第13話 忘れたい事と忘れられないもの

「ありがとう、体が軽くなったよ」

村の人に感謝され、ミューズの心も明るくなる。


こうして言葉にして言われると、認められたようで嬉しい。


新しい職場、新しい同僚と共に働くのは悪くなかった。


人と話すその間だけ、悩みが忘れられる。


目まぐるしく動いているとふと吐き気とめまいに襲われた。


「何だか、変だわ」

急に体調がおかしくなった。


さーっと血の気もひき、立っていられない。


倒れるのは防げたものの、暫くは立ち上がれなかった。


仕事も出来そうにないくらいフラフラになり、皆に促されて休ませてもらう。


吐き気がこみ上げ、起きるだけで頭がぐるぐるとしていた。


(何だろう、風邪? それとも、貧血かしら)

それから数日もの間体調不良が続いてしまう。







このままでは生活も送れないと、意を決して診療所へと来た。


症状といくらかの問診を経て、医師は少し言いづらそうに口を開く。


「もしかしたら妊娠してるのかも」


「え?」

思いがけない言葉だ。


「もう少し日数が経てばはっきりするけど、もしも妊娠の場合、家族や親類とか、頼れる人はいるかい? 手紙を出したら来てくれるとかないかな?」

ミューズの現状はある程度知っているが、そう聞くより他はなかった。


本当だったら生活が大変になるのだから。


「家族にはどうしても頼れない事情があって」

嬉しさと不安がよぎる。


授かれたのはもちろん望んでいた事だ、でもそれ以上に心配事は広がっている。


「そうか……けして無理はしないように。何かあれば周囲を頼るんだよ」

医者にそう言われ、ミューズはとりあえず風花亭へ戻り、休むことにする。


これからどうするか、頭の中を整理していかねば。


まさか懐妊を告げられるなんてと大きくもないお腹を摩り、じわじわと不安と喜びに満たされていく。


独りよがりではあるが、繋がりを欲していたミューズにとっては、嬉しい事ではあった。


自分だけの愛する存在が出来たのだから。


きっと大事にする、誰よりも愛して、寂しい思いなんてさせないと誓う。


それと同時に、本当に育てられるのか、無事に産んであげられるのかと不安が押し寄せ、涙が出てくる。


こんな状態で産む事への子どもへの申し訳無さも溢れてきていた。


心身の不調も手伝って感情がない混ぜになり、ベッドの中で丸まって泣くぐらいしか出来ない。


(この子を産みたい。必ず守る)

自分以外に望まれた子ではないという事もわかっている、だから絶対にティタンやアドガルム国に見つかってはいけない。


この子が大きくなったら、もっとアドガルムより離れた場所へ行かなくては。












記憶が戻る薬を飲んだティタンは、頭に霞がかかっていたような感覚がなくなって、すっきりとしていた。


だが今度は膨大な量の記憶が押し寄せてきて、眩暈がする。


膝をつき目を閉じると、愛しいものの顔が浮かんだ。


姿絵よりも数倍可愛く、そして優しい。


きつい口調ながらも、言葉の中には心配している事が伺える。


突然の求婚に目を丸くして驚く顔も、甘いものを食べて満足そうにする顔も全てが愛おしい。


ユーリとの婚約を解消した話をすると、顔からは血の気が引いて真っ白になっていった。


「私がお二人の幸せを壊してしまったのですね」

余計な心労を与えてしまったと。ティタンは自分の配慮不足を悔やんだ。


浮かれて言ってしまったが、ミューズはそのような事を喜ぶ女性ではなかったという事を失念していた。


それから距離も置かれ、我が儘や弱音も聞けず、とてもじれったい日々が続く。


聞いても何も答えてくれず、もっと甘えて、もっと望みを言ってくれれば叶えるつもりなのにと歯がゆかった。


ユーリとの事はもともと政略上の婚約で、こちらが望むものではなかった事を主張したが信じてもらえない。


ユーリとの婚約を解消し、ミューズとの距離も置いたと周囲も知ると、様々な者に話しかけられる事が増えた。


その中には女性もいて、内心は遠慮したかったがミューズの視線が気になり、邪険には出来なかった。


他の女性との会話を拒めば、ミューズだけが特別となり、ティタンを誑かした女という話がまた大きくなると思ったのだ。


ようやく公爵家と話が出来、ミューズとの婚約の算段もつき始めた。


一部では婚約者の打診をしに王家の者が公爵家に出向いたとの話が出るが、次は余計な波風を立てないようにと箝口令をしいた。


ミューズにも直接自分で伝えたいとしたが、学校では人目が多すぎるし、邪魔が入る。


今度はゆっくりと、そしてきちんとしたプロポーズをしたいと考えていた。


そんな中で、

「二人でお話をしたいです」

と、言われたら浮かれるに決まってる。


ようやく好きな子と話が出来るのだと思うと、何を話そう、どう伝えようかと悩んでしまった。


緊張感で胸がいっぱいだ。


そのような時にミューズから触れられて、内心はパニック状態だ。


小柄で可愛い手からは体温が伝わってきて胸も熱くなる。


「大事なお話がしたくて、申し訳ありません」

転移魔法で連れられた先はホテルの一室で、綺麗なところだ。


差し出された飲み物を飲み、ミューズに向き直ると体が熱い。


「窓を開けてもいいか?」

そう言って立ち上がると、足元がふらつく。


「危ないですわ、ティタン様」

ミューズがベッドへと誘導してくれる。


「もしかして酒か?」

それにしてはおかしい。


昔兄と好奇心で飲んだ時もこんな事はなかった。


「いいえ。違います」

硬い表情と硬い声、笑顔が見たいのになぁとぼんやりと思う。


そして触れたい。


「では、これは一体」


「ごめんなさい」

今度は泣きそうな顔になっている。


「泣かないで、笑って」

そう言って頬に触れればもう我慢できなかった。


唇を奪い抱きしめる。


「すまない、違うんだ」

慌てて離れ、ティタンは感情で動いたことを謝罪をする。


おかしい、理性が働かない、欲望が噴き出している。


都合のいい夢でも見てるのかと思ったが、触れた感触は確かにあり、現実としか思えない。


何とか拒み、目を逸らすものの、時間が経つにつれて抗う力も落ちていく


「ティタン様になら……」

潤んだ瞳でそう言われ、綺麗な体を見てしまってはもはや止められなかった。


ただずっとミューズはティタンに謝っていた。


謝るべきはこちらなのに。


ミューズは抵抗なく受け入れてくれて、撫でてくれる。


優しい触れ方なのに、悲しい表情。


傷つけるしかない自分の行動に、悔やむ思いしか浮かび上がらなかった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る