第20話 愛の品評会(前編)


 ある夜のこと。

 階下からの物音で僕の目が覚めた。


 僕はベッドからおりて、眠い目をこすりながらスリッパをはき、木のバットを握ると階段をおりた。


「泥棒かな?」


 音は事務室からで、なにやら言い争う声や、物が落ちて割れる音がしていた。

 僕はふりあげていたバットをおろすとため息をつき、部屋に入った。


「ふたりとも、こんな真夜中にやめてください!」


 事務室の中は荒れ果てていた。

 椅子とテーブルはひっくりかえり、床には書類や倒れた観葉植物が散乱していた。

 とっくみあって争っていたふたりは、僕のほうに顔をむけた。


「店主殿!」


「店長さん!」


(仲がよくないとは思っていたけど、まさかここまでひどいなんて…。)


 ふたりの髪や衣服は乱れていて、頬にはひっかき傷があり、唇もすこし切れていた。


「けんかの原因はなんなのですか?」


「喧嘩ではない。私は泥棒を退治していたのだ。」


「ユリは泥棒じゃありません! 泥棒はジェシカさんです!」


 正反対のいいぶんに僕はわけがわからなくて、椅子を起こしてふたりを座らせた。




「物音がしたので来てみると、ユリ殿が金庫をあさっていたのだ。」


「ちがいます! 物音がしたから降りてきたら、ジェシカさんが食べ物をあさっていたんです!」


 僕は慌てて金庫を確認したけど、売上金は銀行に預けたあとだったし、帳簿も顧客名簿も無事だった。


「ジェシカさん、おなかがすいたなら言ってください。」


「店主殿は私ではなくユリ殿を信じるのか!?」


 ジェシカさんは金色の目を見開いて立ちあがり、信じられないとでも言いたげに体をのけぞらせた。


「だって、ユリさんが金庫をあらす必要なんてないじゃないですか。」


 ジェシカさんの耳がみるみる下がり、彼女はスタスタと売り場の方向へと歩きはじめた。


「ジェシカさん? どこへ行くんですか?」


「もういい。出ていく。」


 彼女はつぶやくと、夜着のまま外へ出て行ってしまった。


「ジェシカさん!」


「大丈夫ですよ、ほっときましょ。おなかがすいたら戻ってきますよ。」


「でも…。」



 結局その晩、ジェシカさんは戻ってこなかった。




 翌朝。


 僕は店の前をほうきで掃きながら、ジェシカさんが戻ってくるのを待っていた。


(まさかこのまま帰ってこないんじゃ…。)


 そう思うと、僕はひどく不安な上になんだかとてつもなく悲しくなってきた。

 もしかして、僕はとんでもないまちがいしでかしたのかもしれなかった。


 僕が途方にくれていると、ユリさんが出てきた。


「店長さん、おはようございます! ミルクを切らしていたから買ってきます。すぐに戻りますね。」


 ユリさんが通りすぎたあと、背後から僕の口が手で塞がれた。


「むぐぐ!?」


「店主殿、しずかに。私だ。」


 ジェシカさんは夜着の上からジャケットをはおっているだけだった。彼女は手を離すと、僕の腕をひっぱった。


「今までどこにいたんですか!?」


「そんなことより、行くぞ、店主殿。」


「行くって、どこへ?」


「決まっておるではないか。ユリ殿のあとをつけるのだ。」


 僕はぐいぐいひっぱられて、腕がいたかったけど彼女に申し訳ない気持ちでいっぱいだった。


「ジェシカさん、ごめんなさい。僕…。」


「話はあとだ。」


 ジェシカさんはニヤリとして、僕に腕をからめてきた。


「どうしてユリさんのあとをつけるんですか?」


「まあ見ておれ。」



 

 しばらく行くと、通行人にまじってユリさんの背中が見えてきた。牛乳屋さんを通りすぎて、彼女はひょいとまがると裏路地に消えた。


 ジェシカさんはすばやく壁にはりついて様子をうかがい、僕を手まねきした。

 路地裏をすすみ、まがりくねったあとにせまい十字路にでると彼女は手で僕を制し、口に指をあてた。


「…たったこれだけか。顧客名簿の一部の写ししか…」


「…だって、仕方がないじゃない。時間がなかったし…」


 ユリさんが誰かと会話する声がして、驚いて声を出しそうになった僕はまたジェシカさんに口を塞がれた。


「…まあいい。いちばん知りたいのは花の仕入れもとだ。はやく聞きだすんだぞ…」


 僕は我慢しきれなくなり、すこしだけ顔をだしてユリさんの相手を見た。


「あっ!?」


 僕は思わず声をあげてしまい、ジェシカさんは舌うちすると僕を抱えあげて全速力で元の通りまで駆け戻った。


「まったく、気づかれるところだったぞ。」


「ごめんなさい、でも…。」


「店主殿はあの者を知っているのか?」



 知っているどころか、僕は会ったことがあった。前に花き商会の本部で会議に出たとき、商会長の隣にえらそうな態度で座っていたおじさんだった。



「まさか…ガデニング副会長が?」


 僕は血の気がひくような感覚がしておなかが痛くなってしまい、ジェシカさんにおんぶされて店にもどった。



「ジェシカさん、本当にごめんなさい! 僕がまちがっていました!」


「わかればよい。」


 彼女は鼻たかだかで、すこしいじわるそうに笑った。


「さて。どうやってつぐなってもらおうか。」


 僕は、いちばん弱みを握られてはまずい相手にミスをしてしまったらしかった。


「それよりもユリさんのことですけど、ジェシカさんはなぜわかったんですか?」


「同僚だからな。不自然な動きはすぐにわかる。」


「これからどうしましょう。」


「それを決めるのは店主殿だ。私ではない。ただ…。」


 ジェシカさんはすこし考えてから、僕の肩に手を置いた。


「ユリ殿の、この店での仕事に対する熱意は本物だったように見えるがな。」


 僕はハッとして、ジェシカさんと見つめあった。




「ただいま戻りました! ユリ、すぐに朝ごはんをつくりますね!」


 ミルク瓶を持った彼女はニコニコしながらキッチンに入っていった。


 朝食のあと、僕が洗い物をしているとユリさんが遠慮がちに近づいてきた。


「あの、店長さん。ひとつお聞きしていいですか?」


「なんですか?」


「店長さんは、ご両親とは仲がいいですか?」


 僕は彼女の質問の意図がわからなかったけど、事実をありのまま答えることにした。


「ううん。実はあまりうまくいってないんです。」


「そうなんですね。それはどうして?」


「僕の両親は貿易商をしていて、僕に継がせようと考えていたんです。でも、僕はどうしてもお花屋さんをしたくて、言うことを聞かなかったんです。」


 ユリさんは驚いた表情になって、次に悲しげな顔になった。


「店長さんはえらいですね。親の言いなりにならずに、ご自分の意志を通されたのですね。」


 彼女は考えこむ様子で売り場に戻っていった。


 なんだか僕には、その背中は迷っているようにみえた。

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