それは、お湯。ただの、お湯。
『一日のはじまりを白湯で』
その文章に私は胸がきゅっとなった。
綺麗なモデルさんが、マグカップを片手にどこか遠くを見つめている。誌面からは、朝を思わせる光がチラチラと満ちていて、見るものをほっこりさせる。
誌面を読み進めて、私はうっとりとした。白湯のほわっとあがる湯気が、目の前にあるように漂う。
こんな風にゆっくり進む時間の中ですごせたら、きっと素敵な一日になるにちがいない。影響されやすい私は、すぐさま白湯の虜になった。
まず、白湯とは何かを調べ始める。
「白湯とは……ふむふむ。効果は……ふむふむ。なるほど、アーユルヴェーダ……。アーユルヴェーダって? ふむふむ。白湯の作り方……ふむふむ」
ふむふむ言い終えると、私は台所の奥から、ヤカンを取り出す。さっそく、水を汲み入れ火にかける。沸騰するのを待つ間、椅子に座ったりして、のんびりすごすことにした。
私は、大のカフェイン好きである。
コーヒー、カフェオレ、カフェラテ、カフェモカ、ミルクティー……。
その名前だけでも、恋に落ちてしまいそうなほど、好きだ。
けれども、事件は起きた。十年ほど続く咳が、咳喘息であると先日診断されたのだ。
「めったにいない程、重症ですね」
若めの医者はにこやかに宣言した。
なぜ、そのように嬉しそうなのだ。私は問いたかった。だが、その日はショックのあまり、何も考えられなかった。
ただ言われるがままに点滴を打ち、気がついた時には、一万円を越える治療費を払っていた。
そして、薬局で更に追い討ちをかけられる。
「カフェイン好きですか?」と薬剤師さん。
「大好きです」と私。
「では、これからは控えて下さいね。お出しする薬が、カフェインに反応して副作用が出やすくなってしまいますので」
なんて?
カフェイン を 控える だと ?
こんなことになるのなら、病院に来る前にガブガブカフェインを摂取したのに。
さようなら、スターバックス。
さようなら、ドトール。
さようなら、紅茶花伝。
私はあらゆる企業と商品に、涙ながらお別れを告げた。今期に入って、一番悲しいお別れであった。
その日から、カフェインは一日一杯まで生活が始まった。ハーブティーや緑茶を試してみたが、カフェイン発作は抑えられない。
私はやさぐれてしまった。
反抗期の高校生のごとく、ぷりぷりトゲトゲしている。
NO CAFFEINE,NO LIFEと叫んでまわりたいところだ。
そんな時に出会ったのが、白湯であった。
カフェイン不在の今、私の心を埋めてくれるのは白湯! そう! 君しかいない!
とばかりに、白湯を求めた。
「あっ……つ!!」
マグカップに口をつけた私は、声をあげた。これでは、ただの熱湯である。
「そうか、もう少し冷まさないと」
出来上がった白湯に、私は大満足であった。まろやかという言葉がこれほど似合う水は君だけ、と絶賛するほどだった。
だが、読者諸君。
ここで思い出していただきたい。私という人間は、石橋を叩いていいか検索し、初めのうちは慎重に行動するのだ。最初のうちは……。
「ケトルで温めればいいのでは?」
唐突に、私は閃いてしまった。
「レンジでチンでもいけるかも」
そして、気がついてしまう。
それは、お湯だと。ただの、お湯だと。
白湯への熱が冷めてしまった私は、とても都合の良いように考えることにした。
好きなものを完全に断ち切るのは、無理だと。
身の丈に合わないことをして、何になるのだ。
ストレスの溜まることをするくらいならば、たった一杯のカフェインを思いっきり楽しむべきなのではないか、と。
ミルクたっぷりのコーヒーを作って、ポテチを片手に、アニメを見る。憧れた白湯生活とは、真逆の現状に、ちょっぴり心切なさを感じた。
そこへ、旦那さんがマグカップを持ってやって来た。私のマグカップの中身をみて「あれ?」という顔をした。
「最近コーヒー飲むと、お腹が痛くなるんだよね」
と彼は言った。もしや、私に気をつかってくれているのだろうか。なんて、やさしい人。そう思って、心の中で涙する。
「お腹がぐるぐるになるから、飲むのやめたんだ」
「そうなんだ」
彼のマグカップをのぞき込むと、そこには透明な液体が揺れていた。
それって! まさか! 白湯?
驚いて旦那さんの顔を仰ぎ見る。
つかの間の白湯生活を、旦那さんは知らない。なのに、同じくカフェイン断ちをして、白湯を飲んでいるだなんて……。
これが、夫婦の絆というやつだろうか!!
私は胸が高鳴った。
「なに、飲んでるの?」
期待をこめて、私はたずねた。
「これ?」
旦那さんは、少年のように笑って言った。
「水道水」
ただの、水であった。
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