第73話
周防と別れた後。俺たちは建物に入ってウィンドウショッピングを楽しんでいた。女性向けのファンシーショップに入ると、春花は棚に並べられたコミカルなペンギンのぬいぐるみに目を奪われる。
「あ、たっくん。このぬいぐるみ可愛いよ!」
「これは、ペンギンか? 昔から好きだったよな」
覚えていたことに喜び頷く春花。思い出の中の春花の部屋は、ぬいぐるみでいっぱいだった。
その中でも、特にお気に入りだったのがペンギンだ。大きさや表情違いで色々持っていたはず。しばらく見ていないが、あれからまた増えているのだろうか?
「まだ買ったりしてるのか?」
「ううん。前にも言ったけど、最近はお買い物とか行ってないから。けど久々だし、記念だし……この子、買っちゃおうかな」
ペンギンシリーズに、どうやら今日また新たなメンバーが増えるようだな。春花はお気に召した一品を手に取るとレジへと向かう。
「えへへ。これからよろしくね」
迎えたばかりの新入りに、春花は愛情を注ぐように頬ずりをした。ぬいぐるみの形がぐにゃりと歪んで目が垂れ下がり、心なしか喜んでいるように見える。
その後も小物や雑貨など見たりしてショッピングを楽しんだ俺たちは、こじゃれたカフェテラスで昼食を取ることにした。
お互い注文した料理を受け取ると席に座る。店内には若者が多く、そしてやはりというかカップルも多い。俺たちも周りからはそう見られているんだろう。
なぜなら、この前約束した通り、俺と春花は『あ~ん』なるものを実践しようとしているのだから。
「じゃ、じゃあ、たっくん。はい……あ、あ〜ん」
「本当にやるのか?」
「う、うん。お願い、します」
上目がちに懇願されれば否とは言えない。パンケーキを差し出れた俺は、「あ、あ〜ん」とおどおどしながら口に含んだ。
「えへへっ」
春花が微笑むから落ち着かなくなる。それを紛らわそうともぐもぐと咀嚼し味に集中しようとして、俺はある違和感に気づいた。
「……ん? このパンケーキ、甘くないな」
想像していたパンケーキの甘さが一向に訪れない。代わりに口の中に広がるのは、焼いたベーコンと卵。そして濃厚なバターの風味だ。
「でしょ? エッグベネディクトって言うんだって」
「エッグ…………ベネ?」
聞きなれない料理だった。舌を噛んでしまいそうだ。
「ちょっと言いにくいよね」
「まぁな。だが、味は美味いと思うぞ」
「うん。たっくん、甘いの苦手だから、食べてもらうならこういうのがいいかなって」
「……覚えて、いたんだな」
「バレンタインは、毎年チョコ作ってたから。しばらくあげられなかったけど、忘れるわけないよ」
「……それもそうか。すまん、変なこと言った」
つい余計なことを思い出させて雰囲気を暗くしてしまったなと俺は反省する。春花もどう返せばいいのか迷って困り顔だ。
「ううん。けど、いつもたっくん喜んで受け取ってくれてたから、嬉しかったな」
「もうかなり前から作ってもらってたよな。幼稚園くらいからか?」
「うん。だからたっくんの好みは知り尽くしちゃってるかも」
「かもな。チョコはあまり食わないが、春花のは不思議と口に合ってたよ」
子供のころから、バレンタインの日には春花は俺の口に合うようにと苦めのチョコレートを作ってくれていた。
だが、去年今年とそのチョコレートのように苦い思い出があったから貰っていない。
まぁそれももう溶けているので、俺が来年も頼めるかと聞くと、春花は任せてと握り拳を上げ、はりきった様子で頷く。
「高校生になったんだもん。すごいの作るから、楽しみにしててね」
「お手柔らかにな」
この様子だと、きっと来年は手の込んだチョコが来るんだろうな。俺は苦笑すると、再び自分の食事に手をつける。
「……うん?」
食べる時にふと見ると、春花が俺の手元にあるサンドイッチに視線を送っていることに気がついた。
「どうかしたか?」
「うん。えっと、あのね……たっくんにも、その、食べさせてほしいなぁ……って」
口にして、言っちゃった、という感じで春花は顔を手で覆う。そういえばそんな約束もしていたな。
「……そうだな。わかった、やってやる」
ここまで来たら、行けるところまで行ってやる。俺は意を決して、自分のサンドイッチを春花に差し出した。
「じゃ、じゃあ、あ~ん」
「あ、あ~ん」
春花は小さい口を開けて、差し出されたサンドイッチをぱくりと食べる。なんだか、仔犬に餌を上げている気分で微笑ましい。
その後も食べさせ合ったり、談笑をしたりして食事を済ませた俺たちは、再び買い物に戻る。
しばらく歩いていると、視界に見覚えのある店が。周防に言われた時に思い浮かべた店だ。
「春花、ここで少し待っていてくれ」
「え?」
「買いたい物があってな、すぐに終わる」
「あ、うん。それじゃあ待ってるよ」
俺は春花に少し待っていてもらうよう頼み、小走りでその店へと向かった。
* * * * *
私は壁に寄りかかって、買い物に行ったたっくんが戻ってくるの待っていた。
「……えへへ。やっぱり、誘ってよかったな」
目の前をたくさんの人が通り過ぎていくけど、それも気にせず表情をほころばせる。
今日は本当に楽しい。久々にたっくんとお出かけが出来て。あの時、勇気を出してよかったと本当に思う。腕も組めたし、食べさせ合ったりもできた。思い出して、私はまた笑う。
「それにしても、たっくんなにを買いに行ったんだろう?」
すぐに終わると言ってたけど……私はたっくんが入っていったお店をちらりと見た。
まだ出てこない。もう少しで戻ってくるかな。
そんなに時間は経っていないけど、待ちきれず私はそわそわしてしまう。けれど、こんなふうに待っている時間も不思議と楽しかった。
「相当浮かれてるなぁ……」
独り言ちながらも、久々のデートなんだもん、しょうがないよ。今日くらいは、浮かれてもいいよね? と、言い訳めいたことを考えたりする。
その時だった。
「あれ、桜井さん?」
「……え?」
夢心地のような気分にふけっていると、いきなり名前を呼ばれて、私ははっと振り返る。どこかで聞いたことのある声だ。見てみると、顔も見覚えがあって。
「やっぱり桜井さんだ! 久しぶり〜」
「み、皆……」
それは、中学校の同級生。あの時の……2年生の時に同じクラスだった子たちだ。
「ひ、久しぶり……」
「卒業式以来だよね〜」
久しぶりに会った私に、皆は近づいてくる。
「やぁ桜井さん、久しぶり」
「――っ⁉︎」
そして、皆の中から出てくる、1人の男の子。
忘れたくても、忘れられないその声、その顔。見た瞬間、今日の楽しかったことが一気に吹き飛んで、あの時の苦い思い出が呼び起こされる。
動悸が激しくなって、呼吸が浅くなる。
堪えてないと、涙が出そうになる。
私は気持ちを落ち着かせるように胸を押さえて、笑顔を浮かべて何食わぬ表情で近づいてくるその男の子の名前を口にした。
「……垣谷、くん」
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