辛いと、シャロンは立ち上がりベッドから降りる。


「シャロン!?」


「今日は家に居ても顔を合わせないようにしましょう? きっと、その方がお互いの為ですわ」


「ちょ、ちょっと待って!?」


「――では」


 五郎の延ばした手は届かず、呆然と後ろ姿を見送って。


「なんで??」


 意味が分からない、さっきまで良い雰囲気だった筈だ。

 彼女も同じ気持ちで、だから親友のままで出来る限界まで、と。

 だが結果はどうだ? 五郎はシャロンの心を傷つけてしまった。


(分かってたさ、……こうなるって、分かってた筈なんだ)


 別れたのに一緒に暮らしている、なんて不自然なんだろう。

 お互いにまだ愛してるから、愛が破滅を呼ぶ前にやり直そうとしたのに。

 今は、とても後悔している、己はまた間違ってしまったのかとぐるぐると渦を巻く。


(でも……決して間違いなんかじゃない)


 別れる前の二人は、緩やかな破滅を辿っていた。

 シャロンは五郎に依存する事を選び、五郎は依存される事に安堵を覚えて。

 けれど、彼女が彼を繋ぎ止めるように子供を望み始めて、ようやっと気がついた。


(もし子供ができてさ、僕らは親になれるのかい?)


 どう問いかけても、五郎はノーとしか思えなかった。

 この先、ずっと二人一緒にいる為にもリセットが必要だと決断した。

 ――その痛みを、思ったより軽く考えていたのかもしれない。


「…………でも」


 負けてたまるかと五郎は起きあがった、自分の弱さにも、そして彼女の愛にも。

 追いかけなければと足を踏み出す、愛してるなんて言えない、キスして愛を交わす事もできない。

 だから、ただ抱きしめる為だけに彼は進む。


「シャロンはドコだああああああああああああああ!! あっ、何をトイレに隠れようとしてんだよ!!」


「なんで追いかけてくるんですかおバカ!? ここは空気を読んでそっとしておく所でしょうが!! ぐぎぎぎっ、扉から手を離すんですわーーーー!!」


「諦めないッ!! 僕は君が傷つこうとも抱きしめる!! 今すぐにだ!! 逃げる事なんて許さないぞもし本当にトイレに行きたいんでもそのまま抱きしめるから漏らせ!!」


「最低ですわこのヒト!? 最悪ですわ!? 乙女を何だと思ってるんですのよ!!」


 シャロンがトイレの前に居たのは偶然だった、何処にいれば一人になれるかとフラフラしてただけで。

 だが、追いかけて来たので反射的に隠れてしまった。

 逃げるべきだった、そう後悔する前に彼女は抵抗を選ぶ。


「一人にしてくださいったら!! ストーカーですか貴男は!!」


「君がそうだったじゃないか!! 僕の事を言えた義理かよ!!」


「しまったそうだったですわーー!! でもそれはそれッ、これはこれッ!! 男として恥を知りなさい!! こんな可愛い女の子を無理矢理抱きしめようなどと!! 貴男なんて合コンでも風俗でも行けばいいんですわ!! 行ったら殺す!! 殺しますわああああああああああ!!」


「うるさい!! 君こそお見合いに行くんだったら寝室に監禁するからな!! なに勝手に僕の側から離れようとしてんだよ!!」


 瞬間、バキっと音がしてトイレのドアが壊れる。

 板も蝶番も負荷に耐えかねて、己の役目をボイコットしたのだった。

 二人は用を為さなくなった扉を捨て、ファイティングポーズである。


「――へぇ、今度はDVですか? いいご趣味をしておりますわねぇッ!!」


「強引に迫られるのが好きなんだろシャロン? 好みに合わせてやってるんだから感謝の一つぐらいしたらどうだい??」


「そう思うのならッ!! 私を捕まえようとせずに半径5メートルは距離を取りなさい!!」


「なら逃げられないようにするまでさ!! ――――そのジャージを破れば何処にもいけないよね?」


 ひえ、とシャロンの喉からか細い悲鳴が漏れた。

 その美しい顔立ちはドン引きで青く染まり、そして五郎も己の発言に首を傾げる。

 確かにそうすれば目的は達成できるが、流石に。


「いや待った、今の言葉は取り消させて欲しい」


「吐いた唾は飲み込めませんわよ!!」


「どうだろう、交渉しないか? 今の言葉を取り消す代わりに…………謝罪として僕が服を脱ごう!!」


「まさかそれで抱きつくとか、言いだしませんわよね?」


「……………………え? ダメなの?」


「ダメに決まってるでしょうバカ五郎おおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!?」


 先ほどまで感じていた切なさは、いったい何だったのだろうか。

 悩んでいた自分がバカバカしく思えるほど、己の愛する男は強引で。

 清々しいまでに求めてくる癖に、別れたからと肝心な言葉は言わず。


「ああもうっ!! 一言だけでもいいから言葉にしなさいなっ!!」


「ヤだねーー!! 君だって分かってるだろう? だから力付くでも僕の側に居て貰う!!」


「この頭デッカチ!! 甲斐性なし!! 私で童貞捨てた癖に女に甘い言葉で囁いてキープする度胸すらありませんの??」


「僕と出会うまでボッチ根暗処女がなんか言ってらぁ!! 一度は僕の女だったんだから言わずとも察してよ!!」


「なんて時代錯誤!! ジェンダー論の講義を受け直しなさいな!!」


 二人の手は恋人繋ぎのようにがっしりと繋がれ、相手を壁際に追いつめようとグルグルと回る。

 だが男女の力の差がある、いつのまにかシャロンは居間の壁際に追いつめられて。

 繋がる手もまた、壁に押しつけられそうだ。


(このままでは不味いですわーーーーーー!! だがまだだっ!! 両手が塞がってもまだやれるコトがっ、あるッ!!)


(うおおおおおおおおお!! ここからどうするか考えてなかったよ!? どうしようマジでさぁ!!)


 五郎は逃がすまいと必死の表情、シャロンもまた捕まるまいと決死の気迫。

 そして彼女は、彼の瞳の奥の迷いを敏感に悟った。

 ニヤリと不敵に笑うと、出来る限り勢いをつけ。


「根性おおおおおおおおおおおおおおおっ!!」


「――あがっ!?」


「おでこ痛――って、ああっ、倒れ――――」


「――――――……………………んん?」


「ん゛ー…………んんんんんんッ!?」


 シャロンが予想していたより衝撃は軽かった、図らずとも五郎がクッションとして機能したからだ。

 だがそれよりも重要で、想定外すぎる事がある。

 それは彼も同じで、二人仲良く何度も瞬きを繰り返す。


(…………く、唇が!?)


(なんでキスしてるんだよ!?)


 そう、今の二人はシャロンが押し倒す形でキスをしてしまって。

 唇から伝わるお互い温もりが、感触が、これがどうして離れがたい。

 離れなければいけないのに、今すぐに、でも出来なくて。


(どうして……こんなに安心してしまうのよ)


(これ以上は、ダメなんだよ、でも……)


 唇が軽くふれあうだけの、子供っぽいキス。

 けれど何もかも忘れて、相手を愛している事だけを思い出してしまう。

 シャロンの瞳は慕情に濡れ、五郎の目が穏やかな情欲に染まる。

 ――永遠にも似た一瞬の後、二人はゆっくりと顔を離した。


「………………これは、事故、ですわ」


「ああ、事故だよ」


「忘れません?」


「うん、忘れようか、今の僕達には毒でしかないんだ、きっと……」


 名残惜しそうに気まずそうに、二人はそれっきり沈黙を守ったまま立ち上がり。

 しかし、拳ひとつ分以上は離れずに。

 何かを言い掛けては止めてそわそわと視線を泳がす、どこか甘酸っぱい時間は五郎がバイトに出かけた事で終わった。

 ――――その日の夜である。


(シャロン…………? こんな時間に何処へ、いやトイレか……)


 傍らの温もりが消え、眠りについていた五郎は思わず起きた。


(そういえば、口座の残高を確認しておかなきゃな。――シャロンにバレずに、今がチャンスかも!!)


 昼間にやり忘れていた事を思いだし、五郎もまたベッドを後にしたのだった。


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