第60話


 昼休みの一件では、なんとか春花と姉さんに行き先が一緒だとはバレなかったが、3人をなだめるのに一苦労した。柊先生が来なければいつまでも続けていただろう。


 柊先生。やはりあの人の威圧感というか、身に纏う迫力には得も言わぬ凄みがある。姦しく揉める3人を一声で黙らせるほどだ。


 ただ、まだ安心はできない。終わるまではなにが起きるかわからないからな。明日はぼろが出ないよう用心せねば。


 ……そう。いよいよ明日は皆が待ちに待ったGW初日。春花と約束をしたデート当日である。


 日付はあれから3日経って、週の木曜日になっていた。今は学校も終わって放課後だ。


 デートのためになにか買い足すといったことではないが、夕陽が照らし、懐かしさが滲む商店街を俺と春花は歩いている。


 まぁ、懐かしいなんて感傷に浸る余裕は俺にはないのだが。


「もう、明日か……」


 春花に聞こえないようぼそりと独り言る。時間というものは、どうしてこうも無情に過ぎていくのだろう。


 楽しみなのは本当だ。先日購入した服以外にも、身だしなみについては一通り調べ上げたし、準備には抜かりない。小学生の頃の遠足前日のような心持だった。


 だがデートの場所が決まってからというもの、ここ数日間の緊張は半端ない。他の人間が浮足立つ中、俺だけは決戦間際のように勇ましく張り詰めた表情だった。


 春花ももちろん気づいていて、時折心配そうに見てくる。

 

「たっくん、どうかしたの? なんか最近、顔強張っているよ」


「……いや、明日のことで、少し緊張してしまってな」


「あ……た、たっくんも緊張してくれてるんだ……えへへっ、嬉しいな」


「……ああ」

 

 すまない春花。嬉しそうな笑顔を見せてもらっているところ申し訳ないが、お前の緊張と俺の緊張はまったくもって別種のものなんだ。


 口には出さず懺悔し、俺はその笑顔を守るため、すべてを押し殺した声で返事をする。


「そういえば、悪かったな。デートの前日に、こんなことに付き合わせて」


 この件に関して考えていると不自然に振る舞ってしまって、本当にぼろが出そうだ。とりあえずと俺は話題を逸らす。


「ううん。私の方こそ、よかったの? ご飯一緒にさせてもらっちゃって」


「1人ぶん増えても手間はあまり変わらないからな。それに春花も、光と話したがっていただろ」


 デートの買い物でないのなら、なぜ俺たちは商店街まで赴いているのか。


 理由は光の部屋に行って、この前約束したハンバーグを作るための材料を買い足すためだ。ついでに春花の要望である、光との話の場ももうけようということになったのだ。


 すでに材料は買っていて、俺たちの手には膨れ上がった買い物袋が握られている。俺は片手で軽々持っているのだが、春花は両手で持ち、時折うんしょと持ち直したりして重そうだった。そっちも持つぞと俺は手を差し出すが、いいよと春花は首を増る。

 

「私がやりたいって言ったんだし。それにこういうの好きだから」


「ならいいんだが。きつかったら言えよ」


「うん、ありがとう」


 重そうにしてはいるが、春花の表情には疲労や面倒だといったものは感じない。子供の頃から家事手伝いが好きだったからな。


 この商店街も母の手伝いでよく来るそうで、つい先ほども顔見知りの人たちに、彼氏と買い物だなんだと騒がれて、春花は顔を真っ赤に染めていた。


「さっきは、その……商店街の人たちも、悪気があったわけじゃないから」


「いや、活気があっていいじゃないか」


 俺はデパートでまとめて済ませてしまうから、こういった空気は新鮮だった。


 それに物も安いし、今度からはこっちで買い物をしようか。どこになにが売っているのか調べようとあたりを見回していると、目の前から歩いてくる紅髪の女性に俺は気づく。向こうも気づいて親しそうに手を上げてきた。


「お、龍巳じゃん。奇遇だねぇ」


「ああ、モモさん」


 この商店街では初対面ばかりだったが、どうやら俺の顔見知りもいたらしい。俺は春花に、少し挨拶をしてくると言ってその女性に近寄った。


 年齢は20を少し過ぎたころ。俺たちよりかは幾分大人びて見える。


 モデルのように背が高くスタイルも良いが、身に纏う服装は白いTシャツにジーパ……ジーンズか。というママさんスタイル。片手には俺たちと同じように、食材の詰まった買い物袋が握られていた。


 そして、腰までとどく燃えるような紅色の長い髪。それが活気ある商店街の中でも、ひと際華やかさを出していた。


「龍巳も買い物?」


「これからちょっと光のところにな。飯を作りに」


「あんたもよくやるねぇ。たまには光にも手伝わせた方がいいんじゃない?」


「あいつがやると思うか?」


「はははっ。それもそっか」


 モモさんは口を大きく開いて豪快に笑う。けれど、なぜだかそこには華やかさがあった。


 この人は、三井百華みついももか。周りからはモモさんと呼ばれていて、名字からわかる通り三井仁次の奥さんだ。


 そして、闘厳狂とかいうレディースチームの元総長。


 だがそれも1年前までの話。今は引退して現役を退き、その頃の面影はなりを潜めている。理由は単純で。


「大分大きくなったな、千歌ちか


「だぁっ!」


 そう。この千歌がお腹にいるとわかって、流石にやんちゃなど出来ないと、モモさんは総長の座を他に譲ったからだ。モモさんは抱っこ紐でかかえている千歌をよしよしと撫でる。


「まぁあたしらの子だからね。きっとすぐに大きくなるよ」


「それは楽しみだな」


 俺に向かって一生懸命に手を伸ばす千歌を見て、思わず表情が緩む。手を優しく掴み返してあげれば声を上げて笑う。


 やっぱり、可愛いな。


 この天使のような子が、黒歴史を多分に抱えた親から産まれとは到底信じがたい。いづれ千歌も、ああなってしまうのだろうか。


「両親には絶対に似るなよ」


「なに失礼なこと言ってんだい。まったく」


 モモさんは俺のすねをこつりと蹴飛ばすと、怯んだすきに千歌を俺から離した。名残惜しさで思わずあっと声が出る。


 すると、流石に気になったのだろうか、待たせていた春花もこちらにやって来た。


「おや、何度か来てくれてた子じゃないか。今日は龍巳と一緒かい」


「こ、こんにちは」


 モモさんが言えば、春花は畏まって挨拶をする。


「なんだ、知り合いか?」


「うん。この前話した喫茶店の奥さんだよ。たっくんも知り合いだったんだ」


「ああ。光が昔から世話になっててな。それで俺もよくしてもらってるんだが……」


 なるほど。最近行くようになった喫茶店というのは、三井家の店だったようだ。


 ということは、春花に明日のデート場所を教えたのはモモさんということになる。旦那の方にそんな知識、あるわけがない。


「…………」


「ん? なにさ、睨んできて」


「いや、別に」


 俺は諦観してため息を吐く。余計なお節介をしやがってと思ったが、普通の主婦になったとはいえモモさんには逆らえない。


「あ、わかった。黙ってたのが気に入らないんだろ? 悪いね。あたしたちが手助けしたのがわかったら、あんた不機嫌になるだろって仁次が言ったんだよ」


「そうじゃないんだがな」


「じゃあなにさ。もしかして、彼女にちょっかい出されたと思った? そんなことするわけないだろ、安心しなよ」


「違う。あと彼女って言うのはやめてくれ。さっきも商店街の人たちにに言われつづけて、パンク寸前なんだ」


 見れば、モモさんの言葉で春花がまた顔を真っ赤に染めていた。その様子を見て、モモさんは愉快そうに口もとをにやつかせる。


「ま、人間いくつになっても色恋沙汰は好きだからね」


「モモさんもか?」


「そりゃね。ほら、あたしだってこれいるし」


 誇るように、モモさんは左手の薬指にある指輪を見せつける。


「なんだかんだ幸せそうだな」


「しょっちゅう喧嘩してるけどね。あんたもさっさと相手見つけて、幸せになんなよ?」


「知ってるだろ? それについて、絶賛悩んでる最中だ」


 俺とモモさんは、そのお悩みの相手。春花に揃って視線を送る。


「ほぁ…………」


 春花はモモさんが見せた指輪を、ぽぅと目を蕩けさせた憧れの眼差しで見つめていた。


「春花?」


「はぁ……へ? な、なに?」


 俺の声に反応して、ぽぉっとしていた春花は目を覚ます。


「はは。心配いらないみたいだね。それじゃ、お邪魔虫はここらで退散させてもらうとしますか」


「からかわないでくれよ」


 春花の反応がおかしくて、モモさんが笑いながら茶化せば、俺は不満そうに唇を尖らせる。


「いいじゃないか。子供をからかえるのは、大人の特権だよ」


「なんだその特権」


「経験が違うからね。あんたもいつかわかる時がくるよ」


 良いことを言ったつもりなのだろうか。ふっとキメ顔になるとモモさんは、最後にまたねと言って俺たちの横を過ぎ、旦那が待つであろう自宅へと足を向ける。


「いつか、か」


 俺と春花も、いつか大人になるのだろう。ただわかっても、子供をからかうような大人げない人間にはなりたくないな。そんな大人げないモモさんの背中を俺たちは見送る。


「あ、そうそう。忘れてた」


 モモさんはなにか思い出したのか、不意に足を止めて振り返った。


「あんた飯作るって言ってたけど、今晩うちに来るんだろ?」


「は? なんのことだ?」


「光から聞いてないのかい? いつもの馬鹿共が久々に顔合わせたいって言うから、店閉めた後に集まろうってなってんだけど」


「あぁ……まじか」


 モモさんの言う馬鹿共と言うと、きっとあの3人だ。俺は心底嫌そうに表情を歪めた。


「俺も行かなきゃ駄目か?」


「皆あんたも来るって思ってるよ」


 気が進まない。俺は深く。それはもう深く深くため息を吐いた。


「ま、なんかあったら、あたしも仁次もいるから」


 モモさんは励ますように俺の肩を叩くと、今度こそ立ち去っていく。残されたのは、暗い表情の俺と、困惑気味な春花だ。


「あ、あの。たっくん。大丈夫?」


「……あぁ。大丈夫だ」


「そ、そう」


 察してくれたのだろう。春花はそれ以上は聞かないでくれていた。


「まぁ、集まるというなら、光は部屋にはいないな」


「そ、そうだね」


 買い物をした意味がなくなってしまった。光め、わかった時点で言ってくれればいいものを。ハンバーグ―はお預けだ。


「とりあえず、荷物だけはどうにかしなきゃだな。1回光の部屋に置いてから行こう。春花も……その、来るか?」


 正直、あの馬鹿共に会わせたくないのだが。


「うん。龍崎さんもいるんでしょ? なら、行きたい」


 春花がこくりこくりと強く頷くので、仕方ないと俺は苦笑し、俺たちは揃って光の部屋へと向かった。


* * * * *


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