第74話
名前を呼ばれて、垣谷くんは笑顔を浮かべて私のところまでやってくる。
「久しぶり桜井さん。元気にしてた?」
「う、うん。久し、ぶり……」
「桜井さんの私服姿、初めて見たけど、すごい似合っているね」
「あ、ありがとう……」
明るく、いかにも人当たりのよさそうな声だった。
けれど、その口からたっくんに向けて放たれた酷い言葉の数々を私は忘れていない。服を褒めてくれても、たっくんに褒めてもらえた時はあんなに嬉しかったのに、今はそうじゃなかった。
それどころか、あの時の垣谷くんと今の垣谷くんが違い過ぎて、うすら寒い恐怖を感じた私はぞっと肩を震わせる。
今すぐにでも、ここから逃げ出したい。
早くたっくんの傍に行って、その暖かさに縋りたかった。私は震える足で一歩、垣谷くんから距離を取る。
「今さ、卒業後の連休だし、高校で同じになったメンバーで遊びに来てるんだ」
「そ、そうなんだ……」
「うん。桜井さんもどう? 久しぶりに会ったんだし、皆で一緒に遊ぼうよ」
私がなんとか動かした一歩を、垣谷くんはどうかなと手を差し出して難なく詰めてくる。
「あ、ご、ごめん……今日、他の人と一緒に来てるから……」
「他の人?」
私がその手を取らずに断ると、垣谷くんは心当たりがあるのか、さっきまでの笑顔から一転して不機嫌そうな顔になる。
「それって、もしかして逢沢?」
「えっ? いや、その……」
「……やっぱりか」
うろたえる反応を見て、垣谷くんは確信したんだろう。浅くため息を吐く。
「なぁ桜井さん。前にも散々言ったけど、あんな野蛮な奴と付き合うのはやめたほうがいい」
発せられる声にも憤りが滲んで、口調も段々と荒々しいものになっていく。
「桜井さんも見ただろ、あの時のあいつを。やっぱりあいつはただの不良だよ。暴れてクラスをめちゃくちゃにして……」
「そ、それは私たちがっ――」
自分のことを棚に上げて、たっくんを責め立てる垣谷くん。たまらず私は反論するけど、垣谷くんの耳には届かない。
「おかげで、それまでやったことが学校に知られて、何人かは進路が限られるし……」
私に話しかけているというよりは独り言のように、八つ当たりにも似た理不尽な不満を語り続ける。
「桜井さんだって、あんなことがなければもっといいところに行けたんじゃないのか? あいつのせいで、俺たちの人生が狂ったんだ。他の皆だってそう思ってる。……なぁ、桜井さんもそう思うよな?」
再び私に向けられのは、あの時と同じ言葉だった。
「わ、私、は……」
記憶が思い起こされる。
怖くて、この空気に押しつぶされてしまいそうで、足が振るえる。
視界がぐるぐると回って気持ち悪い。今にも吐いてしまいそうだった。涙が零れ落ちそうなのが、自分でもわかる。
そして、その涙を零しながら、私は――。
* * * * *
「少し遅くなったな」
俺は買い物を終え、待っていてくれている春花の元へとやや急ぎ足で向かっていた。
目当てのものはすぐに見つかったのだが、いかんせんレジが混んでいた為、思いのほか時間がかかった。やはりGWだからか人が多い。
この人ごみの中、先程の場所でぽつんと1人待っていてくれている彼女を想像すると、少々申し訳ない気持ちになってしまう。
なら一緒に行けば良かったのでは、と思われるかもしれないが、出来れば春花には内緒で買っておきたいものがあった。
俺は手に持つそれを見る。
少しおしゃれな、小さな紙袋。贈り物用にと用意してもらったものだ。
「喜んでくれるといいな」
あの時、周防に言われた言葉。
『デートの最後には、記念になにか贈り物をするといい』
あいつもたまには良いことを言うなと、少し感心した。だからそのアドバイス通り、こうして贈り物を買ったのだが、なるほどこれは俺も気分がいいな。
これを受け取った春花はどんな反応をするか。その時の表情を想像すると、自然と笑みも零れる。
(……そうだな。帰る前に、海辺の公園で渡そうか)
陽が沈むころ。オレンジ色に染まる海をバックにこれを渡せば、それはデートの最後を飾るにはふさわしいシチュエーションだ。きっと春花も喜ぶ。
そんな、我ながららしくないことを考えながら駆けていると、直に春花の背中が見えたのだが。
「ん? あれは……」
春花のほかに数人。見覚えのある顔が目に入る。
「ちっ!」
なんで、あいつらが。
先頭にいる、春花の目の前に立つ垣谷の存在に俺は舌打ちをした。
垣谷は遠目でもわかるくらい興奮している。その証拠に、目の前にいる春花が小刻みに体を震わせているのに、気づいている様子がない。
「春花っ!」
俺は震える小さな背中に声をかける。
……しかし。
「私はっ、そんなこと思ってないっ!!」
その、春花らしからぬ大きな声に驚いて、俺は立ち止まってしまった。元クラスメイトたちも例外ではなく、皆一様に驚いている。
「さ、桜井さん、どうかし――」
「それにっ」
垣谷が肩を震わせる春花に声をかけようとするが、その言葉を言い終わる前に強い剣幕を向けられて押し黙ってしまった。
「それに、たっくんはなにも悪くないっ! あれは私たちが悪いんでしょっ! たっくんはなにもしてないのにっ。私との約束を守ろうとしてくれただけなのにっ……それなのに、たっくんのこと、そんなふうに悪く言わないでっ!」
「っ!? け、けどあいつは街の不良たちの仲間なんだぞっ! そんな奴が桜井さんと一緒にいるなんてっ……ま、間違っているっ! どうせ高校でも、友達も出来ず浮いているんだろっ!」
「そんなことないっ! なにも知らないくせに、勝手なこと言わないでっ!」
「なっ!? お、俺は、桜井さんのためを思ってっ――」
お互い、どんどん熱くなっていって、口調も激しくなっていく。
「光さんたちだって、皆いい人達だもんっ! 私を助けに来てくれてっ……ぐすっ、それにっ、高校だって自分で選んだ。桐生ヶ丘に行ったから、夏海ちゃんや雀ちゃん、テツ君やトワ君たちに出会えたっ……たっくんとだって、もう1度やり直すことが出来たんだからっ!」
春花は瞳に涙を溜めて、けれどもこれだけは譲れないといった真剣な眼差しで垣谷を睨む。
「私の大切な人たちを、悪く言わないでっ!」
そして、自分の気持ちをはっきりと口にした。垣谷はうっと唸って1歩後ずさる。
「さ、桜井さん、俺はっ!」
けれども、未だに納得がいかないのか、春花の腕を掴もうとその手を伸ばすが。
「いい加減にしろ、垣谷」
「っ!? ……あ、逢沢っ……」
ガシッと、俺は垣谷が伸ばしたその手首を掴んだ。俺の登場に垣谷だけではなく、後ろで黙っていた元クラスメイトの面々も、苦虫を噛んだ表情をする。
「ぐすっ、たっくん……」
「もう大丈夫だ、春花……よく、頑張ったな」
「……うん」
涙をぬぐう春花を、俺は庇うように背後へとやる。
そして、俺の服を力強く掴む感触を感じて、ここまで追い詰めたこいつらにふつふつと怒りが沸いきた。掴む手にもぎちぎち自然と力が入る。
「痛っ。くそっ、はなせよ!」
垣谷は苦悶の表情を浮かべて舌打ちし、掴んでいるその手を振りほどいた。手首を庇いながらこちらを睨む……が、その目には怯えが混じっていた。蹴られたあの時の痛みが、今も記憶に残っているのだろう。
そんな垣谷を見て、俺は心底呆れてため息を吐いた。
「相変わらずだな、垣谷。まだこんなくだらないことを続けているのか」
「……なにがくだらないって?」
「他人を傷つけることだ」
「はっ、お前だけには言われたくねぇよっ! 暴力沙汰起こした、この――」
垣谷が勝ち誇った顔で、なにやら口にしようとする。
が、俺がそれを言い終える前にひと睨みし、怒りを込めて威圧すると、ひっと怯えてよろめき、思わず尻もちをついてしまった。
そんな垣谷を見下ろし、けれども無様だと嘲ることもなく、怒りを押さえて冷静に言葉をかける。
「安心しろ。お前たちに腹が立っているのは確かだが、ここでなにかするつもりもない」
「……は?」
「周りの視線に気が付かないほど冷静さを欠いてるようだな。見ろ」
不思議そうにする垣谷に、俺は視線で示す。
すでに周りには人だかりが出来ていて、群衆はこ俺たちやり取りを興味津々といった様子で眺めていた。中にはスマホで動画を取っている者もいる。
「くっ!」
垣谷は今更その状況に気が付くと、怒りからなのか羞恥心からなのか、顔を真っ赤に染めて俺を睨んだ。
「騒ぎを起こせばこうなるに決まってるだろう。面倒ごとに巻き込まれるのはごめんだからな。俺たちはさっさとここから立ち去らせてもらうぞ」
「なっ!? 待てっ、まだ話はっ――」
「しつこい、はっきり言って目障りだ。これ以上なにかしてくるなら、こっちも警察を呼ぶぞ」
「ぐっ!」
垣谷は周りの視線を受けてもなお詰め寄ってこようとするが、俺が睨みをきかせて吐き捨てるように言うと、押し黙って引き下がる。流石に警察を呼ばれるのはこいつも避けたいようだ。
「行こう、春花」
「……うん」
俺は垣谷から視線から外し、涙は止まったが未だに表情を落ち込ませる春花に優しく声をかけ手を引く。
そして、垣谷たちの恨みの籠った視線を背中に浴びて、そこから立ち去った。
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