第19話 ザクロンの実を食べよう(後編)


「…殿、しっかりするのだ! 店主殿!」


 誰かが僕の体をはげしくゆさぶっていた。あんまりはげしいから、僕は気分が悪くなってきた。


「…大丈夫だから…ゆらさないで…。」


「店主殿! 気がついたのか!」


 今度はその誰かが抱きついてきて、ギューッとものすごい力でしめつけてくるものだから、僕は息ができなくなりそうだった。

 でも僕の鼻は、どんな花よりもいい香りを感じた。


「くるしいよ…ジェシカさん…。」


「くるしいだと!? た、たいへんではないか!」


 ジェシカさんは僕を突きはなすと、慌てまくって僕の服のボタンを外そうとしてうまくいかず、服ごとむしりとってしまった。


「…あ。なんと。」


「…み、見ないで…ください…。」


 ジェシカさんの金色の目の瞳孔が夜の猫みたいにみひらいて、そのままかたまった。

 僕は両手でもこぼれそうな胸をササっとかくした。


 

 どうやら僕は洗面室で倒れていたところをジェシカさんに見つかったようだった。彼女は僕を抱きあげると、ベッドまで運んで毛布をかけてくれた。


「店主殿は軽すぎるぞ。もっと食べないといけないな。」


「ジェシカさんみたいに食べてたら、お腹を壊しますよ。」


 ジェシカさんは微笑んで、ベッドの端に座った。


「命に別条はないな。よかった。もしも店主殿になにかあったら…私は生きていけぬ。」


 ジェシカさんは真っ赤になってうつむいた。僕はそんな彼女をすこしかわいいと思ってしまい、慌てた。


「そ、それよりも、僕のこれ、どうなってるんですか!?」


 ジェシカさんはさらに赤くなり、目を閉じて顔をそらしてしまった。


「笑わずに聞くと約束してくれるか?」


「わかりましたから、はやく話してください。」


「店主殿がわるいのだぞ。ユリ殿ばかりを見るから…。」


 ジェシカさんは頭を抱えてベッドに突っ伏してしまった。


「だから、なんの話ですか?」


「あれは…ザクロンの木は、熟した実を食べるとだな…その…あれだ、つまり…」


「まさか胸が大きくなる、とかですか!?」


「まあな。その通りだ。よくわかったな、店主殿。」


 ジェシカさんは半笑いで顔をあげて、僕の怒り度合いを確かめようとしている様子だった。


「あたりまえでしょう! 実際に大きくなっているんですから! どうするんですか、これ!?」


「店主殿、しずかに。ユリ殿が起きたら厄介だ。」


「既に厄介な事態なんですよ!」


 ジェシカさんはあろうことかぷふっと吹き出して、プルプルと笑いを堪えているようだった。


「あ、いま、笑いました? 笑いましたね?」


「いや、だって、店主殿が必死すぎてかわいくって。ぷふっ。どれ、もう一度見せてみよ。」


「イヤです!」


 僕は逆上してジェシカさんにつかみかかったけど、あっという間に馬乗りにされてしまった。


「ふふふ。私に勝てると思うたか?」


「ジェシカさん、悪役の目になってますってば!」


「案ずるな。説明書にちゃんと対処方法が書いてあるぞ。」


「はやく言ってください!」


 ジェシカさんはあおむけの僕にまたがったまま、紙を読みはじめた。


「ふむ。胸をしぼませるには、ザクロンのエキスを吸い出せと書いてあるぞ。」


「吸い出すって、どうやって?」


「もちろん、口で、先端からだ。」


「悪い冗談ですよね?」


 僕は暴れようとしたけど、ジェシカさんに抑えこまれてびくともしなかった。


「動くな。それにしても見事だな。私もこれくらいあれば…。うーむ、ユリ殿よりも大きいな。」


「じっくりと見ないでくださいってば!!」


「ふむ。しかも何というやわらさかだ。」


「あっ…。」



 扉が乱暴にノックされて、返事をする前に開いてしまった。



「いい加減にして下さい! 騒がしくってユリは眠れません! いったいなにを…。」


 僕は神様に、お願いだから彼女が気絶しますように、と祈った。ランプを手にしたユリさんは、僕と馬のりになっているジェシカさんと、僕の胸を交互に何度も見比べた。


「…失礼しました。どうやらユリは悪い夢をみているようです…おやすみなさい…。」


 彼女はふらつきながら部屋から出て、扉を静かに閉めた。



「心配無用だ。あとで記憶消去の魔法をかけておく。」


「その魔法、僕にもかけてください。」


 ジェシカさんは僕の胸に顔を近づけてきた。


「では、始めるぞ。」


「やさしくお願いします…。」




「おかしいな。ぜんぜん小さくならんではないか。店主殿、大丈夫か?」


「…。」


 僕はもう、くわしくは言えないけどぜんぜん大丈夫じゃなかった。


「仕方がない、すこし荒療治をする。我慢せよ。」


「まさか、楽しんでませんよね?」


 ジェシカさんは上体を起こすと、急に夜着を脱ごうとした。


「なぜ脱ぐんですか!? やっぱり楽しんでますよね!?」


「心外な。暑くてかなわぬだけだ。」


 怒ったのか、ジェシカさんは乱暴に僕の胸をわしづかみにした。


「あいたたた! いたい、いたいってば、ジェシカさん!」


「我慢せよ。荒療治と言うたであろう。ふふふ。」


 ジェシカさんはなにか変なスイッチが入ったようだった。僕はなんとか話題を考えた。


「ジェシカさん、そういえばプレゼントって言っていたのは?」


「あ、だからそれは…。」


 彼女は我にかえっておとなしくなり、また赤くなった。


「ザクロンの実を私が食べてだな、私を店主殿にプレゼントしようと考えたのだ。すまぬ。」


「そうだったんですね。」


 ジェシカさんの長い耳はたれさがり、彼女の綺麗な金色の目はうるんでいた。

 そんな彼女を見ていると、僕も冷静になることができた。


「ジェシカさん。そんなことをしなくても、ジェシカさんはそのままでいいんですよ。」


「店主殿…。」



 ジェシカさんはびっくりしたような顔で僕を見つめてから、ポロポロと大量の涙を落とし始めた。


「そのような言葉を、私は今までに誰からも一度たりとも言われたことがなかった。」


「あ! ご、ごめんね、ジェシカさん。泣かないでください!」


「違うのだ。これは嬉しくて泣いているのだ。」


 ジェシカさんは僕に抱きついてきて、あんまりにも強い力だったけど僕は平気だった。

 僕がジェシカさんにかけた言葉は、僕自身が誰かにいちばん言ってほしい言葉だった。



 

 僕はジェシカさんが泣きたいだけ泣くまで待った。彼女は手で目もとを拭くと、僕にやさしい笑顔を向けてくれた。


「では店主殿。お言葉に甘えて、私は私の欲望に忠実に従う事にしよう。」


「へ?」


「実はな、私はこの状況をやはり少し楽しんでいたのだ。」


「ジェシカさん、あなたって人は!」


「人ではない。エルフだ。」


 ジェシカさんはニヤリとして僕の胸を…。


 

 申し訳ないけど、これ以上は僕の記憶に残っていない。




 早朝。


 僕が裏庭で洗濯をしていると、ユリさんが伸びをしながら出てきた。


「店長さん、おはよーございまーす! 朝から洗い物ですか?」


「ええ、まあ…。」


「昨晩、ユリはものすごく変な夢をみちゃいました。」


「ど、どんな夢?」


「それが…ユリ、覚えていないんです。」


 

 僕はホッとして、洗濯を続けた。



 

 そのあと。



 僕は返品棚にザクロンの鉢が置いてあるのを見てホッとした。


「店長さん! それ、珍しい木ですね。ユリは初めて見ました。」


「え? ああ、そ、そうですね。」


 僕は思わず体で木を隠してしまった。


「あの、店長さん、ユリが貸したかゆみどめのお薬を返してくれますか?」


「あ! ごめんね、忘れてたよ。後で持っていきますね。」


「お願いします。ユリ、なんだか体がかゆくって…。」



 僕はこわごわとザクロンの木を見た。


 赤い実がなっていて、少しかじったあとがあった。

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