第38話 審判のとき
処刑場に風がふいたけど僕の冷や汗はぜんぜん乾かなくて、冷たさを感じただけだった。
僕は、ジェシカさんのかもしだす怒りのあまりの迫力にその場から逃げ出したくなったけど、なんとか踏みとどまった。
「だから、かりんさんは僕の大切な…。」
「葵!」
桐庭さんは僕の背中に抱きついてきて、しばらく何も言わずにそのままにしていた。
「嬉しい…やっぱりあたしを選んでくれたんだ。」
「え?」
僕はふりかえり、思いきり彼女と目があった。桐庭さんは両手で僕の顔を固定すると、いきなり僕の口に唇を重ねてきた。
静まりかえっていた僕たちのまわりからどよめきが聞こえてきたけど、なにが起こったのか僕はすぐにはわからなかった。
僕はしばらく身うごきがとれなくって、彼女の思いのほか柔らかな唇の感触が現実のものだとは信じられなかった。
どのくらいの時間がたったのかすら僕にはわからなくて、彼女が顔をはなした瞬間に僕の足腰は機能を失った。
空と地面がさかさまになって、どうやら僕は倒れてしまったようだった。
しかもこきざみに痙攣しながら。
倒れたままの僕から見えたのは、金色の目の焦点があっていなくて放心状態のようなジェシカさんと、勝ちほこった様子で笑みを浮かべている桐庭さんだった。
「どおーだ! どうせ、あんたはまだだったんでしょ?」
「…。」
ジェシカさんは何かをブツブツと聞きとれないくらいの小さな声でつぶやいていた。僕はそれがなんなのか、すぐに気づいた。
「桐庭さん! 逃げて!」
ジェシカさんの両手にはスイカくらいの大きさの火の玉があらわれていた。あんなものをここでぶっ放したらとんでもないことになりそうだった。
なのに、桐庭さんは余裕たっぷりで小さな袋をとりだした。
「残念でした! これは平和の花の種だけど、そんなことをしたら燃えちゃうよ?」
彼女は手の上で小袋をみせびらかすようにポンポン宙に投げた。
「関係ないわ!」
「えっ?」
ジェシカさんの手から火球が放たれて、僕はびっくり顔でかたまっている桐庭さんに思いきりタックルした。爆発音がして背中に焼けつくような痛みを感じ、僕たちはそのまま地面にたおれこんだ。
髪や肉がこげるようなイヤなにおいがして、僕は背中一面に剣山みたいなこまかい針を刺されたように感じて、もう痛いなんてものじゃなかった。
「店主殿!?」
「葵!!」
「ハナヤ殿!?」
いくつもの呼びかけが、朦朧とした僕の意識の中で交錯した。かけよってくるみんなはどうしてあんなに悲痛な顔をしているんだろう、などと僕はのんきに考えていた。
聞こえてくるのはみんなエコーがかかったみたいな声で、激しく言い争いをしているようだった。
「…なに考えてんの!? 葵を撃つなんて、バカエルフ…」
「…そなたを撃ったのだ! おのれ、よくも私より先に店主殿の…」
「…口げんかはあとだ! 治療師をはやく…」
僕はなんだか、ものすごく大事なことをひとつ忘れているような気がしたけど、もう息をするのもつらくなってきて、意識が闇の中に落ちていくのに抵抗できなくなった。
僕は自分の部屋にいた。
閉じこもってから何日たったのか、数える気にもならなかった。
その日も僕はダラダラとベッドで寝てすごし、午後も遅い時刻になっていた。僕の家は二階建てで、一階からは何度も何度もドアホンが鳴る音が聞こえてきたけど、僕はかけ布団をかぶって無視をした。
やがてあきらめたのか、ドアホンは鳴らなくなった。
毎日のように、僕はドアホンが鳴るのを無視し続けていた。いつか鳴らなくなることを願いながら。
僕はノロノロと起きあがると、ひどい疲れを感じた。部屋をみまわすと、場違いのような古いクローゼットが隅のほうに置かれていた。
祖父母がくれたものだったが、あまりにも古そうなので使ってはいなかった。
僕はビニールひもを持ってクローゼットに近づいた。
少しの間だけ苦しいのを我慢すればいいんだと自分に言い聞かせながら、僕はクローゼットの扉を開けた。
そして、僕は新天地を得た。
クローゼットの向こうには、無限の異世界が広がっていた。
僕は痛みで気を失い、痛みで目を覚ました。
なんだか僕は静かな海の上に漂っているように感じたけど、それはどうやらマットレスに水が入っているウォーターベッドというやつのようだった。
まずキラキラのシャンデリアが見えて、背中の痛みに顔をしかめた僕は、左右に違和感をおぼえた。
まず右を見ると、ジェシカさんの寝顔があった。僕は出しかけた悲鳴をおさえ、次に左を見た。そこには桐庭さんの寝顔があった。
しかも、羽毛ふとんでよくわからないけど、ふたりともなんにも身につけていないようにみえた。
僕はなんとかそーっとベッドから出ようとしたけど、背中がつっぱるように痛くてうまく身うごきがとれなかった。
「気がついたのか! 店主殿!」
起きたジェシカさんがすごい力で抱きついてきて、僕はあまりの痛さにまた気が遠くなった。
「あいたたた…。」
「あ。店主殿、すまぬ。」
「葵! 意識が戻ったんだ!」
今度は桐庭さんが僕を抱きしめてきた。よく見るとふたりとも体にはボロボロの布きれを巻いていて、なんとか大切なところだけは視界から守られているありさまだった。
「ここは…どこ?」
僕は痛みに顔をゆがめながらふたりに聞いた。質問を無視して、ジェシカさんが桐庭さんをつきとばして僕の頭を抱えこんだ。
「店主殿、かわいい!」
「離れなさいよ。葵を撃ったクセに。」
「店主殿を撃ったのではない。そなたを撃ったのだと何度も言っておろうが。」
このままだとまた大げんかになるのが確実だったので、僕は話題をそらすことにした。
「ふたりとも、ここはどこなんですか? あと、その格好はどうしたの?」
僕の質問はまた無視されて、ふたりはにらみあいを続けていた。仕方がないので僕はベッドからおりて、ふらつきながらドアへ向かった。
「店主殿、無駄だ。開かないぞ。」
ジェシカさんと桐庭さんが僕を両側からささえてくれて、僕はベッドに連れ戻された。
「葵、寝てなきゃだめだよ。あたしがとなりにいるからさ。」
「そなたは床で寝よ。」
「バカエルフこそソファへいきなさいよ。」
ジェシカさんの目が険しくなり、僕はまた彼女が魔法をぶっ放すんじゃないかと焦った。
「まあどうせ、そなたは死罪だろう。今のうちに店主殿に別れを言っておけ。せめてもの情けだ。」
「えええ!? 死罪!?」
僕は起きあがろうとしてまた痛みでできなかった。
「いいわ。死刑でもなんでも受けてやるわよ。その代わり、バカエルフも道づれにしてやるんだから。」
「私が死罪になるわけがなかろう。」
僕はふたりの話についていけず、3回目の質問をすることにした。
「だから、ここはどこ? 死刑ってなんの話?」
ジェシカさんと桐庭さんはお互いに、おまえが言えよみたいな感じで視線を交わしていた。結局、ジェシカさんが口を開いた。
「ここは湖水地方で、人間の王国の王とやらの別荘だ。いま、王の裁きを待っているところだ。我々は囚人扱いらしい。」
「裁きって…?」
「世界に戦争を起こそうとしたあたしと、平和の種を燃やしちゃったバカエルフと、その雇い主への裁きね。」
桐庭さんは手ぐしを長い髪に通しながら、まるで他人ごとみたいな言い方をした。
どうやら僕は、今は本物の囚人になってしまったらしかった。
わかってはいたけど、僕は彼女に聞かないわけにはいかなかった。
「桐庭さんはどうしてあんなことをしたの?」
「この世界が戦争でなくなっちゃえば、葵が戻ってきてくれると思ったの。あんたはこの世界ではものすごく楽しそうにしちゃってさ。あたしには会ってもくれないクセに。」
「毎日、家に来てくれていたんだね…。」
僕は彼女に対して申し訳ない気持ちしかなくて、うなだれてしまった。
ジェシカさんはすぐ横で僕たちの話を聞いていたけど、急にとがった耳をふるわせた。
「足音だ。だれか来るぞ!」
誰かが僕たちに、王の判決を告げにきたらしかった。
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