第8話 御守りと越えた先

 画面に映る氷漬けの男性と群がる妖の姿に、野仲のなかは目を見開いて動けなくなっていた。


 これは、作り物なんかじゃない……。こ、殺されてる……のか? 


 混乱と危機感が野仲の頭に渦巻き、握りしめる手には汗が滲む。


 氷漬けの男性。

 そこに群がる妖。

 降り続く異常な雪。

 

 深く考える必要もなく、野仲の中で繋がっていく。


 間違いなく僕の知らないところで、大きな何かが起きてる。それもこの上なく危険なことが。そう思いながら、野仲は向かいの席の東雲しののめに目を移す。


 ——守らなければいけない。自分にどこまでのことができるのかはわからない。僕はどこまでも平均的で普通だ。けど、妖を”る”自分なら。妖を祓う力を得た自分なら。


 野仲は頭の中の恐怖心を振り払うように頭を振る。そして八条はちじょうへ返信する。


『うわぁ、何その写真、なんかの作品とか? 悪趣味だなぁ』


『東雲は僕が送るから心配しないで。八条も蓮乃はすのと一緒なら大丈夫だろうけど、気をつけて』


 あくまでも作られたもの、ということを強調して野仲が返信する。


「なんか不気味だし、送っていくよ。体調は本当に大丈夫だから心配しないで」


 携帯を閉じ、有無を言わせぬ語気で野仲は東雲に告げた。そうして、か細く「うん」とだけ返事をした東雲とともに二人で店を後にした。


 楽しく話をする気分にもなれず、言葉数少なく帰路を辿る。店に着く前よりも体が冷えるのは、気持ちによるものだろうかと、野仲はより深くマフラーに顔を埋めた。



 繁華街を抜けて住宅街を歩いていると、ある一角から石垣造りの高い塀が現れた。塀の上からは鬱蒼とした木々が顔を覗かせ、中を覗くのは難しそうだ。石垣塀沿いを数十メートル歩くと、大きく頑強そうな門が見えてきた。


 門前に立ち、野仲はごくりと喉を鳴らした。初めてではないが、何度来ても威圧感に萎縮せざるを得なくなる。


 いわゆる腕木門と言われる、上部に屋根が乗った両開きの木製の門で、歴史の教科書などで見た武家屋敷を彷彿とさせる佇まいだ。門の右上には家紋が掲げられ、厳かな雰囲気をいっそう強めている。


 ここは東雲の生家で、これでも本邸ではないと聞いて驚いたのも野仲の記憶に新しい。


「それじゃあ東雲、僕はこれで帰るよ。明日の登校はできるだけ人通りの多いところを通ってね」


 野仲は少し淡白に別れの言葉をかけた。のどかに一刻も早く話を聞かなければいけないという気持ちが強く、余裕がなかった。


「野仲くん、ちょっと待って」


 東雲が焦った様子で野仲を呼び止める。


「渡したいものがあるの」


 去りがけにかけられた言葉に野仲が振り返ると、東雲は真剣な眼差しで野仲を見据えていた。野仲が何と言ったものかと逡巡していると、返事を待たずに東雲は門を開けて屋敷に駆け足で入っていった。


 数分の間、野仲は焦る自分を律して冷静さを取り戻した結果、自身の立ち振る舞いを悔いていた。


 東雲も不安だったろうに、あんな風に帰ろうとするべきじゃなかった。もっとこう、気の利いたことのひとつやふたつ……。


 綺麗に雪の退けられた門前で東雲の戻りを待ちながら、そんな考えがぐるぐる頭の中で回り、野仲は右往左往していた。


 そんなこんなで不審者よろしくうろついていると、門の開く音が聞こえ東雲が戻ってきた。敷地内でも走っていたのか、息は若干上がり、頬が軽く紅潮している。


「野仲くん、これ」


 東雲が名刺を渡すかの如く、丁寧な所作で何かを野仲へ差し出した。


「これって……御守り?」


 野仲は東雲から御守りを受け取ると、まじまじと眺めながらつぶやいた。


 古びた御守りだった。年季を感じさせるくすんだ白地に袋には金色の紐が結ばれており、袋の中心には金色の縫い糸で何やら難しそうな字が縫い付けてある。


「これ、私が小さいころ、ずっと身に付けてた御守り、なの。今は仕舞い込んじゃってたんだけど、厄除けの御守りらしくて、災いから守ってくれるって」


 呼吸の整わない東雲が息継ぎをしながら説明する。


「大事なものなんじゃ……。それにこんな状況だし、僕が持ってるよりも東雲が持ってた方がいい」


「ううん、野仲くんに持っててほしいの。体調が早く良くなりますようにってお祈りもしておいたから」


 東雲が断る余地を与えない雰囲気で説く。


「わかった。ありがとう、大切にする」


 申し訳ないような、心配をかけて情けないような、様々な感情が湧くのを感じつつも、野仲は素直に受け取ることにした。東雲の厚意を無下になんて死んでも出来ない、と。


 野仲が御守りを懐に仕舞い込むのを見ると、東雲は安心したように一息吐いた。そして別れの言葉を告げると、手を振りながら腕木門を通り、閉まる扉の向こうへと消えていった。


 門扉の閉まる音の余韻を感じながら、野仲は歩き出した。自宅へ向かって、ではなく元来た道を戻り学校へ向かって。


 歩きながら携帯を取り出し電話をかけると、数コールの後につながった。


「なんや?」


のどか、今どこにいる?」


「あん? どこでもええやろ」


 どうやら機嫌がすこぶる悪いようだ。電話越しの音から、外にいることはわかった。雪を踏み締めるザクザクとした音、木々が風でざわめく音——。


「旧校舎に向かってるのか?」


「ちゃうわ、帰っとるとこや」


 淡白に返されるが、野仲には和の動揺が若干感じられたような気がした。


「今行く、待っててくれ」


「ちょ、おらんて! くんな! 聞いとんのか野な」ブツっと野仲が電話を切り駆け出す。


 日が傾き、あたりには影が落ちてきた。なおも雪はしんしんと降り続き、街を白く染め上げていた。



 野仲が息を切らせながら学校の正門に辿り着くと、和が腕組みをして仁王立ちしている姿が見えた。


「くんな言うたやろがい! 寒いわボケ!」


 頭に雪を積もらせた和が野仲を指さしながら口を尖らせる。和の文句を意にも介さず、野仲がせきを切ったように疑問を投げる。


「和、人が妖に襲われた。氷漬けにされて、そこに妖が群がってた。この雪とも、何か関係あるんじゃないのか!?」


「声がでかいて! ……歩きながら話すで、ついてきぃや」


 生徒、教師に聞かれるのを懸念してか、和が旧校舎につながる雑木道に向かって歩き出した。野仲も和の意を汲んで素直に従う。


 校舎裏にある裏門の扉を開き、雑木道を進む。ここまでくると、ほとんど生徒や教師がいることはない。


「和、何か知ってて、僕に隠してないか?」


 野仲が単刀直入に問いかけるも、和からの返答はない。


「和! 人が襲われたんだぞ! 氷漬けで。おまけにこの異常な雪だ。氷と雪、無関係っていう方が無理あるだろ!」


 野仲の語気が強くなるも、和には響かない。


「あの出回っとった写真は、あれは確かに妖にやられたんやろうな、妖力が残っとった。それに対処はしとるから大丈夫や。あんたは心配せんでええ」


「確かに僕は頼りないかもしれないけど、話くら、い」


 言いかけて止まった野仲が、違和感からふと、後ろを振り返る。


 胸がざわつく。全身の肌が粟立つ。


「和、僕たちの歩く先に、足跡なんてあったか?」


 雪が降りしきる中、旧校舎へ続く雑木道を抜けようとする者などいないだろう。事実、ここ数日は一度もなかったはずだ。


「はぁ? 足跡なんてあらへんかったで。うちらが最……しょ」


 野仲の言葉に振り向きながら答えた和が目を見開く。


 ——足跡がある。


 歩いてくるときにはなかったはずだ。3つの足跡。


 片足だけの3つの足跡が、数歩手前で途切れている。



 びくりとした和が野仲を突き飛ばし、自分は横へ飛ぶ。


 ドォォォン!!という音が三度鳴り響き、雪と土煙が舞う。数瞬前まで野仲と和がいた空間に、頭上から何かが落ちてきた。


「野仲ぁ!! 式神を出し!!」


 和から声が飛ぶ。尻餅をついていた野仲は体勢を整えながら訳もわからず式札を構えた。


 雪と土埃が薄れ、影が浮かんできた。野仲はその姿に息が詰まり全身がこわばった。


 巨大な顔に、一本の足と二本の腕が生えている。巨大な顔の横幅いっぱいに広がる口が牙を剥き、その上にはたった一つの大きな目玉が張り付いている。


 一つ目一本足の異形が3体、野仲と和の前に姿を現した。


「こえたな?」「越えた?」「越えたな?」


 3体がほぼ同時に口を開く。低くしゃがれた声が重なり、不協和音として響く。


「言葉が……話せるのか?」

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