第6話 攻略の鍵

 学校祭に向けて、今日からは本格な作業に移る。

 全体を取り仕切る実行委員、調理を担当する調理班、衣装や飾りつけを担当する装飾班、当日メイドとして店に立つスタッフ班の計四つに分かれ、各班ごとに始動する。


「――これで一通り説明は終わったけど、質問はある? なかったら解散にするけど」


 放課後の教室内は、主に三か所に分かれ、各班最初の打ち合わせが始まっていた。

 その各班の進行を取り仕切るのが実行委員であり、委員長が調理班、泰史が装飾班、そして俺がスタッフ班の進行を担っている。なお、部活でなかなか来られない咲楽は、全体の総括も兼務する委員長の補佐として、調理班を担当することとなった。

 そしてたった今、俺がスタッフ班に対し、一通りの説明を終えたところである。

 勉強を教える過程で説明することに慣れたと思っていたが、大人数相手となると話は全く違うのだなと思い知った。みんなの視線を受けながらという独特の緊張感のせいで、きちんと説明できているのだろうかと不安に晒されるのだ。それでも何とか予定通り、最後まで説明を終えていた。

『解散』の二文字をちらつかせてしまったこともあるのだろう。こういった行事の準備にあまり積極的でない生徒たちから、『早く帰りたい』というオーラがムンムン感じられる。必然的に質問は出て来ることなく、俺は総括に入った。


「それではスタッフ班の班会議を終わります。お疲れさまでした」


 言うと、口々に「終わった~」だの、「早く帰ろ~」だの、まるで中間考査後のような言葉が聞かれる。そんな生徒たちが散り散りになっていくのを見送って、他の班が終わるのを待つことにする。

 スタッフ班は主に前日と当日の作業のみであるため、こうして他の班よりも手短に終わったのだが、調理班と装飾班に関しては今日から作業に入るので少し大変そうだ。そういう意味では比較的楽な担当だったなぁと思いながら、装飾班の様子を窺った。


「そんじゃあ、衣装担当は早速、被服室で仕立てに入ってもらって、オーナメント担当は空いてる教室見繕って作業を始めて欲しい。一応、実行委員の会議後にまた行くけど、分からないことあればいつでも聞きに来て」


 そんな風に的確な指示を出すのは泰史だ。

 泰史も俺と同様、あまりこういう立場になった経験がないはずだが、俺とはまるで大違い。とても要領よくこなしているように映る。

 その甲斐あってか、思いのほか早く、装飾班の面々が移動を開始する。


「ふぅ……、疲れた」


 表立っては飄々とやってのけているように見えて、やはり色々気を遣ったりしているのだろう。随分と疲れた様子で、泰史がこちらの方へふらふら歩み寄ってくる。


「お疲れ」

「スタッフ班はいいよな~。準備少ないし」

「まぁ準備はな。代わりに当日は忙しい。逆に装飾班は、前日をもって仕事が終わるから、当日は自由に回れるだろ?」

「それはそうだけどな。あれだけ気合入ってる分、デザインも凝ってるからさ。作業も気合入れないと間に合わないし、責任は重いね」


 そう言いながら泰史が目線を映した先は、調理班の進行役。最も場慣れしているということもあるが、何より誰よりもやる気の委員長は、若干遠目でも随分と生き生きしているのが分かる。


「まぁ、あんな姿見せられちゃ、やるっきゃないわけだけど」

「だな」


 そんな風に彼女たちの方を見つめながら、調理班の打ち合わせが終わるのを待った。



「ごめんね、遅くなって」


 かれこれ、放課後に突入してから一時間近く経った午後五時半過ぎ。他の生徒たちは各作業場に移っており、教室内はいつも通りの面々だけが残されている。

 メイド喫茶という出し物において重要な面を担っているというのはもちろんだが、委員長が目指す飲食店部門優勝に向けて、最も力を入れなければいけないのが調理だ。その分、話し合いに時間がかかってしまうのは致し方ないだろう。故に、俺と泰史も決して責めることはなく、さっそく本題である実行委員会議へと移る。

 各班の進捗具合の確認を行った後、今後の予定について一通り委員長から説明がなされ、予定していた会議は恙なく進行した。


「それじゃあこの辺で終わりにして、残り時間は各班の作業に……」


 と、締めに入ろうとしていた委員長に対し、泰史が突如手を挙げる。


「ごめん、委員長。ちょっといいかな?」


 言うと、少し驚いた様子の委員長だったが、「どうぞ」と発言権を譲った。


「飲食部門での一位獲得がどれほど難しいか、っていうのがイマイチピンと来てないからあれなんだけどさ。今のところ、委員長は優勝できると思う?」


 泰史のその発言にどんな意図があったのかは測りかねる。もしかしたら、単なる興味だけかもしれない。だが、俺も少し興味があった。

 メイド喫茶という王道中の王道の出し物である以上、他のクラスと被ることは必至。となると、客が分散してしまう恐れがある。泰史の起点により採用となった、ターゲット層に合わせた商品の提供はそれを防ぐ一つの差別点にはなっているものの、それだけでは少し弱いようにも感じる。

 現状、委員長がどう考えているのか。さらなる差別化を図るための何らかの策を用意しているのか。それが知れるいい機会だと思った。

 泰史の問いに委員長は、若干俯いて表情を隠す。泰史の言い方では捉え方によっては、「こんな状況じゃ、優勝なんてできるはずもない」ともとれるので、もしかしたら自信を失くしてしまったのだろうか。

 そんな可能性が一瞬過って、空気感が一気に沈み込む。隣の泰史もそれを察しているらしく、少しアワアワしている。


「――くっくっくっ……」


 すると突然、そんな不穏な笑い声が。


「もちろん私も、これだけじゃ勝てると思ってないんだよね」


 委員長は顔を上げると、眼鏡をくいっと持ち上げる。


「実際、他のクラスに潜入調査したりスパイ送り込んだりして情報取集している限りだと、どうも今年は強敵揃いみたいでね」

「さらりと怖いこと言ってるよ、委員長……」


 一体どこまでが本気で、どこまでが冗談で言ってるんだろ……。

 なんて、委員長の手段の選ばなさに俺と泰史が戦慄していると、委員長は勢い良く立ち上がる。


「うちには秘密兵器がいるんだよ」


 そう胸を張って打ち明けた委員長だが、正直なんのことかさっぱりだ。それに仲間内なのに、秘密にしておく意味あるのか?


「まぁ、当日楽しみにしててよ」


 だから隠す意味あるの……?

 悪戯っぽく笑う委員長を見ていると、なんだか期待していいのか分からなくなるが、いつも真摯な彼女のことをここは信用してみよう。

 かくして、この日の会議は幕を閉じた。



* * *



 実行委員会議が終了し、俺たち三人はそれぞれの持ち場へと移る。

 ……といっても、俺が担当するスタッフ班の持ち場などなく、既に解散済みである。俺は一人教室に残り、当日の割り振り等、一人でできる作業に取り掛かっていた。

これが終わったら、今度は他の班の手伝いをしなくてはならないので、開催日まで余裕があるからといってそう悠長にもやっていられない。俺は淡々と作業を進めていた。


「……あっ」


 作業の開始から十五分ほど経って、飲もうとしたペットボトルの水が底を尽いていることに気づいた。

 今日は朝からやけに天候がよく、この先来る冬の予感ではなく過ぎ去った夏の再来を感じさせた。おかげで、いつもなら五百ミリのペットボトル一本分で事足りる水分が不足してしまったのだ。

 放課後――下校時刻まではまだそこそこ時間がある。別に飲まなくて倒れるほどの炎天下というわけでもなかったが、ずっと仕事続きだったこともあり、気分転換がてらF組の教室を出ることにした。

 蔦屋高校の自販機がある場所は数か所ほどある。そのうち最も近いのは、一階のF組真下付近だ。俺はF組のすぐ隣ほどにある階段をゆっくりと下った。

 普段より学校が喧騒に包まれている。部活だけでなく、俺たちのように学校祭のため残る生徒が大勢いるためだろう。定期テスト後の放課後とはまるで真逆の様相だった。

 階段を下りきり、俺は視界に入った自販機に向かおうと歩みを進めようとしたその瞬間、俺はふと思い出す。


「たしか図書室って……」


 ここから真っ直ぐ、東に向かうようにして歩いた左側には図書室がある。

 あまり行かない場所にも関わらずふと頭を過ったのは、桐花と交わしたお世辞にも多いとは言えない会話の中に『図書室』という言葉があったからだ。


『基本的には静かなところ、図書室でやることが多いんです』


 図書室で勉強していた中、忘れ物を取りに来た桐花とばったりと会った日にそんなことを言っていた。

 勉強会をするようになって以来、場所は二年特別教室と決まっていたが、それはあくまでも教えることが前提だったためだ。それにこの時期、近くの教室では居残る生徒の声が喧しく、彼女が望む静かな空間とは程遠い。それらを鑑みると、彼女の居場所は図書室である可能性が最も高いだろう。

 せっかく近くまで来たのなら――。

 俺は目的の場所を横目に、廊下を奥の方へと進んだ。

 私語厳禁と定められているということもあってか、図書室前の廊下は極めて静かであった。部活動に励む生徒の声も、学校祭の準備で姦しく会話を交わす生徒の声も随分と遠くのように感じられる。

 俺は辺りの空気感に合わせるようにして、音を立てないよう注意しながらそっと扉を開こうと手を伸ばす。


「…………」


 だが、俺はすぐさまその手を引っ込めた。

 他の教室とは違ってスライド式ではなく両開きの扉。かつ、ガラスが多用されていて中が覗ける仕組み故に、中に入らずとも彼女を視界に収めてしまったからだ。


「サボっていると思われるのもな……」


 誰にも聞こえないほど小さく呟くと、くるりと踵を返す。そして決して邪魔にならないよう、静かに図書室を後にした。



* * *



 あっという間に時は流れ、蔦屋祭を翌日に控えた金曜日を迎えていた。

 今日一日は全授業が休みであり、丸ごと準備に充てられている。そのため、朝早くから多くの生徒が校舎を右往左往し、急ピッチで会場が組み上がり始めていた。


「おぉ~」


 窓から中庭を見下ろして、思わず俺は感嘆の声を漏らす。

 いつもは閑散としていて、いい意味でも悪い意味でも穏やかな中庭が、どんどん煌びやかなセットで装飾されていく。一年の内、この時限り見られる特設ステージを見ると、段々と蔦屋祭の実感が湧いてくる。


「いよいよ明日だね」


 そう声をかけたのは、突飛な衣装に身を包んだ咲楽だ。全身白装束で、それはまるで幽霊のようだが、これは一体……。


「咲楽、その衣装は?」

「あぁ、これね。A組のお化け屋敷の衣装だよ」

「へぇ~。…………は?」


 一瞬納得しかけたが、全くもって意味が分からない。俺はすぐさま、そのことを追求する。


「咲楽、自分のクラスがどこか分かってるのか?」

「分かってるよ。単純に、A組のバスケ部の子に悪戯で着せられただけだから」

「その割には妙に気に入ってるよな。必要もないのに袖を余らせてお化けポーズ取ってるあたり」


 お化けポーズ――すなわち手首を曲げて、手をぶらぶらさせているポーズのこと。その手を全て覆うように、白い袖が伸びている。


「よくできてるよね、これ。露出が最小限で、より白お化けに見えるよう工夫されてる」

「まぁ最小限なのはいいけど、足元気をつけろよ?」


 言って俺は視線を真下に落とす。

 白お化けは足がないので、おそらくそれを再現するためだとは思うが、まるでウエディングドレスのように床まで衣装が伸びている。歩く際、ついつい踏んづけて転んでしまいそうだ。


「そうだね。気を付ける」

「あと、F組のこと忘れるなよ? 一応実行委員なんだし」

「うん。だから、そろそろ衣装返してくるよ」

「ちゃんと帰って来いよ?」

「……善処する」


 咲楽は苦笑いを浮かべつつ、衣装を引き摺りながらA組の方へ歩いて行った。……待てよ、お化けって歩くっけ?

 一応釘を刺しておいたが、咲楽はその辺歩いているとすぐに捕まってしまうので、少し心配だ。思えば去年も、準備中にも関わらず他のクラスにいた気がするし。


「っと、忘れてた。俺も作業に戻らないと」


 ちょっとした休憩のつもりで教室の外に出ていたが、今は教室内のレイアウト真っ最中だったことを思い出す。そうして教室に戻ろうとしていた時だ。


「酢漿さん?」

「……ん? どちら様で?」


 校舎内にも関わらず、それも準備中で人がひしめき合う廊下で、赤く、骨組みが木の傘を差す少女。廊下の喧騒のせいで誰の声までかはよく分からなかった上、その傘のせいで顔が隠されているので、この少女が誰なのか検討がつかない。

 俺の声を聞いてか、その少女はゆっくりと傘を閉じた。そしてそこに現れた少女の顔は――なかった。


「顔がない!? ……ってなんだ、お化け屋敷の衣装か」


 先ほど、咲楽がお化けの衣装をしていたこともあって、すぐ脳裏にお化け屋敷が浮かんだ。おかげで何とか見抜けたが、そうでもなければ腰を抜かしていたかもしれない。それほどクオリティが高い。

 そののっぺらぼうの衣装に身を包んでいた少女は、正体を見抜かれたこともあって自らマスクを脱いだ。


「すいません。衣装のことをすっかり忘れていました」

「桐花だったのか……。こんなところでどうしたんだ?」

「いえ。準備中、偶然F組を通りかかったもので」

「そっか」


 思えば、勉強会を一時休止にすることを伝えたあの日以降、初めての会話だ。俺と彼女を繋ぐ要素において、いかに勉強会が大きかったのかが良く分かる。


「A組はお化け屋敷なんだってな。咲楽……友達に聞いた」

「はい」

「随分気合入ってるよな、A組。衣装のクオリティーも高いし」

「みたいですね」

「俺たちのクラスはメイド喫茶やるんだよ。よかったら当日来てくれ」

「はい。……あの、すいません、酢漿さん」

「ん?」


 改まってどうしたのだろう、と問おうとしたところで、背中側に何やら違和感があった。背後に誰かがいるような……。


「こんなお化けっていましたか?」

「ん!?」


 慌てて振り返るとそこには――。


「って、今度は泰史かよ。何してんだ」


 いつもの制服ではなく、メイド喫茶の正装に袖を通している泰史。要するに女装しているわけで、ばっちり濃い目のメイクで実に――気色悪い。桐花本人にそのつもりはなかっただろうが、そのボケは実に秀逸だと思った。


「それはこっちの台詞だ。サボってないで手伝ってくれ……って、もしかしてそちらさんは?」

「あぁ。前に話しただろ?」


 話の流れを読んでか桐花は一度姿勢を正すと、泰史に向き合う。


「二年A組の桐花燈佳です」

「君が桐花さんか。朔翔と同じクラスの小紫泰史です。A組と言えばめちゃくちゃ気合入ってるって話だよね。楽しみだなぁ」

「お前、お化け屋敷好きだっけ? あんまりホラゲーとかしてるの見たことないけど」

「ホラゲーは苦手だけど、リアルはいけるんだよね。多分、人間の仕業だって分かりきってるからだと思うけど」

「それ、お化け屋敷の楽しみ方として間違ってるだろ……」

「まぁだからこそ、今年のA組のお化け屋敷はどれくらい楽しめるのかなぁって期待してんのよ。桐花さんが持ってる道具も、すごいリアルだしさ」

「はい。当日は是非来てくださいね。……すいません、酢漿さん、小紫さん。私、準備があるのでこれで……」


 桐花がそう切り出してようやく思い出したが、お互いここで悠長に立ち話をしている場合じゃなかった。


「悪い、桐花。それじゃまたな」

「はい。失礼します」


 軽くお辞儀をすると、桐花はそのままA組の方へと歩き出し、すぐに人混みの中に消えていった。


「そいじゃ、件の桐花さんも拝めたことだし、俺たちも作業に戻るぞ」

「あぁ。そうだな」


 そうして俺たちは、再び前日の準備に戻るのであった。

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