第8話 イチジクの味と、料理研究家の戦時中

「確かに煙たいですけど、終戦直後に京都から広島まで、原爆の調査に出たときのことを思えば・・・」

 堀田氏は、院生時代のことを回想している。


「君の研究室は、原爆の調査に広島入りした、あの教授さんのところだよな」

「ええ。あの時の行き帰りのことを思えば、この列車、十二分に天国ですわ」

「この列車の三等車ほどでもあれば、当時なら十二分の天国であったろうな」

「それはそうですよ。もう、荷物車に押し込まれたような車両に乗って、まあ、途中停まり停まりでほとんど一日がかり、それでも、移動できただけありがたかったですよ。これなら余程、軍用列車のほうがましかと思いましたわ」

「じゃろうな。わしは確かに陸軍の将校ではあったが、戦後はそりゃあ、昔のようにいつも二等車というわけにもいかん。ま、うちが米屋やから、寿司詰めで買出しに走ることもなかったから、ありがたいことだった。なんせ、戦中は陸軍、戦後は実家の米屋で、何とか自分の食い扶持くらいは確保させていただいておるからなぁ」

「それはうらやましい。うちの研究室の教授さん、あの時期にもかかわらず、研究室のぼくらのために、いろいろ差し入れしてくださって。どこで確保されたのやら、白飯の雑炊の旨かったことと言ったら、なかったですわ。腹の足しにはなるまいがと、そんな枕詞を言われて出されたのは、教授の御近所からいただいたとかいうイチジクだったこともありますよ。あの甘味、忘れもしません」


 ここで堀田氏は、幼馴染の料理研究家の話を出した。


 そうかな。そりゃあ、さぞかし旨かったことでしょう。

 今は料理研究家になっておるが、私の幼馴染に土井正男君という奴がいて、陸軍の炊事班に回ってというか、軍の料理の開発にいそしんでおってね。

 あいつの話を聞くにつけ、こっちはうらやましいことしきりだったよ。

 あのばら寿司も開発してな、高官各位、興味深く試食されていたと聞いている。ある高官に至っては、具の数が少ないようでは、研究班としての任務を果たせたとは言わんのではないかと、そんなことまで仰せだったって。

 職業軍人だった私でも、あれは、うらやましかったねぇ・・・。


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