第71話


 車窓から見える街並みを眺めながら、俺と春花は電車に揺られ目的地へと向かっていた。


 俺たちが暮らす、見慣れた街の景色。


 しかしその景色もしばらく経つと移り変わり、視界に広がるのは住宅地では無く、高層ビルや青く広大な海原になっていく。俺はその景色に見覚えがあるが、隣に座る春花はそれを新鮮な表情で眺めていた。


「わぁ、海だ。ねぇたっくん、海だよ! 久々に見たなぁ」


「あ、あぁ。そうだな」


 春花は久しぶりの海を見て、まるで童心に帰ったかのように無邪気な笑顔を見せてくる。俺はその笑顔を、なんとも言えない心地で見ていた。


 ただ、行き先は姉さんと同じになってしまったが、こんなふうに喜んでくれたのなら一緒に来て良かったと思う。


 思えば、こうして2人だけで遠出をするもの珍しいかもしれない。中学の頃までは、遠出する際は春花の両親も一緒だった。子供だけで行くわけにも行かないからな。


 それに、その後は……。


「…………」


 止めよう。今考えることじゃない。


 俺はその暗い過去を忘れようと、隣で明るい笑顔を見せる春花に目を向ける。


 すると春花は、いつの間にか視線を外から移してこちらに向けていた。俺と目が合う。


「たっくん、なんか考え事してる?」


「ん?」


 俺は首をかしげた。春花は言葉を口の中で転がすと、おずおずと言う。


「えっと……たっくん、考え事している時って、黙っていること多いから……」


「……いや、春花が喜んでくれたなら、今日は来て良かったなと思ってな」


 昔の事を思い出しかけ、陰鬱な気持ちになりかけはしたが、春花の笑顔を見たらそれも吹き飛んだ。俺が微笑むと、春花もよかったと息を吐いて微笑む。


 そうしてしばらくの間、最後に海に行ったのはいつだっただの、その時春花が浅瀬でおぼれて俺が助けただのと昔話に花を咲かせ、気づけばそろそろ目的地に着くころになっていた。


「なんか、あっという間だったね」


「そうだな。2時間はかかったと思うんだが」


 きっと時間が経つのも忘れるくらいに話に夢中だったんだろう。そんな楽しかった空気を名残惜しんで、俺たちは電車を降りた。


 駅から出ると、風に乗ってやってきた潮の香りがする。


「わぁ。やっぱり潮風浴びると、海に来たって感じがするねっ」


 春花が風に舞う髪をおさえて感嘆の言葉を口にするが、俺はつい先日その感覚を味わっているので感動が少ない。そうだなと、普通の返ししか出来なかった。


「……いかんな、このままでは」


 なにかもっと、気の利いた台詞でも言えないものか。


 こんな調子を続けているといずれボロが出て、姉さんと一緒に来たことがバレてしまう。毅然としなければ。


「春花、最初はどっちに行く。まだ時間もあるし、ここらを散策してみるか?」


「うん。風も気持ちいいし、そっちの方がいいかな」


「よし。じゃあ、行くか」


 俺は手を差し出す。


「う、うん……」


 すると春花は差し出された手ではなく、俺の腕に自分の腕を、躊躇いがちにからませてきた。耳まで真っ赤になっているから、相当恥ずかしがっているのだろう。


「あ、あの。いい、かな?」


 春花は上目でこちらの表情をうかがう。どきりとするような可愛らしい仕草で、一瞬呆けたあと、俺が笑って頷けば、春花も笑顔になって少しだけ身を寄せてくる。


「じゃ、じゃあその、お願い、します……」


 そうして俺たち2人は、腕を組んでその足を進めた。


 ……のだが、公園を歩き始めてしばらくした頃。


 ベンチにふんぞり返るそいつを見つけてしまった俺は、思わず春花を引っ張って茂みに隠れた。


「……なんであいつがここにいる」

 

 茂みから顔を出し、出来るだけ声を抑えて様子をうかがう。視線の先には、優雅に足を組んで座る馬鹿。もとい、周防御神がいた。


「ちっ、そういえばあいつ、今はこのあたりに住んでるんだったか」


 迂闊だった。近くに住んでいると聞いてはいたが、まさか真昼間にこんな場所で出くわすとは。


 とにかく、あいつに見つかるのはまずい。どうせまた絡んでくるに決まっている。


 ひとまず俺は、一度ここを離れることにする。


「すまない春花、散策は一時中断だ。買い物をしてから、また午後に繰り越そう」


「え、なんで?」


「見たらわかるだろう。周防の奴に絡まれると面倒だからだ」


「周防さん……て、昨日来てた人だよね? お友達じゃないの?」


「……友達?」


 春花。それは流石のお前でもひと言、抗議させてほしい。


「そんなわけがあるか。あんな馬鹿と友達なんて、こっちまで同類と思われるだろう!」


「あ、う、うん、ごめん……でも、そこまで言わなくても」


 あいつの妙な入れ知恵のせいで、いままで散々な目に合っている。俺が突然癇癪を起したように言うと、春花は戸惑いの表情を浮かべた。


 そして、その心からの叫びに反応したのは、なにも春花だけではない。


「なにをしているんだ? 君たち」


 頭上から声をかけられた俺たち。見ると周防が呆れた目で見下ろし鼻で息を吐く。


「さっきからやたらと視線を感じると思えば、こそこそと隠れてなにをしているんだ?」


「くっ、周防……」


「あ、あの、こんにちは」


「やぁ、お嬢さん。昨日も会ったね。こんにちは」

 

 苦虫を噛み潰したような表情の俺とは裏腹に、2人は和やかに挨拶を交わす。


 春花は少し緊張した表情だったが、周防の爽やかな笑みと威圧感が皆無な声音のおかげで、多少はそれもほぐれたようだった。


 俺はその2人のやり取りを見て……なぜだろう、少しもやっとした感情が湧く。


「……周防。挨拶を済ませたのなら、さっさとどこかに行ってくれないか」


「随分な挨拶だな、龍巳。少しは彼女を見習ったらどうだ?」


 周防が春花に視線を送る。俺はそれを遮るようにさっと間に入った。


「なんだ、別にちょっかいを出すわけでは…………あ、いや」


 あからさまに不満を表す態度の俺に、周防はもの言いたそうにしていたが、途端になにか思い当たってバツが悪そうに頭を掻く。


「すまない。察しが悪かったな」


「…………は?」


 俺だけでなく、春花にまで頭を下げる周防。思いがけない光景に俺は困惑する。


 自尊心の高いあの周防が、謝っただと?


「なんだその顔は。僕だって、悪いと思えば謝るくらいするさ。デートの最中だったんだろう?」


 珍しく俺がおしゃれなどしてるものだから、見ればわかると周防は言う。


「邪魔したな。僕はここで退散させてもらうよ」


「いや、俺も邪見にして悪かった」


「いいさ。ああ、それと龍巳。邪魔した詫びに、1つ良いことを教えてやる」


「ん?」


 周防は耳を貸せと指をくいっとさせる。


 正直、こいつの教えてくれたことが役に立ったことなどほぼないが……俺はそれに従って傍に寄った。


 すると周防は、春花には聞こえないようにと顔を近づけ。

 

「――――――といい」


 こそりと耳打ちして、したり顔で笑う。非常に憎たらしいが、珍しくためになるなと、俺もくすりと笑った。


「……ああ、そうだな。ありがとう。お前も、たまにはいい事を言うな」


「ひと言余計だぞ、まったく……まぁいい。では、僕はこれで失礼する。2人とも楽しんできたまえ」


 最後にそう言い残して、周防は手を上げて立ち去っていく。相変わらずキザだったが、あれはあれでらしいといえばらしい。


 そうして周防の背中を見送ると、あとは俺たち2人だけになった。まわりには人もまばら。きっともう施設に入り始めているんだろう。時計を見れば、結構時間が経っていた。


「春花、もう少し歩いたら、建物の中に入ろうか」


 春花が頷くと、俺たちは再び腕を組み歩みを進める。


 その感触を感じて、俺はつい先程周防に言われたことを思い出し「……あれがいいな」と、この後の予定を決めて、隣を歩く春花の歩幅に足を合わせた。


 意識してそうしなければ、浮足立って引っ張ってしまうと思ったからだ。

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