第69話


 先生の家から自宅へと帰宅すると、俺はすぐに眠りについた。日をまたげば、春花とのデート当日になる。


 そして俺はその日。懐かしい夢を見た。


 一緒に遊んだ近所の公園。茜色の夕陽に照らされたその場所。目の前では、顔を紅く染めた小さい頃の春花が、なにか言いたげにもじもじと身をよじらせ、服の裾をきゅっと握っていた。


 もしこの夢が思い出と同じなら、この後はきっと……。


『わ、わたし、たっくんのことがすき!』


 ああ、そうだ。この時、この場所で、俺は春花に最初の告白をされたんだ。


 春花は口をつぐみ、瞳を潤ませて、俺の答えを不安そうに待っている。


 俺はその告白に、なんと言って答えたのだったか。


『――――だよ』


 はっきりとは覚えていない。だが、俺も好きだとか、きっとそう答えたんだろう。


『はるちゃんは、なんでぼくがすきなの?』


 告白に答えると、今度は俺が春花に聞く。


 今にして思えば、告白のあとに聞くには随分と浪漫に欠けていた言葉だったかもしれない。けれどお互いそんなもの気にならないくらいには子供で、俺の純粋な疑問に、春花も純粋に返す。

 

『だってたっくん、いつもわたしのそばにいて、わたしのこと、まもってくれるでしょ』


 春花はそう言うと、幸せそうな笑顔を見せる。


『うん。ずっといっしょだって、やくそくしたから』

 

 俺も幸せだった。この笑顔をこれからも守っていこう。そう心に誓った。


 そして、俺に好きだと言われた春花も当然気になるわけで、俺とまったく同じ質問をする。


『たっくんは、なんでわたしがすきなの?』


 俺はこの言葉に、なんと答えたのか。それだけは、はっきりと覚えていた。


『だって、いつもぼくの――』


 答えを口にしようとした、その時。


「…………んんっ」


 早朝を告げるけたたましいアラームの音によって、俺は夢から覚めた。


 まぶたを薄く開く。見慣れた天井が視界に広がり、朝の陽光が部屋に差し込んで眩しい。窓の外では小鳥たちがチュンチュンと鳴いていた。


「久々に、昔の夢を見たな」


 入学式の日以降、ここしばらくは見ていなかった。


 けれど悪い夢ではなかった。以前のような不快感もない。きっとこれも、俺が変わっていっている証拠なのだろう。


 俺は目を完全に覚ますと、未だに鳴り続くデジタル時計。そしてスマートフォンのアラームを止め、身体を起こそうとする。


「……ん?」


 だが、そこでふとなにかに気づいて眉をひそめる。


 寝覚めで反応が遅れたが、体を動かそうとした瞬間。ふにっと、なにか暖かくやわらかいものが俺にまとわりついている感触がした。布団も俺以外の存在を主張するように、大きく盛り上がっている。


「なんだ?」


 不審に思って、俺は布団に手をかけ思いっきりめくりあげた。すると、そこには。


「……なぜ、ここに姉さんが……」


 寝間着姿の姉さんが、俺を抱き枕代わりにしながらすやすやと寝息を立てていた。


 俺はしばらく放心する。当然だろう。朝起きてみたら、別室で寝ているはずの姉さんが布団に潜り込み隣で寝ていたのだから。


「うぅぅん……」

 

 布団をはぎ取られ、眩しい日差しを受けた姉さんは目を覚ますと、まぶたをこすり、可愛らしくあくびをする。


「ふぁぁ……あ、龍巳。おはよう」


「ああ、おはよう姉さん。それはそうと、俺が家を留守にしがちの間に、随分と寝相が悪くなったみたいだな」


「……ふぇ? 寝相?」


 まだ寝ぼけているのだろう。姉さんは不思議そうに首をかしげる。俺は目を覚まさせる為、そのやわらかい頬をむにっとつまんだ。

 

「いふぁい……」


「姉さん、ここは俺の部屋だぞ。なんでここで寝ている?」


 俺は少々厳しめに言ったが、姉さんはぼんやりとしていて、未だに意識が覚醒しきっていない。


「なんでって……マーキン――」


 だからだろうか。なにか頓珍漢な単語を口にしそうになったのは。


 俺は思わず「……は?」と声を上げた。


「あっ、ち、違う……そうっ、た、龍巳を起こそうとしたら、また眠くなっちゃって、その、それで……つい……」


 その声ではっと目が覚め、おかしなことを言おうとしていたことに気づいた姉さんは、慌てて言い訳の言葉を探す。


「え、え~と……」


 俺が向ける訝しむような眼差しに、姉さんは目を泳がせる。しばらく向かいあって、姉さんがそわそわもじもじと落ち着かなくなってきた頃。


「……はぁ。わかったから、取り合えず布団から出てくれ」


 責めるつもりもないので、俺は仕方ないと嘆息して表情を和らげる。姉さんは名残惜しそうにしながらも、おずおずと布団から降りた。


「ご、ごめんね」

 

「別に、怒ってはいない。ただな、姉さん。俺だって驚くものは驚くんだ」

 

 もし今後もこんなことが続けば、その度に俺は心臓を跳ねあがらせてしまうだろう。まだ体が覚醒していない早朝。最悪寿命が縮む。


 そうならない為にも、俺は姉さんに釘を刺しておくことにした。

 

「今後、無断で俺の部屋に入らないでくれ。いいな」


「そ、そんな……」


 姉さんはおもちゃを取り上げられた子供のような表情になる。


「そんな顔をしても駄目だ」


「う、うぅ……け、けど、許可さえとれば、入ってもいいのよね?」


「まぁ、そうだな。それなら大丈夫か?」

 

 絶対に入るなというのも、家族に対して使うような言葉ではないだろう。俺がそう言うと、姉さんはほっと胸を撫で下ろす。


 これでひとまずこの話は終わりだ。あまり話し込んでいると、せっかく早起きしたのに準備の時間がなくなる。


「じゃあ姉さん。そろそろ準備をしたいから、部屋から出て…………あ、いや」


 着替えるため、姉さんに部屋から出ていくよう言おうとしたが、その時ふと思いつく。


「そうだな、ちょうどいい。姉さん、デートの時はどういった服で行けばいいのかよくわからんから、少し選んで――」


 なんとはなしに、今日着ていく服を選んでもらおうと、俺は姉さんに頼もうとしたのだが。


「…………ちっ」


 デートという単語が出た途端に、姉さんは不機嫌になって舌打ちをした。


(ま、またか……)


 春花のことになるといつもこれだ。俺は眉を下げて困り顔になる。姉さんはぷいっとそっぽを向いてご機嫌ななめだ。話を聞いてくれそうにない。


「な、なあ、姉さん。その、服をだな、選んでほしいんだが……」

 

 ただ、やはりまだ1人ではまともに服を選べる自信もなく、ここは是が非でも助力を得ようと、俺は恐る恐る表情を伺いながらも頼み込む。


「…………」


「ね、姉さん?」


 しかし、姉さんはなにも答えず、黙ったままクローゼットまで向かうと、中からあるものを引っ張り出した。


「……あ」


 それは、処分し忘れていた特服だった。


 デートで着ていくにはあまりに不自然すぎるその服。姉さんはそれを両手で鷲掴んで振りかぶると。


「この特攻服でも着ていけばっ!」


 叫んで、不満をぶつけるように俺に投げつけてくるのだった。


* * * * *


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