第13話 雪へと消えた戦果

  ——誰かと話をしていたような気がする。けど、思い出せない。重く厚い雲に頭の中が覆われてるみたいだ。


 それにしても、なんだ、うるさいな。頭に響くからやめてくれよ、静かにしてくれ。頭が痛い、体も痛い。あれ、僕は、何を。


「——なか。のなか。野仲のなか!!」


 はっと野仲が目を開くと、眉間に深い皺を刻んだのどかが、野仲を何度も呼んでいる姿が見えた。


「のど、か。そうか、僕たち妖に……。あいつらを祓ったんだね、さすが」


「野仲、あんたこそ、よおやった……!!」


 掠れた声で野仲が言うと、和は安堵の表情で言葉を絞り出した。野仲は痛む頭を抑えながら起き上がる。


 何か、夢かなにかを見ていた気がするけれど、思い出せない。思いつきだった爆発は起こせて、そこで記憶は途切れてる。そもそも僕は勝ったのか? よおやった、ってことは。


「和、あの妖は? 途中から記憶が途切れてて、祓えたかどうか確認できてないんだ」


「大丈夫や。妖力の残滓ざんし狛太こまたが気づいてくれてな、回収済みや。ほんま、よおやったな野仲」


「坊主にしてはよぉやったやんけ、感心感心」


 和は柔和に笑い、その後ろからひょいと狛太が顔を覗かせた。そしてそのまま和は上半身だけ体を起こしている野仲の隣に座った。


 傷こそ見当たらないものの、和の顔に疲労の色浮かんでいることに野仲は気づいた。無茶をしたのだろうか、と憂慮する。しかし、聞かねばならないことがあった。


「和、隠してることがあるなら教えてくれ。僕だって戦える。自分だけ何も知らずに、呑気に過ごすなんてできないよ。力になりたいんだ」


 野仲は隣に座る和の目を見据えて訴えかける。今更他人事のように、この状況を看過することは野仲にはできなかった。ただの正義感などではない。


 自分の大切な人たち、家族に、蓮乃はすのに、八条はちじょうに、そして東雲しののめに、彼らにもしもがあったとしたら。のうのうと過ごした自分を、自分は一生許せないだろうと思った。妖をった自分が、事態を知った自分が、微力であろうとも何かをせずにはいられなかった。


「わかった、わかったわ。降参や。ここまでさせて、流石に説明もせんわけにはいかんわな。陰陽寮に所属とらん、陰陽師ちゃう野仲には言えんかった。すまん」


 和は降参、と言うように両手を上げ、そして頭を下げた。顔を上げた和は自分の考えや知り得ていること、これまでのことを話し始めた。


「事態は、かなり深刻やとうちは思っとる」


 そう前置きをして、真剣な面持ちで続ける。


「まずこの雪やけど、間違いなく妖の影響、おそらく上級レベルの妖が街に紛れこんどる」


「さっきの妖は? 中級だろうって言ってたけど」


「お嬢と坊主、ふたりが襲われたんは雪入道ゆきにゅうどういう妖や。中級下位、低級に近い妖やな」


 先ほど命からがら祓った雪入道が、中級の下位。上級がどれほどの存在なのか、野仲には皆目見当もつかなかった。


「天候に影響を与えるくらいやからな。うちは気づいた時点で陰陽寮、うちの所属しとる大阪支部に救援要請した。せやけど、保留やて。陰陽師界隈も人手不足なんは百も承知やけど、クソや。上級っちゅう確証がないからやて。確かに、妖力が感知できん。存在を確信づける証拠が残されとらん。けどな、天候にまで影響を与えて、それやのに妖力を感知させんなんて、普通の妖にそんなことできるわけがあらへん」


 和は心底うんざりした様子で、表情に怒りを伺わせながら拳を握りしめていた。肩の上で切り揃えられた、日本人形を彷彿とさせる和の黒髪が月の光を反射して煌めく。


「できることをするしかあらへんかった。この街で一番、妖が力を得やすい旧校舎で妖を祓い続けた。唯一うち以外で式神を扱える野仲、あんたを自衛くらいはできるようにさせなあかんとも思った。あんたは妖を識っとる。いつ遭遇するかわからんからな」


 あの横暴なまでの招集にはそこまでの理由が、そこまで考えて……。


 野仲は口を挟まずに耳を傾け続けた。


「それに式を飛ばして、街を探りもした。けど」


 和の顔に影がさす。言葉を詰まらせている。


「けど、うちは失敗した。一般人に犠牲者が出た。野仲も見たんやろ? 氷漬けにされた人を。うちは、失敗したんや」


 和は自重気味に話しながら頭を掻いた。


 どれだけのものを、一人で抱えようとしていたんだ、と思い野仲は項垂れた。和は、おくびにも出さなかった。多少の違和感はあったけど、いつも通りの和にしか見えなかった。この小さな体で、華奢な腕で、どれだけのものを背負おうと——。


「今日、陰陽寮には報告した。起きた事が事や、流石に陰陽寮から陰陽師が派遣されてくるやろう。まぁ、事態が治まったとしても、この件の責任はうちにある。処分は受けるやろな」


「な、和は救援要請したんだろ!? なんで、それで」


「そういうもんや。そういうところなんや」


 俯きながら和が呟く。和が俯いて視線を落とした先に、野仲の手元が見えた。野仲の手は、微かに震えていた。


 和は当然だ、と思った。先ほどまで殺意を持った妖と対峙していたのだから。怖くなかったわけがない。野仲は数ヶ月前まで普通の生活をしていた、陰陽師でもないただの高校生なのだから。


 和は目線をあげ、努めて明るく微笑む。


「すまん、愚痴みたいになってもうた。これからの話をせんとね」


 和はそう言いながら、顔にかかった髪を耳にかける。


「今日発見された犠牲者は警察に保護、保管してもらっとる。妖が関わる事件が起きた時には、陰陽寮所属の陰陽師がある程度の対応を依頼できるようになっとるからな。今回は氷漬けにされとる分、今後の対応が難しい。遺族への説明も、妖に襲われました、とはいかんしな」


 明るくしようと努めていた和のトーンが下がる。視線が下がる。野仲にはただ、聞いていることしかできなかった。


 今後どうするにせよ、自分は和の味方だ。そう在るべきだと思った。


「陰陽寮から救援が来るまでの間、うちは街に放つ式の数を増やす。消耗は激しなるけど、そんなこと言うとる場合ちゃうからな。まぁ学校へは一応行こう思うけど、旧校舎での妖祓いはやめる。旧校舎から力を得た妖が原因やないことは、ここ何日かでハッキリした。ほいで野仲、あんたは」


 和が再び視線をあげると、野仲は和をじっと見据えていた。和はぐっと奥歯を噛み締め、拳を握り締める。爪が掌に食い込むのを感じながら口を開く。


「なんもするな」


 野仲に反応はなかった。まるで予想していたかのように、じっと和の目を見つめている。


 陰陽寮から陰陽師が来るのだ、当然だろうと野仲は思っていた。自分は所詮、ただの高校生で、どこまでも普通で、平均的なだけの人間なのだから。


「野仲、あんたが式神を扱えることはよぉわかった。せやから、訓練じみたことは終わり。普通に生活せえ。ただもし、得体の知れない妖に遭遇したら、戦おうとせんと気づかんふりをせえ。最悪気づかれたら、迷わず逃げえ」


 そう言うと和はなにやら野仲に手渡す。それはお守りだった。


「ええか、それを肌身離さず持っとき。家に忘れて出かけでもしたら殺す」


 僕の顔に死相でも出てるのだろうか。東雲と和のふたりから、一日に二つもお守りを貰うとは。そんなことを思いつつ、野仲はやはり不甲斐なさを感じることしか出来なかった。


 和は「よっ」と立ち上がると、ひらりと振り返り野仲に手を差し出した。


「ほな、帰るで。ほんまお疲れ、ありがとうな」


 野仲はお守りをポケットに仕舞い、和の手をとって立ち上がった。まだ頭は痛み、体の節々からは悲鳴が上がっていたが、表情に出してやるものかと食いしばる。手足の先は痺れを感じるほどに冷え、足取りは重たい。


「明後日から学校は休みやしその怪我や。明日は学校休んだ方がええ」


「あぁ、そうするよ。……ねぇ和」


「ん? なんや?」


「僕は、少しは役に立ててたのかな」


「あん? んー、まぁまぁやない?」


 和がいたずらっぽく笑ったのを見て、野仲も釣られて笑う。


「まぁまぁか」


 月明かりの下、雪が細々と降り続いていた。心にのしかかる無力感に気づかないよう、野仲は意識を雪へと向けた。


 雑木道には二つの足跡が残り、その足跡はところどころ引きずられたように伸びている。二人が残した足跡は、降りしきる雪の白に静かに塗りつぶされていった。

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