第9話 分断
「野仲ぁ!! しゃんとせぇ!!」
和の声にハッと我に返る。妖が目の前にいるんだぞ、取り乱すな、と野仲は己に言い聞かせる。
「野仲、ええか? 今までの低級とはちゃう。油断したら死ぬで」
静かな、しかし通る声で和が告げる。
「死」という言葉が野仲の頭にちらつく。全身の毛穴が開き汗が噴き出る。流れる汗は総毛立つほどに冷たい。
「2体はうちがやる。守ったる余裕はすまんがない。1体は任せたで」
昨日までの、旧校舎で遠足のような余裕を見せていた和とは別人のように、ビリビリとした緊張感を放っていた。それほどまでに危機的な状況だと野仲は悟った。
「やるで野仲! 顕現せぇ!」
和の号令を合図に、野仲が式札で空を切り、式神を顕現させるための詠唱をする。
「『揺らげ、その燈を以て邪を灼き祓え』」
式札から小さな煙が上がり、一瞬のうちに全てが紅い炎で包まれる。
「来い!
揺らめく赤色と橙色、混色のたてがみを首周りに携え、白く鋭い牙を覗かせた獅子——赤獅子が咆哮をあげて現れた。
四肢の先端には土を抉る頑強な爪が力強く地面を捉え、尾の先にはたてがみ同様に赤色と橙色の炎が揺れている。
赤獅子が牙を剥き出しにしながら一つ目一本足の妖に向かって唸り声を上げる。しかし3体の妖は気にも留めずに、なおも低くしゃがれた声で不調和に言葉を発している。
「子供だ」「子供、うまい」「陰陽師?」
「早く食おう」「うまいかなぁ」「陰陽師、殺さなきゃ」
愉快そうに、恨めしそうに、もしくは無感情に各々が好き勝手な様相で言葉を垂れ流す。
とにかく1体を引き寄せよう、それが僕の役目だ。
野仲は先ほどの和の言葉に従い、1体の意識を自分に向ける方法を考える。野仲と和の間に3体の妖、背後には旧校舎へと向かう道。
「赤獅子!!」
野仲の声に反応して赤獅子のたてがみが煌々と色を変え、煌めきが口腔へと移動する。
「灼き払え!」
ガバッと開いた赤獅子の口から、煌めきが火の玉となって3体のうちの1体へ放たれた。一つ目一本足の妖の、巨大な後頭部に直撃した火の玉は、炎を上げる。
「アヂィィィ!!」
直撃した妖が悲鳴をあげて膝をつく。しかし悲鳴を上げながら両腕を掲げると、何もない空間から雪の塊が落ちてきて自身に直撃し、その雪によって炎は消えてしまった。妖は振り向き、野仲を血走った巨大な一つ目で睨む。
「ゆるざない」
目には憎悪を浮かべ、一本足でにじり寄る。
野仲はその圧力に気圧されながらも、拳を握り締め、踵を返して旧校舎へ向かって走り出した。
「までぇ!!」
一つ目一本足の妖は背を向け逃げる野仲を追う。太い一本足で飛び跳ねて勾配を登っていく。
「なんだぁ? 追っかけっこかぁ?」
もう1体の妖が、野仲の後を追おうと身を翻す。と、その後頭部に小石が当てられる。
「おいこらブッサイク。どこ行くねん」
和が手に持っていた小石を妖へとぶつけ、もうひとつの小石を手の中で遊ばせる。
「お前ら不細工コンビの相手はうちがしたる。逃げずにこっちこんかい」
「殺してやる」「女、食いたいなぁ」
2体は標的を完全に和に絞り、その巨体でにじり寄った。
「はぁ、はぁ」
旧校舎へと続く雑木道、その勾配を駆け上がり、息を切らせた野仲が顔だけ振り返り、巨大な顔に2本の太い腕を生やした、一つ目一本足の妖がついて来ていることを確認する。
心の中で、よし、と呟きながら走り続ける。狙い通り1体だけを何とか引き寄せられたと安堵しつつ、恐怖と疲労で心臓が痛いほどに鳴っている。
そうしてまもなく、雑木道を抜けて旧校舎の前の開けた道に出た野仲は、ピタリと並走していた赤獅子とともに振り返った。
走ってきた雑木道から、ドスン、ドスン、という音が近づいてくるのが聞こえてくる。ここで迎え撃つしかない。
「やるぞ、赤獅子」
野仲が赤獅子の背に触れ告げると、応えるように赤獅子が咆哮する。視界の先では憎悪に血走らせた眼を野仲と赤獅子に向ける一つ目一本足の妖が、飛び跳ねながら近づいてくる。
「和が2体も引き受けてくれたんだ、こいつは僕が祓う」
野仲は心の中で、情けない、と思わずにはいられなかった。ふたりで3体を祓うよりも、ひとりで2体を祓うことの方が確率が高いと判断された、ということなのだから。
情けない、がやらなければいけないことに大きな差はない。
目の前の1体だけでも、確実に祓う。
野仲は自身への不甲斐なさを使命感で払拭しようと噛み締める。
和がああまで言っていた妖だ、自分ができる全てを出し切るしかない。それでもダメだった時は……。
ぞくり、と野仲は背筋が冷たくなるのを感じた。妖を"
野仲は折れそうになる心を奮い立たせる。あの時の自分とは違うのだ、と。
「赤獅子、いこう」
赤獅子は野仲の言葉に反応し、雑木道から出てきた一つ目一本足の妖に向かって駆けだした。そして勢いのままに飛びかかり、鋭い爪で襲い掛かった。
飛びかかられた妖は太い腕で顔を覆い、赤獅子を腕で受け止める。
赤獅子はそのまま妖の腕に爪を食い込ませ、牙を剥き出しにして噛み付いた。ギリギリと噛みちぎろうと力を加えていく。
が、妖はもう一方の腕で赤獅子を掴むと、爪と牙を無理やり引き剥がし、そのまま赤獅子を地面に叩きつけた。
「いでぇなこのぉ」
そして叩きつけ地面に横たわる赤獅子を、殴る、殴る、殴る、殴る。
「くっっ! 赤獅子!! 燃やせ!」
赤獅子は太い腕で殴られながらも口を開き、火の玉を妖へとぶつける。
衝撃と熱気で妖は後方へ押しやられ、土煙が立った。その隙に、土にまみれでボロボロの赤獅子が野仲の元に戻りうなだれる。
赤獅子がここまで一方的に力業に屈しているところを、野仲は見たことがない。和の言う通り、今まで対峙してきた妖の比ではない。
土煙が晴れると、少し焦げつきつつも致命的なダメージを受けているようには見えない、一つ目一本足の妖が立っているのが見えた。
熱気の冷めない中、野仲の頬を冷たい汗が一筋流れた。
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