第59話


 まさかこんな場所で喧嘩などしないとは思うが、気が気でない。

 

 テツとトワにいじられ喚いている葛城先輩のことは放っておいて、俺は『なぁ2人とも、飯を食ってる最中くらい仲違いはよさないか?』という言葉を頭の中に用意して間に入ろうとする。


「な、なぁ2人とも……」


 いかん、声がうわずった。俺が出鼻をくじいている間に、とうとう姉さんが春花に声をかける。


「ねぇ、ハル」


 姉さんが春花に対してこう呼んだのは、恐らく小学生の時以来だ。俺は驚いて、考えていた仲裁の言葉がどこかに飛んでいってしまう。春花も戸惑って声が出ずにいた。


「なによ?」


「え? あ、いや、その、名前……」


「いいでしょ、別に。あなた呼びも感じ悪いし、春花とか桜井だとなんかしっくり来ないのよ」


「は、はぁ……」


「そんなことはどうでもいいいわ」


 こちらとしてはとても重要なことだが、混乱の渦に飲まれる俺と春花を無視して、姉さんは本題に入りましょうと口を開く。


 表情に、どこか余裕たっぷりの笑みを浮かべて。


「私、この前龍巳とデートしたの」


「ぶっ!」「……えっ?」「ほぅ……」


 なにを口走ってくれてるんだ姉さん。葵さんを警戒していたら、まさか身内からの不意打ちを食らうとは。


「ね、姉さん、なぜ今ここで……」


 俺は姉さんの突然の裏切り行為に抗議の視線を向ける。


「え? た、たっくんと、デート……ですか?」


「ふむ、デートか。なるほどな」

 

 そして困惑しておろおろと目を泳がせる春花と、なぜか関心したように笑みを作る葵さん。俺たちは三者三様の反応を見せた。


「そうよ、デート。あぁ、そういえばハルも今度のGWにするんだっけ?」


 姉さんは、なぜか『お出かけ』を強調して不敵に言う。その言葉で、おかしな対抗心が春花の心に火をつけた。


「あ、いや、その……わ、私も、デ、デートします!」


「あら、でも龍巳は出かけるって言ってたけど?」


 姉さんが嘲笑すれば、春花はぴしりと表情が固まる。ぎこちなく首を動かし、不安そうに俺を見てきた。


「た、たっくんっ、デ、デート……デートだよね?」


「……は?」


「デート!」


「あ、あぁ。そうだな」


 まぁ、姉さんの時のように、関係を戻したいのならデートの方がいいだろう。俺の返事を聞くと、春花は幾分自信を取り戻して姉さんに向かって宣言する。


「デ、デートですっ!」


「……そう。それは、よかったわね」


 姉さんが俺を恨めしい目で睨む。別にいいだろ、デートくらい。


「けど、デートって言っても、昔みたいに子供みたいなやつでしょ」


 その後も売り言葉に買い言葉。2人の応酬は勢いを増していく。


「私は手をつないだわ」


「私もつなぎますっ」


「腕も組んだ」


「……え?」


 またもや動きが止まる春花。


 しかし今回は立ち直りが早かった。すぐさま気を取り戻す。


「わ、私も組みますっ!」


「……ちっ」


 今、舌打ちしたな。


 周りが見えなくなっている2人は気づいていないのかもしれないが、クラスメイトたちの2人に対する印象がどんどんと崩れていっている音がする。


「ふん。けれど、あ~んは出来ないでしょ?」


「あ、あ~んっ⁉」


 春花だけでなく、クラスの連中までもが俺を見てきた。その視線から逃げるように俺は目を逸らすが、2人の言い合いが飛び火して俺の印象までもが崩壊してしまった。


 くそっ、なんだってこんな。しばらくは話のネタにされ、いじくり倒されるだろうと俺は歯噛みする。


「恥ずかしがり屋のあなたには、そんなこと出来ないでしょ?」


「わ、私だって、そのくらいっ!」


 姉さんが煽れば、春花も負けじと張り合う。誰か巻き込まれっぱなしの俺に優しい言葉でも囁いてくれ。


 そして姉さんは、春花どころか俺にまでとどめを刺す必殺のひと言を放つ。


「私は龍巳にしてもらったものっ!」


「んなっ⁉︎」


 春花はガーンと露骨に表情を落とし、縋るように涙目で俺を見てきた。

 

「た、たっくん。わ、私も……」


「わかった。わかったから泣くな」


 俺だって泣きたいのだから。絶対に他人には知られたくなかった。

 

「あと、頼めば俺に出来ることならやるから、変に張り合おうとするんじゃない」


「う、うん……」


「それから姉さんも、あれは姉さんがやってくれと言ったからだろう?」


「うっ……はい」


 俺は2人をなだめてなんとか落ち着かせると一息つく。ついでに自分の意志ではないと予防線も張るのも忘れない。これで最小限のダメージで済むだろう……済むよな?


「とにかく、2人とも喧嘩はここまでにして、落ち着いて昼飯を——」


 だが、俺が感じた嫌な予感というのは、ここで終わることはなかった。


「ふむ、2人がするというのなら、私も龍巳とデートをしてもいいか?」


 思いもよらないところから爆弾が投下されたのである。春花と姉さんにかまけて、つい警戒を怠っていた葵さんだ。


 葵さんはなに食わぬ顔で弁当を食べ進めているが、俺たち3人は唖然と目を見開いている。


「ん? なんだそんなにじっと見て。2人がしているのなら私だっていいだろう? なに、すぐにとは言わない。中間テストが終わってからでいいぞ。私のせいで龍巳の成績が下がったりしたら大変だからな」


「なっ、それって……葵、あんたまさかっ!?」


「あぁ、朱里には言ってなかったな。そのまさかだ」


 葵さんに挑発的な笑みを向けられて姉さんは顔をしかめる。そして春花も。


 だが、おそらく当事者であろう俺はなんのことだかさっぱりだ。


「なんなんだ。ほんとに」


 他の人間なら、この混沌とした状況を理解しているのだろうか。


 駄目もとで聞いてみようと見回せば、いつの間にか離れた場所で静観していたあとの5人が、なにやらこそこそと話し合っていった。


「ねぇテツくん、あれってやっぱり修羅場だよね?」


「あぁ、だがここまで激しいのはなかなか珍しいぞ? よく見とけよトワ」


「いやぁ、春花ちゃんもたくましくなったねぇ」


「あの、止めなくていいの?」


「雀ちゃん雀ちゃん、多分これは止めようとすると僕らも被害を被るよ、そっとしておこう」


「え? う、うん……」


「ぷっ、くふっ、ふふっ!」


 役に立ちそうになかった。雀以外の4人はろくなことを言っていない。葛城先輩にいたっては口を押さえて笑いを堪えているだけだ。


「やはり駄目か」

 

 俺は小さくため息をつくと、尚も言い争う3人に気づかれないよう気配を殺して、この場から立ち去ることを選択する。


 逃げた? あぁそうだ、逃げるさ誰だって。


 ろくに状況もわからないのに仲裁に入ろうとしたって、なにか出来るはずも無い。すれば必ず痛い目を見る。なにもわかってないくせに。そう言われるのがオチだ。


 なら、あとは状況をわかっている本人たちにやらせるのが一番手っ取り早いし確実だ。本音をぶつけ合えば、それがどういう形であれ、お互いを知ることもできるだろう。


 俺は言い争う春花と姉さんを見る。仲が悪そうなのは相変わらずといったところか。


 だが今は、春花も姉さんに自分の意志を伝えている。その様子は、時たま喧嘩していた子供の頃の2人を思い出させた。


 ならこうして本音をぶつけ合っていれば、俺がなにかしなくてもきっと、2人とも昔みたいな関係に戻るだろう。


 いつかそんな未来が来れば、俺は、なんと言葉をかけようか。そしてその時は、全員が笑顔でいてほしい。

 

「……ふっ」


 柄にもなく思い浮かべると、自然と笑みがこぼれた。こんなふうに思うようになるなんて、俺も変わったな。


 俺は明るい未来に思いを馳せ、どこか穢れの落ちたような笑みを浮かべて教室を出ようとする。


 と、その時。 


「…………はぁ。そう感動的には終わらんか」


 昼休みの終了を告げる鐘の音が、無情にも響いた。扉にかけようとしていた手を引っ込め、俺は回れ右をする。


「龍巳は私の弟なのよ! デートするならまず私の許可が必要でしょっ」


「それは関係ないと思うが?」


「そ、そうですよ。たっくんは朱里さんのものじゃないですっ」


 未だに3人は言い争っていた。俺はその終わらない修羅場へと再び引き戻されることになり、げっそりと肩を落とす。


「ぷっ、くくっ、ぷはっ、きゃはははっ!」


 ギャグのようなタイミングの良さに、葛城先輩は我慢が出来ず笑いを堪えられなくなった。その鬱陶しい笑い声が癪に障ったのは言うまでもない。


「はっ、はは、え……な、なに?」


「…………」


 俺は腹を抱えて笑っている葛城先輩に近づくと、ちょうどいい高さにある頭を怒りの形相で見下ろし、頭頂部に向けて無言でぽかりと拳を振り下ろした。


「いったぁぁ~!」


* * * * *


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