第4話 難攻不落の女王

 日曜日の朝、午前九時。積みゲーを消化するには最適なこの日、俺は自室のテレビの前に鎮座し、ゲームカセットの山々を視界に収める。

 先日――金曜日の夜から行われていた桐花家での出張勉強会は、日付を跨ぎ、なんと朝日が昇り始める時間まで続いた。もちろん睡眠をとるよう促したのだが、「せっかくの機会なので」と桐花は譲らず、最後の最後まで寝落ちすることもなかった。

 そうして朝六時ごろ。俺が帰らなけらば、彼女はいつまでも安心して眠りにつけないのではないかと思い、俺の提言で解散となった。念のため、無理はし過ぎるなよと釘は刺しておいたが、しっかり休めただろうか……。

 一方、帰宅してからの俺は、蓄積した疲労から早めに寝る決断を下した。

 全ては、万全の状態でこの日を迎えるため。ここから少なくとも日を跨ぐまでは一切寝ないぞと決意を固め、俺はゲーム機の電源ボタンを長押しした。

 ゲーム機が駆動音を上げたと同時に、線で繋がれたテレビの画面にでかでかとタイトル選択画面が表示される。


「さて、今日は何からやりましょうかね」


 などと独り言を呟きながら、積まれたソフトケースを一つ一つ手に取って吟味を始める。

 アクション、冒険、ファンタジー系のRPGを始め、パズルゲームやリズムゲーム、最近話題の体感的なゲームまで多種多様。そんな、子供にとっては夢のようなゲームの山から一つを手に取り、ソフトをゲーム機に挿入する。選んだのは、外の曇天で湿った気分を払ってくれそうな、気分爽快アクションRPGを謳ったゲームだ。 

 設定することしばし、豪快なサウンドとともにゲームタイトルが表示された。


「これはなかなか、大作の予感」


 壮大な背景の描写は比較的繊細に描かれており、ゲームスタート前に軽く流れたPVもなかなか楽し気に映る。俺はワクワクしながら、そのゲームのスタートボタンを力強く押した。



 それから約四時間ほどたったころだろうか。

 時刻は正午を僅かに過ぎたあたり。

 俺はゲームのコントローラーを自分の傍に置くと、胡坐のまま後ろに手をついて天井を見上げた。


「……これは紛れもないクソゲーだ」


 たった四時間、されど四時間だ。それだけプレイすれば、そのゲームのゲーム性はほぼ理解できる。

 俺が深くため息をつかねばならないほどクソゲーだと評したのには訳がある。

 それは、このゲームにおいての核となる部分であるはずのアクションにおいて、味方プレイヤーの攻撃がやたら外れるわりに、敵からの攻撃がやたら当たる点である。要するに当たり判定が超雑なのだ。開発者側でデバッグプレイをしたなら気づかないだろうか、と苦言を呈するレベル。

 それだけならプレイヤースキルでカバーし、簡単にクリアにもっていく猛者もいて、逆に高難易度ゲーとして親しまれることは往々にしてある。だが、それ以外にもダメージのバランス調整も適当であったり、致命的なバグが存在したりなど、完全攻略するには相当骨がいる。

 ゲーム製作者の方々に問いたい。現状使える最高レアの武器を使ってもほぼ「1」しかダメージが入らなかったり、橋を渡ろうとしたときになぜか川に転落してそのままゲームが暗転するのは仕様ですかね? おかげで何度ゲームをリセットする羽目になったか。

 だがまぁ、ゲームを作るというのが決して簡単なものじゃないことも知っている。ストーリー、イラスト、アニメーション、プログラミング、音響等、様々なものが結集して作られる総合芸術は、一つの完成度が欠けるとその評価はがた落ちするとされている。

 また、製作にはかなりの時間を要するので、これが手抜き故に生まれたと一概にいうわけにはいかない。つまるところ、今俺がすべきことといえば、この会社が作る次回作に期待することくらいだ。

 俺はゲーム機からソフトを取り出すとそっとケースにしまう。そうしてからテレビを切り、静かに立ち上がった。

 自室の窓の外に映るのは、プレイ前と同じような雨模様。雲が本格的な雨雲で、ドスの効いた黒さを持っているからか、ここらの住宅街には闇が下りていた。

 午後からは別のゲームで今度こそ気晴らししよう。

 そう思い立ち、昼食をとるためリビングへと向かった。



* * *



 昼食を早々に済ませ自室に戻ると、机の上でバイブレーションとともにスマホからピロリンと電子音が鳴った。

 音だけでは何の通知か判断がつかない。モバイルゲームの通知かもしれないし、学校で登録させられた進学サポートからの迷惑メール紛いのメッセージかもしれない。特に後者は、メールボックスの通知数が膨らむ原因になるほど高頻度なので可能性は高い。

 まぁどちらにせよ、実際にスマホを確認するまで分からない。俺は、いったい何だろうなと思いながらスマホを操作した。


「……咲楽?」

『今から暇?』


 珍しい相手から珍しいメッセージに少し驚く。咲楽とは学校ではよく話すものの、彼女自身の忙しさもあってスマホを介してのやり取りはとても珍しかった。

 俺は先ほどまで座っていた場所に再び腰を下ろすと、メッセージを打ちこむ。


『時間はあるけど、どうかしたか?』


 そう問い返してからの返信は早かった。


『よかったら午後、私に付き合ってくれない?』


 日曜の昼間。

 こんな風にして遊びの誘いを受けることは何度もあったが、その相手が相手である。当然、一つの疑問が生じる。


『いいけど、部活は?』


 彼女の所属するバスケ部は強豪で、あまり休みがないと聞く。この時期は大会もあったりして試合が多いらしく、勝った時にはよく自慢げに語っていた。


『あったんだけど、今日は急遽午前上がりにするってことになって、午後の時間が空いたの』

『なるほどな』

『朔翔の方こそ、大丈夫なの? てっきりゲームとかで忙しいのかなって思ってたから、ダメもとで聞いたつもりだったけど』

『一応してたんだけど、丁度気分転換したかったから』

『それならよかった。それじゃあ二時に駅前でいい? 一回着替えてから行きたいし』

『了解』

『それじゃ、また後で』


 そんなやり取りを経て、午後二時に駅前集合という約束が取り付けられた。

 集合時刻は今から一時間半も後。マイペースに普段着から外に出る用の服に着替え始める。

 青のジーパンに白のTシャツ、そして黒のアウターに袖を通す。どれも無地のものばかりなのは、あまり柄物が似合わないのと、どちらかといえばファッションに頓着がないためである。


「よし、準備完了」


 そうして着替え終わると、早々に支度が完了してしまった。

 男子というのは女子に比べて準備が格段に早く済んでしまうものである。集合時間が随分時間が後だなと思ったが、今思えば止むを得ないのだろう。

 俺は空いた時間を埋めるにうってつけのスマホゲームをしながら、家を出るまでの時間を埋めることにした。



* * *



 小雨が降りしきる中、傘を差しながらコンクリートの歩道を踏みしめていく。靴とアスファルトが織りなす音に加え、雫がビニル傘に滴る音が耳をつく。急に時間が空いたことで取り付けられた遊びの約束とはいえ、この天候は文字通り水を差していた。

 だが、現代の高校生が行く場所といえば、カラオケ、ゲームセンター、ショッピングモール、飲食店等々どれも屋内であり、実は案外差し支えないのである。雨が遊び日和でないというイメージはおそらく、子供が公園に行って遊んだりすることから来ているのだろうが、インドア派が増えた現代においてはもはや真逆なのかもしれない。

 咲楽のことなので、初めから雨を考慮した予定を組んでいるに違いないが、果たしてどこに行くのだろうか。

 そんなことを考えているうちに、先週も来た駅前に到着する。しかし、あの日の退勤ラッシュ時とは違い、現在は午後二時前という昼時も少し外れた時間帯。駅前にいる人の姿はまばらであった。

 そのためか、『メールで駅前のどこなのか』、『もう来ているのか』などと改めてメールで聞く手間が省けた。偶然にも、あの日の合流場所と同じ木のベンチ付近に、一際目立つ薄黄金色の髪をした少女の姿が映り、俺はその方向へと向かう。

 雨のせいもあってか一層足音が響くため、俺が彼女に声をかける前に気づかれた。


「ごめんね、こんな中途半端な時間に呼び出しちゃって」

「いや、こっちこそ悪い。それも雨の中で待たせて」


 いくら集合時間前に到着したとはいえ、早く支度を済ませて、ソーシャルゲームに現を抜かす余裕をかましていただけに、申し訳なさが募ってしまう。


「ううん、それこそ気にしないでよ。私もついさっき来たとこだから」


 そう言って優しく微笑み、咲楽は許してくれた。

 秋らしい寒色系のコーデ。ベージュのフードが付いた上着に黒スキニーパンツと、動きやすさとお洒落の両方を兼ねそろえている。彼女の元の素材が良すぎることもあるが、そのコーデは彼女の魅力を格段に引き立てていた。


「行こっか」


 彼女にそう促され、合わせるようにして横に並び歩く。


「どこに行くつもりだ?」


 行先も言わず行動を始めた彼女に問う。

 だが、その問いに対する答え――目的地は思いのほかすぐ近くにあった。彼女はその場所を指さして笑みを浮かべた。


「あそこ、行ってみたかったの」



 その場所はアミューズメントパークの定番ともいえる施設であった。何かに特化した施設というより様々なものを内包した総合施設で、カラオケにボーリング、ダーツやビリヤードといった定番はもちろん、パチンコも併設されているため様々な年齢層の人の姿がある。


「で、何するんだ?」


 施設に入って開口一番、俺はそう問うた。

 遊ぶものがないのも困りものだが、ここまで何でも揃っていると逆に選びかねてしまうもの。ファミリーレストランで何を食べるか迷う感覚とどこか似ているが、『当店のおすすめ』や、『人気No.1』といった選ぶ際の指標もないので、中々難しいかもしれない。

 しかし彼女は、どうやら決めていたらしく、迷う様子もない。


「ちょっと待ってて」


 そう言って彼女は足早にカウンターの方へと走っていった。何やら受付をしている様子だが、ボーリングやカラオケの受付と同じ場所なので、何をしようとしているかまでは、この位置からは分からなかった。

 そうして待つこと二分ほど。彼女が靴を一足持ちながらこちらへと向かってくる。どうやらボーリングをするらしい。

 ボーリングは学生の遊びの定番中の定番。スポーツではあるが、運動能力の差が結果に影響しにくいスポーツということもあって、誰とでも楽しめるというのが特徴だ。俺もよく泰史たちと行くのだが、二百近いスコアを叩き出すこともあるので、スポーツ少女の咲楽が相手でも決して引けを取らないだろう。

 だがここで一つ、疑問に思うことがある。

 ボーリングをするなら、なぜ彼女は自分の分である一足しか手にしていないのだろうか。

 あぁ、そうか。俺の靴のサイズを知らないから聞きに戻ってきたのか。

 ……ん?

 そう思った矢先、俺は一気に混乱した。

 天井から『靴のレンタルはこちら→』と書かれた看板が吊るされているのが視界の奥に映る。ここの施設でボーリングをしたことはないが、おそらく大抵のボーリング場で採用されているであろう、『自分のサイズのところでお金を入れるとガタンと落ちてくるシステム』がその場所にあるに違いない。

 ならばなぜ、彼女は受付から靴を借りてきたのだろうか。


「お待たせ。それじゃあ、行こうか」


 咲楽はそう言って、俺が質問する間を与えずに再び歩き出す。

 ……あれ?

 俺の予想とは反対の場所へと歩き始める咲楽。謎は深まるばかりだったが、その視界の先に映るものを見て全てが繋がった。

 緑のネットで仕切られ、床にはカラフルなライン、そして極めつけは籠型の用具と、その元に置かれた朱色の球。文字通り籠球――バスケットボールコートである。


「ちょ、ちょっと待った」

「うん?」


 立ち止まった俺の慌てた様子に、咲楽は振り返って首を傾げた。


「俺、バスケなんて……」

「あっ、ごめん。勘違いさせちゃった? バッシュ、置いてきちゃってね」


 そう言われてよくよく見れば、彼女が手に持っていたのは、ボーリング用の靴ではなくバスケットシューズだった。ボーリングの靴とは違って、バスケットシューズのレンタルはおそらく受付でしかできない。いやそもそも、バスケットシューズのレンタルができるなんて知らなかった……。


「それに俺は、てっきりボー……」


 ――てっきりボーリングをするものとばかり思っていた。

 そう口にしようとしたところで、彼女は遮るように口にした。


「練習に付き合って欲しいって意味だったんだけど、球拾ってくれるだけでもお願いできない?」


 言われて初めて気づいた。元から彼女は遊びに誘ったつもりはなく、付き合って欲しかっただけだったのだと。比較的動きやすい恰好をしていたのも、おそらくこのためだったのだ。

 だからと言って、あまりショックだとは思わなかった。むしろ、さすが強豪校の主将だなと感心した。

 そんな殊勝な彼女からの頼まれ事なら、進んで協力しよう。俺はほとんどノータイムで、お願いに応じる。


「分かった」

「ありがと。よろしくね」


 咲楽は嬉しそうに微笑みながら、スキップを踏みながらコートに入っていく。俺もその後を追う。

 コートはいわゆるハーフコートであり、リングは一つ。この場での練習と言ったら、一番にシュート練習が浮かぶ。

 彼女は丁寧にストレッチをした後、リング下に置かれたボールを手に取るとダムダムとドリブルをしながらフリースローラインに向かう。そして位置についた彼女は、二、三度ボールをつき、リングまでの距離を測るようにゴールの方を見た。

 一連のルーティーンを経て放たれたボールは弧を描き、バックボードに当たることなく網を揺らした。針に糸を通すような一つの狂いのない完璧さを目の当たりにし、俺は息を呑む。


「すげーな……」

「ううん、全然だよ。あっ、ボール取ってもらっていい?」


 俺は彼女に言われ、ゴールから落ちて力なく跳ねていたボールを彼女に投げ返す。受け取った彼女は、再び同じルーティーンをした後に放つ。それもまた、見事にゴールが決まった。

 そうしてしばらく練習に付き合っていたが、一通り終わったのか咲楽はゴールから視線を外した。そのタイミングで、俺はふと気になったことを問う。


「疲れてないのか?」


 きっと彼女は好きなことをやっているから、こうして部活外で練習することに対して何も思わないのだろう。同列に語っていいものではないが、俺もゲームでは似たような経験があるから少しは分かる。

 だとしても、午前中は普通に練習していたはずで、疲労は確実に蓄積しているだろう。それなのに、彼女からはそんな様子を微塵も感じなかった。


「ううん。いつもは一日中やってるし、全然平気」

「さすが強豪だな」

「練習きついのもそうなんだけどさ。みんな上手いから少しでも気を抜いてたらポジションとられちゃうんだよね。今日だって、本当は午後から学校の体育館で自主練するつもりだったけど、後輩たちが使いたいってことで譲ったんだよ。みんな必死に向き合ってるからこそ、うちは強豪なんだと思う」


 ここに彼女らしさが溢れていると感じる。強豪校の主将というポジションでも決して驕ることなく、研鑽を続ける様。他の部員のことをちゃんと評価していて、出場枠を争うライバルであっても練習場所を譲る優しさ。

 そして、それだけには留まらないのが彼女のすごい所。


「部活熱心なのは元から知ってたけど、なんで勉強までできるんだよ……」


 自然とそんな言葉が口から漏れる。

 一つのことを極めるのも難しい中で二つを同時に極める二刀流は、プロ野球選手の中に生まれると必ず注目されるように、世間的に高く評価され尊敬される。それと同じような目線で俺は咲楽を見ていた。

 そんな心からの言葉を聞き、彼女はシュートを打たずその場でドリブルをしながらこちらを見る。


「ううん、そんなことない」

「咲楽は自分の能力を過小評価しすぎなんだよ」


 学業成績一位、強豪バスケ部主将でエース、品行方正で人当りのいい彼女は、多くの人の憧れの的。それでも彼女は決して現状に満足しない。

 それはまるで――。


「それは朔翔の方だよ」


 俺を見据える彼女の目から、この言葉が真剣そのものだと気づかされる。いつの間にか、弾ませていたボールは彼女の腕の中にあった。


「一回、休憩しよっか」


 彼女はボールを持ったまま、コートの外へと出た。そして近くのベンチに腰掛け、俺に隣へ来るよう合図する。それに従い俺もコートの外へと出ると、彼女の隣に座った。


「覚えてる? 私と出会った、中学の頃のこと」

「もちろん」

「何度挑んでも遠く届かなくて、『次こそ、次こそは』っていつも自分を奮い立たせてさ。それでも結局中学の間、朔翔には一回も勝てなかった」


 咲楽と接点を持ったきっかけは、今も彼女とを繋ぐ成績の一位争いだった。

 中学時代、俺が学年成績一位で、彼女は五位あたりを彷徨っていた。当時も成績上位者が公示されるシステムだったが故に、彼女は常に安泰の位置にいた俺を一方的に目標として掲げたのだ。

 そんなある日に、彼女が俺を直接呼び出して宣戦布告したのが出会いの一幕。


『今度こそ君に勝つから』


 彼女から聞いた初めての言葉は今も印象に残っている。


「でも高校も同じになって、高校では絶対に勝つって意気込んでた最初の試験で、私はあっさり一位になれてさ。ずっと目標にしてきた人に勝てて嬉しかったんだよ。……最初はね」

「最初は?」

「テストの回数を重ねるにつれて、私は思ったんだよ。朔翔は高校に来てから変わってしまったんじゃないかって」

「いや、俺は別に何も変わってないだろ」

「変ったよ。一つ、趣味ができた」


 彼女の言う通り、俺は高校に入学するタイミングでゲームという趣味に出会った。高校の入学式前に行われる新入生説明会で知り合った泰史に教えてもらい、そこからのめり込んでいった。


「でもそれは勉強と関係ないだろ」


 別にゲームにのめり込むようになったからと言って勉強を疎かになったわけではない。現に学年成績は彼女に次ぐ二位で、志望校にも問題なく行ける位置にある。そんな現状に満足していた。

 今の俺にとって一番の趣味を否定された気がしてついつい強い口調になってしまったが、彼女も合わせて語気を強める。


「朔翔は自分を過小評価してるんだよ。本当は中学の時みたいに絶対に届かない頂にいて、今も私は追いかける立場のはずだった。でも朔翔は趣味と出会って変わってしまった。このくらいであれば十分、自分はこのくらいだろうって思うようになった」

「それは違う」

「違わない。朔翔は、私なんか遠く及ばないような才能を持っていることをちゃんと自覚すべきだよ」

「いや……、それは俺の台詞だろ」


 その言葉に、彼女は目を瞑って首を振った。


「私は、さ。きっと朔翔が思う……ううん、違うね。みんなが思う桜美咲楽なんてどこにもいない。私にはこれっぽっちも才能なんてないんだよ」

「いきなり何、言ってんだよ……」


 とても信じられない言葉に、俺は到底受け入れられなかった。

 あらゆる才能に溢れた少女――それが俺の、そして桜美咲楽を知る人たちの共通認識だ。

 彼女は自分自身で、それを完全に真っ向から否定した。


「私、小さい頃から何をしようにも下手っぴでね。何をやらせても人並み以下、要するに劣等生だったの」


 俺が言葉を詰まらせ、何も言えなくなってしまった様子を見てだろうか。彼女は自らの過去を少し悲し気に、けれど懐かし気に語り始めた。

 語られたのは、今のあらゆるものを器用にこなし、それらを人並み以上にやり遂げる桜美咲楽とは真逆の像。正直、本当なのかという疑いが生じる。


「小学校上がった時くらいだったかな、そのことを自覚したの。性根は負けず嫌いだから、勉強でもスポーツでも負けたくないっていつからか思うようになって。けどやっぱり、簡単に上達はしなくてね……」


 負けず嫌い。

 それは今の彼女にも通じる所であり、今の桜美咲楽を形作った原点となったものなのだろう。


「ほんと理不尽だよね。人と同じ努力を重ねても、結果にどれほど結びつくかはそれぞれの元から持つ能力に依存するなんて。でもだからって諦めたくなくて、私は誰よりも努力を重ねた。そうやって何とか、朔翔の知るような私になれた」


 本当の彼女。それはあらゆることを人並み以上にこなす才女ではない。

 どんなことであっても負けたくないと思い、人より何倍も努力を重ねてようやく作り上げたもの。天才という評し方は間違っていると、彼女は言ったのだ。


「だからね、今の位置に立ち続けるにはその努力を継続しなきゃいけない。満足して気を抜くと、また昔のようになっちゃうからね」


 彼女はゆっくり立ちあがると軽く伸びをする。再び練習に戻るのだろうか。


「その点、朔翔は違うよ。ごめん、ゲームとか趣味とか、それらを馬鹿にするつもりがあって言ったんじゃないけどさ、朔翔は趣味を思う存分楽しみながらでもこの位置を維持できている。それって、すごいことだと思うんだよ」

「別にすごくなんて……」

「すごいんだよ。それだけは残念だけど、私がいくら切望しても得ることができない。だからこれは嫉妬……だと思う。朔翔と対等なライバル関係になりたい、朔翔に私をライバル視して欲しいと思うのは。それだけのものを持っているならもっと努力してほしいと思うのは、私の我儘」


 趣味と出会ったことを言い訳にするわけではないが、確かに彼女の言う通り一つ転機になったのかもしれない。

 今日は別に勉強をしなくてもいいや。ゲームをしよう。

 たった一度、勉強の優先度を下げたことがきっかけで、俺は手を抜くことを覚えてしまった。

 それで痛い目を見たなら、すぐにあの頃に戻れたのかもしれない。だが、たった一つ番数が下がっただけで済んでしまい、俺はその機会に巡り合わなかった。

 その結果、学年成績二位なら問題ないという、努力をしなくなったことを正当化するようになり、それが転じて『現状に満足しているから――』という考え方に至った。

 それで得たこともたくさんある。

 趣味を得て、友達と遊びに出かけるようになったり、それまで知らなかった世界を知った。それは人生の中で必ず必要な過程だったと思うし、そこに後悔はない。

 けれど――。


「そろそろ練習戻るけど……、朔翔?」


 今自分がいる場所は、誰でもいられる場所ではないのだろう。今こうして、咲楽の話を聞いてそう思った。

 思えば、桐花燈佳もまた、俺のことを羨ましいと言っていたことを思い出す。

 そんな人間が近くにいてどうして今まで気づかなかったのだろう。

 才能がなくとも必死に努力をする人間が正当に評価される世界を望む蘭先生の考え方に賛同したなら、もっと早く気付くべきだった。



 ――自分が大した努力をせずとも望む成績を維持できるからといって、それ以上を目指す努力を怠った人間に、望んでも得られない中でも諦めない彼女を救う資格なんてどこにもないことを。



 彼女を救う方法において、あの時の行動が本当に正しかったのかどうかなんて、俺には端っから悩む資格すらなかった。

 相手の気持ちをちゃんと考えていなかった。桐花は自分のことを話さないからこれまで分からなかったけれど、きっと内心では咲楽と似たようなことを思っていたのではないだろうかと思う。

 だからまず、彼女を救う前に、俺自身が変わらないといけない。そのきっかけをくれた咲楽には感謝だ。

 俺は勢いよく立ち上がり、咲楽に向き合う。


「我儘って、何も悪いことばかりじゃないんじゃないか?」

「悪いことだよ。他人に自分の意見を押し付ける行為は愚かだと思うし」

「そのおかげで、一人の人間に改心する機会を与えることになったのだとしても?」

「……っ!? それってまさか」


 咲楽は目を丸め、バスケットボールが手から滑り落ちた。


「次は期末考査、だったか。猶予はたっぷりあるし、部活にも忙しい咲楽には負ける気がしない」

「朔翔……。ううん、それは私の方もだよ。でも期末は中間考査の範囲も含むから、今から本気になったって絶対に負けたりしないけどね?」


 挑発的な言い回しで煽る咲楽。その表情は、中学の頃を彷彿とさせるような楽し気な笑みだった。


「それでも勝つ。それじゃあ、期末で勝負ってことで」


 俺はゆっくり右手を差し出す。彼女はほぼ反射的にそれを取り、握手を交わす。


「望むところだよ!」


 こうして中間考査が終わって間もないにもかかわらず、期末考査での対決の約束が取り付けられた。中学以来の対決だが、当時の王座防衛戦とは違い今回は挑戦者サイド。これは本当に本気でやらないと難しいだろう。


「それじゃあ前哨戦ということで、フリースロー対決でもする?」

「戦場がアウェーすぎる……。鬼に金棒、バスケ部にバスケットシューズのフル装備相手に、素っ裸で素人の俺が勝てるわけないだろ?」

「す、素っ裸って、なんでこんなとこで脱ごうとしてるの? 脱いでも動きの速さは変わんないよ?」

「そういう意味じゃない……。ゲーム用語で素っ裸は装備なし、デフォルト状態を指すんだよ。要するに武器も防具も何も持たない俺が、最強フル装備のラスボスに挑むような無理ゲーってわけ」


 ……言ってて、ちょうど今日の午前中にやっていたクソゲーを思い出す。

 ラスボスで装備禁止の条件を付けておきながら、何であっちはフル装備だったんだ? ラスボスだからって、いくら何でもおかしいでしょ……。


「それじゃ、もう少し練習した後に他の競技で勝負ってのはどうかな? 幸いここには何でもあるわけだし」

「いいだろう。望むところだ!」


 かくして、前哨戦と銘打った俺たちの戦いの火ぶたは今、切って落とされた。

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