第12話 飛翔する霧と影

 詠唱とともに放たれた式札は、肉眼では見えない状態に霧散すると、一つの雫となって凝集した。そして雫が落ちて地面を打つと、影のような黒い跡を残した。


 地面にできた黒い跡は水面のように揺らぎ、そこから青黒いカラスが一羽飛び出す。野仲のなかのどかから借り受けている式神のうちの一体、寒鴉小烏かんあこがらすが顕現した。


「つぅっ……」


 野仲が頭痛によろめく。むやみやたらに複数の式神を顕現させるなと和に言われたが、これが理由かと頭を押さえながら納得した。


 しかしそんなことに気をつかえる余裕などなかった。雪入道が異変を察知して向かってくる。野仲は頭を押さえながら寒鴉小烏に命じる。


小烏こがらす! 霧散しろ!!」


 野仲に従い青黒いカラスは形を崩し、目に見えないほどの細かな水滴、霧へと変貌した。野仲と雪入道の間に霧の幕が降り、辺りを霞ませる。


 雪入道はキョロキョロと頭を振り、時たま腕を振り回し近くの木々を薙ぎ倒すも、野仲を捉えることはできない。立ち込める霧が野仲の姿を隠していたからだ。


「燃え上げろ赤獅子あかじし!」


 隙をついて野仲が赤獅子に命じると、雪入道の足元から火柱が上がり燃え盛る。


「グゥゥゥゥウゥアアアァァ!!」


 悲鳴をあげるも、雪入道は自身の口から足元に吹雪を吹きつけ鎮火させた。赤獅子の攻撃も効果はあるが、やはり決定的なダメージは与えられていない。


 どうする、と野仲が逡巡した瞬間、雪入道が周辺にデタラメに吹雪を吹きつけ始めた。立ち込める霧が冷やされ、霧氷となり木々に氷を張り付ける。野仲の姿を隠していた、小烏の霧が薄れた。


「みぃづけたぞぉ!!」


 雪入道の大きな一つ目が野仲を捉える。雪入道は太い腕を地面に突き刺すと、野仲に向かって掘り上げ、大小無数の石つぶてを放った。拡散しながら野仲に襲い掛かる石つぶてを避けようと野仲が駆ける、が。


「ぐぁっ!」


 避けようとした野仲の側頭部を石つぶてが掠り、衝撃で野仲は飛ばされ、転げながら木に体を打ちつけた。


 掠めた側頭部から血が頬を伝う。目が霞む。雪入道が拳を上げながら飛び掛かってくるのが、野仲の霞む視界に入った。


 その刹那、野仲の中でひとつの策が浮かんだ。成功するかどうかもわからない、ただの賭けのような思いつき。


 野仲は月明かりに照らされてできた自身の影に触れる。


「沈めろ、裏通せ、寒鴉かんあ


 とぷん、と野仲は水面に落ちるように自身の影に沈み落ちた。野仲に向かって振り下ろされた雪入道の拳は地面だけをえぐり、人を潰した感覚も野仲の姿もない。しかし野仲が沈み落ちた地面には、取り残されたように影だけが黒く広がっていた。


 雪入道の前から姿を消した野仲は、先ほど霧氷が吹きつけていた木の根元に突如として現れた。そして倒れ込んだ状態で口を開く。


寒鴉かんあ、伸ばせ。"両面影紐"」


 雪入道の足元、野仲の沈み落ちた地面に取り残された黒く広がる影が、細い紐状に地面を離れて伸びる。黒い影でできた紐は雪入道の首を縛り上げた。


 そしてくびり上げられた雪入道の頭部周辺には濃霧が立ち込める。


『式神 "寒鴉小烏"』

 ——寒鴉小烏は二羽一対の式神だ。影と成り影を操る寒鴉と、霧となり姿をくらます小烏。特徴の異なる二羽を組み合わせて戦うことができる。


 くびり上げられた雪入道は苦しそうな唸りを上げながらも、自身の首に巻きつく紐状の影を掴むと、太い腕に筋を浮き上がらせて引きちぎった。


 寒鴉小烏は引き出しの多い式神だが、力比べは不得手だ。自由の身になった雪入道だが、周囲には濃い霧がまとわりつくように凝集していた。


 野仲は時間を稼いでいた。寒鴉で縛っている間に、小烏の濃霧をより濃く集めるために。


「赤獅子、いまだ。燃えあげて、閉じ込めろ」


 野仲が掠れた声で命令すると、赤獅子は咆哮した。赤獅子の咆哮を合図に、雪入道の足元の地面から囲うように炎が上がり、小烏による濃霧もろとも雪入道を頭上まで包み込む。地面から噴き出る炎の球体は温度上げる、そして——。


 ドンッ!!!!


 雪入道を包み込んでいた炎の球体が、激しい音とともに爆ぜた。野仲の策、それは水蒸気爆発。細かな水分の集合体である小烏の濃霧を、炎で包み急激に温度を上げた。化学の授業で余談としてうっすら聞いた記憶が蘇り思いついた策だった。


 激しい爆発による爆風で、石つぶてや木の枝などが野仲の体に叩きつけられる。野仲は自身の頬に何かが伝うのを感じた。おそらく側頭部の傷からの出血が増しているのだろう、と薄れる意識の中で野仲はぼんやりと考えるが、体は動かない。


 あの妖はどうなった? だめだ、頭痛が止まない、何も考えられない。


 くそ、目が、閉じ……。


 野仲は鉛のようなまぶたの重みに抵抗できず、ゆっくりと目を閉じた。そして目を閉じると同時に、かろうじて繋ぎ止めていた意識をふっと手放した。



◆◆◆◆◆◆


 のどかを背に乗せた狛太こまたが雑木道をしばらく進み、旧校舎の建つ開けた広場へと抜けると、道外れの木々が倒れ、地面が所々えぐれており、戦闘の形跡が見てとれた。


「静かやけど、野仲の坊主は無事なんか……?」


 キョロキョロ周りを伺いながら狛太が呟き、和もその背の上から薄目を開く。辺りには土煙が立ち込め、視界が悪い。


「んあ? あれは……お嬢、妖力の残滓ざんしや! 野仲の坊主がやったんや!!」


 狛太は声高にそう言うと、黒いモヤの元にスイスイと近づいていった。


 和は痛む頭に気を遣いながら狛太の背から降り、妖力を回収するために壺を開けた。


「野仲は、野仲はどこや? 狛太、見えへんか?」


 和が周囲を見回しながら狛太に聞くも、期待した返事は返ってこない。


 和が少し歩きながら周囲を探すと、道外れの雑木林になにやら人のような姿がうっすらと見えてきた。和はより良く見ようと目を細める。


 道を外れた暗い雑木林の中、木の幹を背に野仲が倒れているのが視界に飛び込み、和は目を剥いた。頭からは血が流れ、閉じられた目を伝い顎から滴っている。


「の、野仲……野仲ぁぁぁぁ!!」


 和の絶叫が響き、暗い闇の中木々の間にこだました。

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