第5話 決意

「ねぇミューズ様。聞いてください。ついに婚約がなされるのです」

マリアテーゼがまた医務室に来て、開口一番にそう言われる。


「今度の休日に公爵家に来てくれる話が出ましたの。これでミューズ様も解放されますね」

奇しくもミューズも同じ日に婚約の話が出ていた。


マリアテーゼが色々と話すが、冷静ではいられなかった。


それから何を話したのか、どうやって帰ってきたのかもわからない。


「たかが失恋じゃない、大丈夫」

そうは思おうとしても胸の痛みは消えない。


そして思い出すは森の魔女の話だ。


魔女の秘薬は色々な効能を持つそうだ、ミューズの学ぶ薬学とはまるで違うだろう。


この記憶を消すものはあるだろうか。


ミューズは魔女のいる危険な森に一人行く決意をした。





ミューズは追い詰められていた。


間もなくティタンの婚約が発表されると聞いてからはもう駄目だった。


相手が自分以外だというのは少し前から知っていたのに、いざその日が来るとなると平静ではいられなかった。


長年の想いを結局諦めることが出来ず、涙が止まらない。


体調が悪いから誰も入らないで欲しいと伝え、魔女がいるという森に一人こっそりと向かった。


もっと時間がかかるかもと思ったが、やけにあっさりと魔女の元に辿り着く。


「いらっしゃい」

もっと怖そうな人かと思ったが、とても綺麗な人だった。


紫の目は吸い込まれそうな程綺麗で、赤い唇はにこやかな笑みの形を浮かべていた。


椅子に座るように促され、お茶を出される。


「とても追い詰められた様子ね。まずはお話を聞きましょう、何を悩んでいるの?」

優しい声と表情、そして温かいお茶にミューズはたまらず涙を零し、ゆっくりと経緯を話した。


けして焦らすことなくじっくりと聞いてくれる。


その内に自分の内なる想いに気づくようになっていった。


ティタンを本当は誰かに渡したくない。


でももう手遅れなのだ。


ティタンにはもう相手がいるし、自分にも間もなく父から紹介される婚約者が言い渡される。


今更ティタンに何かを言っても迷惑にしかならない。


「ひっそりと彼を想って生きていきたい……」

知り合いも誰もいないところに行きたい。


そこでただ静かに愛しい人だけを想って生きていたい。


「この気持ちを伝えることは迷惑だけれど、せめて彼とのつながりを胸に抱きたい」

そうしたらそれを糧に生きていけそうだ。


考えた事はとても残酷で酷い事だ。


でも弱った心にはもうそれしか残っていないのだという力しかなく、冷静な思考に至ることは出来なかった。








彼が他の女性のものになる前に、そして自分が誰かのものになる前にと学校をさぼった。


大事な話をしたいと言って部屋に入れてもらい、従者もいれず二人きりで話をさせてほしいと頼んだ。


賭けではあった。


未婚の男女が二人きりなんてあり得ない、まして従者抜きで話なんて今までもしたことがなかった。


断られるかもしれない。


それならそれで仕方ないと思ったが、従者達はミューズの話を聞いて、笑顔で了承してくれたのだ。


「わかりましたミューズ様」

そう言ってティタンの部屋に一緒に入ることもなく、本当に二人で話をさせてくれる事になった。


ティタンも緊張の面持ちでこちらを見ている。


「希望を聞いてくれてありがとうございます」

まずは感謝の気持ちを述べた。


「ミューズが言う事ならばもちろん受け入れるさ」

嬉しそうな表情と言葉だ。


これらの笑顔もがもうすぐ他の人のものになるのだと思うととても悲しい。


もっと早くに想いを伝えれば良かったと後悔する。


「すみません、ここでは出来ない話があるので、場所を変えますね」


「この部屋には防音の魔法が張られているから、何を話しても大丈夫なはずだが……そんなに大事な話なのか」


「えぇ」

満面の笑みでそう答え、ティタンの頬に触れる。


赤くなる顔を見つめ集中する、こんなに大胆に動けるのも今日で最後だと思っているからだ。


誰にも言ったことがないがミューズは回復魔法以外もいくつか高位の魔法が使える。


母がいざという時の為にと教えてくれた魔法で、ティタンと共に場所を移動した。


移った先は、高級宿の一室だ。


転移魔法は行ったところにしか行けないため、昔家族と泊まった事があるここを選んだ、とてもいい部屋だったのを覚えている。


事前に予約を取っていたので誰もいない。


ここならティタンにも失礼ではないだろう。


「転移魔法なんて使えるのか。話には聞いたことがあるが、見るのは初めてだ」

驚いたティタンが僅かによろける。


「大丈夫でしょうか? 慣れてないと馬車酔いのようになりますから」


「そのようだな、頭がふらふらする」

すかさずミューズが用意していた果実水を渡す。


「どうぞお飲みください、少し治まりますわ」


「ありがとう」

ミューズの気遣いに嬉しくて堪らない。


あんなに恋い焦がれていた女性と、ようやくこうして話したり、触れ合えたり出来るなんて。


「それで、俺の部屋では話せない事とはなんだ?」

転移魔法で無理矢理連れてきたにも関わらず、動揺は少ない。


信頼からなるものだが、ミューズは自分が事を軽んじられているから、警戒をしていないと思っている。


(私は非力だから、いざとなれば簡単に倒せると思ってるのかも)

自分の事を好いてるからとは最早考えられない程、ミューズは現実から目を背け続けている。


婚約者でもない、好きでもない女性と二人きりの状況なんて普通はあり得ない。


ティタンとマリアテーゼが話をしている時だって、常に従者の誰かがいた。


それなのに従者達が許したのは、本当にティタンが好きな人だと知っていたるからだ。


何も思っていない相手と二人きりにするなんて、王家に仕える者が軽々しく許可するわけはない。

 

そんな事はミューズは知らないし、気づいてもいない。


自分の目的を達成するためにいっぱいいっぱいだった。


「私を抱いてください」

思いも寄らない言葉に流石のティタンも硬直した。


が、すぐに気を取り直す。


「ミューズもそのような冗談を言うのだな、驚いた。確認だが、抱き締めて、と言う意味だよな?」

どぎまぎしながらそう返すが、ミューズはニコリと笑って否定する。


「いいえ、子作りをしたいのです」

その言葉にさすがに顔は赤くなるは動悸が激しくなるわで、ティタンは冷静さを失った。


「そういう事はまだ早過ぎる。悪いが今すぐは、了承は出来ない」

赤くなった顔を押さえ、悔しそうにそういう。


言葉では否定しているが、本気で嫌がっている素振りには見えない。


(愛妾に誘うくらいだから、脈はあると思ったのだけど。まぁマリアテーゼ様との正式な婚約前にスキャンダルが起きて婚約自体無くなったら困りますものね)


ミューズは目を閉じる。


最後だから好きな人と結ばれたいと媚薬入の飲み物を渡した。


もうすぐ効果が出てくるはずだ。


「それ以外の事なら望みを叶えるから、そのお願いはもう少し待ってくれないだろうか?」

タイミングさえよければ願ってもない言葉だ。


清楚なミューズからそのような言葉が出たとは未だに信じられないし、興奮冷めやらぬし、汗も出てきてしまう。


媚薬の効果が段々と出ているようだ。


その様子を確認しながら、ミューズは微笑を絶やさずに話を続ける。


後はその時を待つだけだから余裕だ、今のうちにゆっくりと話をしよう。


「では私の最初で最後の男性になってください」



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る