第75話


(……折角の、デートだったんだがな)


 垣谷たちと別れた俺と春花は、うなだれて表情を落とし、とぼとぼと力なく歩いていた。


 笑顔は消え、楽しかった雰囲気もとうになくなってしまっている。


 こんなはずじゃなかった。

 

 手に持つ紙袋を見る。この後海辺の公園でこれを渡して、今日のデートを良い思い出にしようと思っていた。それで、春花が笑ってくれればと。けれど、このままでは……。


(駄目だな。俺まで弱気になってどうする)


 ゴッと、俺は拳を額に打ち付けて活を入れる。


 すると、その時。


『――――から』


 ふと、なぜだか今朝見た夢の続きを思い出した。


 あの公園で、春花に告げた自分の気持ち。思い出したら、この後俺がすべきことは1つしかないと、口が自然に動く。


「……なぁ、春花。この後行きたい場所があるんだ。一緒に来てくれ」


「え? う、うん……」


 春花は俯いていた顔を上げ、お願いではなく有無を言わさない台詞に、やや戸惑った様子で頷く。


「そうだな、取り合えずここを出よう」


「え?」


「ここじゃ駄目なんだ、あそこでなければ」


 俺は春花の手を取り、早々にその場所を後にした。


* * * * *

 

「ここって……」


「子供のころは、デートといえばここだっただろう」


 あの後場所を移した俺たちは、午後に予定していた海辺の公園には行かず、いつもの……昔遊んだ、近所の公園に来ていた。


 春花との、色々な思い出が詰まった公園。


 ここで2人で遊び、語り合い、時には喧嘩して、仲直りをした。


 そして、初めて好きだと言われた場所。


 なぜ、彼女をここに連れてきたのか。それは最後に伝えればいい。取り合えず、今は……。


「春花。昔みたいに、ここで遊ばないか?」


「え?」


「服を汚すわけにもいかんから砂場遊びは出来ないが、それ以外なら大丈夫だろう」


 俺はつないだままだった手を引っ張る。一拍遅れて春花ははっとし、後について来た。


 昔より幾分小さく感じる公園で、俺たちは童心に帰って遊ぶ。

 

 山のようにそびえたつジャングルジム。体が大きくなってしまったから、途中でつっかえて身動きが取れなくなってしまった。


 苦手だった鉄棒。流石に逆上がりくらいは出来るようになっていて、成功すると春花から拍手をもらう。


 それからも、ブランコや滑り台、タイヤ遊具で時間が経つのも忘れるくらい遊び倒し、気が付けば陽が沈むころになっていた。公園がオレンジ色に染まる。


「ふぅ……」


 遊び疲れた春花はベンチに腰を下ろし、背もたれに寄りかかると、疲労を抜くように脱力して息を吐く。


「やっぱり子供のころみたいにはいかないね。前はもっと遊べたんだけどなぁ」


 結構な時間遊んだからか、春花は大分お疲れのようだった。春の暖かさもあって、わずかに汗もかいている。顔は上気して赤く、息も若干乱れていた。


 それは単に疲れただけではなく、未だに興奮が冷めないからだろう。それ程に、遊んでいる時の春花は明るかった。


 けれどこうして落ち着いた時間が出来ると、つい数刻前のことを思い出して、春花の表情はわずかに翳ってしまう。


「……ありがとう、ね」


 俺がそんな様子を心配そうに見ていると、春花は気丈に笑って、ぽつりと言葉を零す。


「気を使ってくれたんだよね? ここで遊んでいればさっきのこと、忘れられるかもって……」


「……まぁな」


 本当はそれだけではないのだが……今はただ、春花の言葉に耳を傾ける。しばらくお互い黙っていると、春花は唐突に口元に手を当て、なにやら思い出し笑いをした。


「どうかしたか?」


「うん。なんかさっきの場所よりも、この公園で遊んだ時の方が、今のたっくんのこと知れた気がする」


 春花は俺の肩に手を置き、その大きさをたしかめるように、優しくゆっくりと撫で降ろしていく。


「たっくん、体大きくなったね。それに逆上がりも出来るようになった。ブランコだって、背中押してくれた時、前より力強かったし……やっぱり、昔とは違うんだね……」


 少しだけ、春花は寂しそうに言う。


 しかしすぐに「けど……」と優しく笑う。


「昔と同じで、とっても優しい。それは、変わらないね」


「……そう、か。そうだな」


 昔と変わらないなんていうものは、多分ほとんどない。人間、時が経てば変わっていくものだ。


 それは容姿であったり、性格であったり、趣味であったり、思い出であったり。


 春花は俺の変わった部分を、喜びながらも寂しそうに見ている。楽しかったあの時は、もう過去の思い出なのだと。


 けれど、変わらないものもたしかにある。


 春花にとってそれがどれだけ大切なのか、今の笑顔を見ればわかる。ならばその笑顔を守るために、俺は俺の出来ることをしよう。あの時誓ったように。


「……なぁ、春花」


「うん?」


「ここで初めて告白した時のこと、覚えているか?」


「えっ? な、なに急に?」


「いいから」


 脈絡もなく突然の発言に、春花は顔を赤く染めるが、きちんと覚えているのだろう。顔を赤くしたままこくりと頷いた。


「なら、その時言った言葉も覚えているか?」


「え?」


「なんで、俺のことを好きか」


「……うん。覚えてるよ」


 春花は、忘れるわけないと頷いて、一言一句違わず、その時の言葉を口にする。


「だってたっくん、いつも私の傍に居て、私のこと、守ってくれるでしょ」


 そう。俺はその言葉を聞いて、そしてその時の笑顔を見て、春花の笑顔を守りたいと思ったんだ。


「俺が言ったことも、覚えているか?」


「……え?」


「俺がお前を好きだった理由だ。俺は覚えているぞ」


 だから俺も、また春花に笑顔になってもらいたいと、その時の言葉を口にする。


「いつも俺の隣で、笑ってくれるから」


 それが、俺が春花を好きだった理由だ。


 家族や、周りの人たちが俺から離れていってしまう中。春花だけは変わらず隣で笑っていてくれた。その笑顔に、俺はどれだけ救われたことか。


 春花ももちろん覚えていて、あの時と変わらないその言葉を聞いて、懐かしむように頷く。


「だから、俺が好きだった笑顔をこれからも見せてくれ。約束しただろ、頑張ると」


 我ながらきざだなという自覚はあった俺は、くすりと照れ笑いして、春花の頬に手をそえる。春花もまんざらでもない様子だった。表情はだんだんと笑顔になり、明るく頷く。


「ああ。その方が春花らしい」


 俺は笑い返すと、頬から手を離す。


 春花は名残惜しそうに目で追うが、その手はベンチに置いてあった紙袋へと伸びていき、中から取り出したそれを、俺は春花の髪につけた。


「これって?」


 春花がそれに触れる。


 俺が贈り物にと用意したそれは、桜の飾りが施された髪留めだった。


 前に姉さんと入ったアクセサリーショップで見つけたものだ。その髪留めを見た時、姉さんには悪かったが、春花に似合うだろうなと覚えていた。


「桜の髪留めだ。春花に、似合うと思ってな」


 なにかなと髪留めをいじる春花の様子を見て、俺は苦笑し教えてやる。


「本当は海辺の公園で渡したかったんだがな。笑っている方が、似合いそうだと思った。デートの最後としては、少々ロマンの足らない場所で悪いが……」


「ううん、そんなことない……凄く、素敵なデートだったよ」


「……そうか。そう言って貰えると、嬉しいな」


 俺がそう言うと、春花は満面の笑みを見せる。その笑顔を見て……やっぱり、笑っている彼女に、この髪留めはぴったりだと思った。


 そうして、今日のデートを笑顔で締めくくった俺たちはその公園を後にした。


 夕陽が照らす帰り道。2人で並んで歩いていく。


 そこで春花は不思議そうに尋ねてきた。


「どうしてこの髪留めがあのお店にあるってわかったの?」


「ん? ああ、この前姉さんと行った時に――」


「え?」


「…………あ」


 しまった。最後の最後で、やってしまった。


 ぽろっと飛び出た言葉を春花は聞き逃さなかったようで、不満そうに頬をふくらます。


「あ、いや、そのだな、黙っているつもりは、なかったんだが……」


 なにか言い訳を考えるが、上手い言葉が出てこない。みっともなく慌てる俺を見て。


「……ぷふっ、あははっ」


「は、春花?」


「ごめんね笑っちゃって。でも……ふふっ、やっぱりそうだったんだなぁって」


 春花は突然吹き出して笑う。どういうことだと、俺は酷く戸惑って首を傾げた。


「だってたっくん。駅を降りてからずっと迷わず私の手引いてくれたし、あのお店に行った時も、そこにあるってわかってた感じだったから、多分朱里さんとデートした場所ってここだったんだなぁって」


 バレないようにと気負っていたのに、春花には初めからお見通しだったようだ。俺は申し訳ないやらなんやらで、曖昧な笑みを浮かべる。


「ねぇたっくん」


 春花は俺の名前を呼ぶと、きゅっと手を握る。


「今度デートする時は、私を1番最初にしてね」


「……ああ、約束する」


「うんっ」


 また1つ、約束が増えたな。


 つながれた俺の右手と、春花の左手。お互いの手首につけられている約束の証が、夕陽に照らされきらきらと輝く。


 それを見て、俺は思う。


 以前あの公園で自分に問うた、自分が春花になにをしてほしいのか。


(そうだな、きっと……)


 きっと俺は春花に、こうして隣で笑ってほしいのだろう。


 ならこれからも、この笑顔を守っていこうと、俺は再びその笑顔を見て誓った。


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