第34話 病室で君に告げたこと


 その日から、学校に行くのが憂鬱なことじゃなくて、僕にとって最大の楽しみになった。


 人と話すのが苦手な僕には友だちはいなかったけど、桐庭さんは毎日のように花壇にきてくれた。


「桐庭さん、友だちとお昼ごはんをたべなくていいの?」


「あたしはこっちがいいの! 花矢くん、これが終わったらいっしょに食べよ? ねえ、ここはこれでいいの?」


「うん。そっと、根に気をつけて、土を…。」



 人気者だった彼女を僕はひとりじめしているような気がして、後ろめたかったのかもしれない。

 それでも、世話をした花壇に咲きほこる色とりどりの花を彼女と一緒に見るとき、僕はとても幸せだった。



 そう、あの日までは…。




 急に場面が変わり、僕はこれが夢であることにとっくに気づいていた。


 

 病院の白い建物が見えてくるにつれて、僕の足どりは重くなるいっぽうだった。

 それでも、僕は受付で桐庭さんの病室を聞くとエレベーターに乗った。



「葵、来てくれたんだ!」


 部屋は広くて個室だった。ベッドの上の桐庭さんは包帯だらけで痛々しかったけど元気そうで、そんな姿でも彼女は輝いていた。


「桐庭さん、これ…。」


「おおっ!? 駅前のシュークリーム!? やったぜ!」


 桐庭さんはなんだか必要以上におどけているようで、僕の気分はさらに落ち込む一方だった。


「ね? 葵もいっしょに食べよーよ。」


「桐庭さん…。」


「なんだよ葵、かりんって呼んでって言ったじゃん?」


 僕は耐えきれなくなって、病室の冷たい床に座り込み、土下座をした。


「ごめんなさい! 僕のせいで、桐庭さんがこんな目に…。」


「え?」


「僕とはもう会わないほうがいいよ。」


 桐庭さんは、僕が花壇で他の生徒たちにからまれているところを助けようとして、逆にひどく殴る蹴るの仕打ちを受けたのだった。



 返事がないので僕が顔をあげると、桐庭さんは黙々とシュークリームを食べていた。


「飲みものある?」


「あ…。」


 僕が紙パックの紅茶を差し出すと、彼女は僕の手をつかんだ。


「まだつきあってもいないのに、わかれ話?」


 僕は泣きそうな顔になっていたみたいで、彼女はぷっと吹きだすと笑いだして、おかしくてたまらないという様子だった。


「やめてよ! 僕がどれだけ心配したかわかる?」


「ごめんなさい。でも、嬉しくて。心配してくれてたんだ。」


「あたりまえだよ!」


「あはは、あたしが勝手にケンカしてボコボコにされただけなんだからさ。気にすんなよ。」


 桐庭さんは手を離してお茶を飲み干すと、真面目な顔をして僕を見つめてきた。


「ところでそれは、友だちとしての心配?」


「それは…。」


「ねえ葵、今ならここ、誰もいないよ。」


 桐庭さんは頬も手も赤くなって、ついにはうすいかけ布団の中に隠れてしまった。


「あたし、葵が大好き! きゃあ、言っちゃった! だから、謝らないで! 葵はあたしのこと…?」


 僕は即答しようとして、のど元まで出かかった言葉を飲みこんだ。気づくと、僕の両手は震えていた。


「桐庭さん、ごめんなさい。僕は君とはもう会わないし、話さない。」


「え?」


「僕なんかとかかわると、桐庭さんが傷ついて不幸になるだけだよ。」


 顔を出した桐庭さんは、なにか見たこともない生き物を見るような目で僕を見た。


「ごめん、意味わかんない。なんて?」


「僕は君を記憶から消すよ。もう学校にも行かない。誰とも会わない。」


「な、なに言ってんの!? 将来、おじいちゃんとおばあちゃんのお花屋さんを継ぐって楽しそうに言ってたじゃない!? あたし、それをいっしょに手伝うって…。」


「やめてよ!」


 僕はもう耐えられなくなって、大声をだしてしまった。


「だから、もういいんだよ! できもしないことを言わなくても!」


 僕は椅子を蹴ってたちあがると、病室のドアへ向かった。背後からは彼女の悲痛な叫び声が聞こえてきた。


「待って、葵! あたしも、あたしも居場所がないの! でも、葵となら、なんだってできるしどこへでも行ける!」


「さよなら、桐庭さん。」


 僕はふりかえらずに扉をしめると、走っちゃいけない病院の廊下を走った。


 家に帰った僕は、その日から部屋を出ることをやめた。涙が尽きるまで、どれくらい時間が必要か僕にはわからなかった。




「ハナヤ・アオイ! 釈放だ! 身元引受人が来られたぞ!」


 太くて低い声に起こされて、僕はのろのろと檻を出た。目は濡れていて、まだ夢の続きを見ているようだった。


「ハナヤ殿!」


 石床の廊下を歩いていると聞き覚えのある声がして、背が高くてがっしりした立派なロングコートのおじさんが僕に駆け寄ってきた。


「ワサビンカさん!?」


「ハナヤ殿、その節は世話になったな。まさか貴方もいっしょにつかまっていたとは、おどろきましたぞ。」


 僕はワサビンカさんにはやく事実をつたえなきゃと思った。


「ワサビンカさん、コナさんは平和の花の種を盗んでなんかいないんです。信じてください!」


「あなたが言うならまちがいはなさそうだな。実はマリーン団長からも手紙があった。どうやら私のはやとちりだったらしいな。」


 僕はホッとしたけど、すぐに落胆することになった。


「だが、かなり切迫した状況だぞ。戦争派のヤツらが騒ぎたて、陛下は出兵の許可証に押印されようとしておられる。」


「そんな…。」


 僕とワサビンカさんが裏門から出ると、立派な馬車が待っていた。御しているのは見覚えのあるこわい顔の人だった。


「ドリスさん!」


「ハナヤ殿。これよりは拙者が貴殿をお守りしますぞ!」


 僕たちが乗りこむと、馬車は勢いよく走り出してみるみる速度をあげた。


「すみません、守るってどういう意味ですか? それに、ジェシカさんとコナさんは無事なのですか?」


「はい、今や戦争派のやからがハナヤ殿を狙っておりますからな。」


「ぼ、僕を!?」


 僕はびっくりしすぎて声が裏がえってしまった。


「ええ。エルフと心を通じ、平和の花の種をとりもどそうとしている花の専門家がいる、と国中に知れわたってしまいまして。」


 申し訳なさそうに頭をかくドリスさんに、ワサビンカさんが急かすように言った。


「ふたつめのご質問だが。ドリス、救出作戦は順調か?」


「はっ。ですが、よろしいのですか? へたをすると内戦ですぞ。」


「かまわん。エルフたちと戦争になるよりはマシだ。」


 僕がワサビンカさんの顔をみると、彼は僕を安心させるように微笑んだ。


「エルフのおふたりは、戦争派の連中に連れていかれてしまったのだ。そこで、わが手勢が王立裁判所を襲い、裁判中にエルフのおふたりを救出する。その後は、合流して湖水地方に向かう。」


「湖水地方? どうしてですか?」


「陛下に直接お会いするのだ。陛下は別荘で静養中でな。」


「陛下って、王様ってこと!?」


 僕は気が遠くなってしまったけど、気になることがあった。


「ワサビンカさん、裁判って?」


「ああ、裁判とは名ばかりの茶番だ。つかまえたか弱きエルフを、よってたかって新帝国のスパイだと責めたてるのだ。はやく救わねば…。」


「大変だ! 早く裁判所へ行きましょう!」


「え? ハナヤ殿、なぜだ? 危険だぞ?」


「ジェシカさんがいちばん危険なんです! 僕しかとめられないんです!」




 完全に手遅れだった。


 以前はさぞ立派であっただろうと思う王立裁判所は、今はただの巨大な廃墟と化していた。焼けた石のガレキが山積みになり、あちらこちらから黒い煙と火がたちのぼり、たくさんの人々が悲鳴をあげながら逃げまどっていた。

 僕は馬車から飛びおりると、ジェシカさんの叫び声が聞こえてくる方向へ走った。


「はっはっは! 王国軍はこの程度か! この私に挑む者はおらんのか!」


 瓦礫のてっぺんで、頬を煤だらけにしたジェシカさんが手にした細剣を突きあげていた。その姿は神々しくて、僕はみとれかけてしまったけど、とにかく大声で呼びかけてみた。


「ジェシカさーん! 気はすんだ? もう帰ろうよ!」


「やだ!」



「うーむ。わが軍にほしい逸材ですな。」


 避難者の誘導を指揮していたドリスさんが感心したように言い、ワサビンカさんもうなずいていた。


「のんきなことを! このままだと王都が壊滅しますよ!」


「そんな大げさな。」


「ドリスさん、この辺りにおいしいお菓子屋さんはありませんか?」


「ああ、拙者の実家がこの先でケーキカフェをやっとりますが。」


 僕は息を吸いこむと、再び大声をだした。


「ジェシカさーん! この近くにケーキ屋さんがあるって!」


「本当か!?」



 僕たちがカフェに入ると、中では囚人服姿のコナさんが紅茶を飲んでいた。ケーキに手を出そうとしたジェシカさんの手を、コナさんはピシッとたたいた。


「ジェシカ! まずは手を洗いなさい!」


「お姉さまのケチ!」


 僕はのんきなふたりに呆れて、外を指差してせかした。


「馬車が待ってますから早くしてください! 王さまに会いに行くそうですよ。」


「今、人間の王に会ってどうする? 平和の種がなければ意味がなかろう。」


 コナさんはお茶を飲みながら何かを考えている様子だったけど、ふいに口を開いた。


「私に良い考えがあります。」

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