第58話


 休日が開けて、月曜日の昼休み。俺と春花。そしてテツたちを含めた4人は、教室の一画で席をくっつけて、皆で和気あいあいと昼食をとっていた。

 

「ねぇ、たっくん」

 

「なんだ?」


「今度のGWなんだけど……」


 隣に座っている春花が、小ぶりの可愛らしい弁当箱に入っている卵焼きを取りながら、今週末から始まるGWについて尋ねてくる。それはいい。約束をしているんだったら、話題に上がるのはごく自然なことだ。

 

 ただ、行先について1つ大きな問題を抱えている。俺の心臓はどきりと跳ね上がった。


「一緒にさ、この海沿いの公園、歩いたりしようよ」


「……あぁ、そうだな」


 春花が見せてきた、スマホの画面に映る見覚えのある風景。見覚えがあるもなにも、つい一昨日姉さんと歩いた公園だった。


 問題というのは、春花が行きたいと言った場所が、姉さんとデートした場所と一緒だったのである。


 なんだって、こんなことに。


 デートから帰宅し、夕飯を終えた後のことだ。俺の部屋の窓ガラスをコンコンと叩く音が聞こえたのは。


 開けてみるとそこには、向かいの窓から顔を出している春花がいた。


 思えば、久々にカーテンを開けた気がする。今まで淀んでいた部屋の中に風が入ってきたようで、雰囲気は晴れやか。このやり取りが懐かしいのもあってか、お互い表情をほころばせていた。


「今日ね、夏海ちゃんや雀ちゃんと喫茶店に行ってね」


 最初は取り留めのない会話だった。笑顔で今日のことを話す春花の声に耳を傾け、俺は相槌を打つ。


「それで、その……今度のGWに行くところなんだけど……」


 やがて夜も耽ってきて、そろそろ終わりにしようかという頃。春花がもじもじと頬を赤らめて、スマホの画面を見せてきた。おすすめのデートスポットだからという言葉を添えて。


「ほぅ。夏海たちに教えてもらったのか?」


「ううん。今日行った喫茶店の人からだよ」


「2回目だったんだろ? よくそんなすぐに打ち解けたな」


「うん。マスターさんも奥さんも、とっても親切な人たちだったから」


 店内も家庭的な空気が流れていて居心地がいいのだとか。今度俺も寄らせてもらおう。


「それで、奥さんから教えてもらった場所がここなんだけど」


 どれどれと俺は画面に顔を近づけ、そして場所を確認した途端、言葉を失った。


「どう? すごくいい場所って、私は思ったんだけど」


「あ、ああ。そう、だな」


 自慢げに言う春花に、ああここ知ってるぞ。なんて言葉は口が裂けても言えない。俺は努めて平静を装い頷くしか出来なかった。


* * * * *


「それでさ、お散歩が終わったら、お買い物とかして」


 箸を置き、俺と歩いている光景を想像して、春花は手を合わせて楽しそうに話す。俺はその様子を穏やかな表情で見ているのだが、笑顔の裏では胃がきりきりと痛んで歯を食いしばっていた。


 これは、ばれたら社会的に死ぬかもしれない。


 1週間で、同じ場所で違う女性とデートをする。誰がどう見ても最低最悪のクズ男の所業だ。二股野郎と罵られても文句は言えない。


「家族なんだから、二股にはならんとは思うが」


「え? たっくん、なにか言った?」


「……いや、俺も楽しみだなとな」


「え、えへへ。たっくんもそう思ってくれてるんだ。なんか、嬉しい」


「……そうか。それは、良かった」


 楽しみなのは嘘ではないが、都合のいい言葉を発する自分がひどく汚れているような気がして、俺はもう春花の眩い笑顔を直視出来なくなった。それ以上はなにも言わず、未だに痛む胃に無理やり飯を押し込む。


 そして、白飯を半分ほど口の中にぶちこんで、租借し終えようかという時。


「やあ龍巳。たまには一緒に昼食を共にしようじゃないか!」


「ぶふっ」


 教室の扉をバンッと開け、葵さんが意気揚々と中に入ってきた。


 突然大声で名前を呼ばれたものだから、俺はまだ口に少量残っていた米粒を噴き出して、目の前にいたテツの顔面に飛ばしてしまう。


「ぶはっ⁉ てめっ、タツこの野郎。食ってる最中に噴き出すんじゃねぇよっ! きたねぇなっ!」


「げほっ、こほっ。す、すまん。いきなり呼ばれたものだから」


 俺は咳き込みながらも、文句を言って顔を拭っているテツに謝る、教室内を見回していた葵さんはその声で俺の場所を見つけた。


「おお龍巳、そこにいたか」


 悠々と他学年の教室を歩く葵さん。後ろには姉さんと葛城先輩もついてきている。周りのクラスメイトたちは学校でも有名な生徒会メンバーの登場に興味深々といった様子だ。


「葵さん、前にも言ったが、いきなり来るのは止めてくれないか?」


 来るなとは言わないが、変に目立つから出来れば自重してほしい。


 葵さんは「ああ、すまない。次からは気を付けるよ」と笑顔で手を振る。反省しているのかしていないのか判断つかないな。


「まぁしかし、どこで食事をとろうと私の自由だからな。気が向いたらまた来るさ」


 どうやら反省していないようだな。葵さんはそう言って近くの生徒から席を借りると、どこに座ろうか場所を探す。


「あ、俺移動するから、タツの前いいぞ。折角来たなら一緒に食った方がいいだろ」


「む? ああ、ありがとう。なら、お言葉に甘えさせてもらおうか」


 テツは席から立つと机を移動させた。姉さんと葛城先輩も加われば、総勢9人の大所帯。もういっそ席替えをしようということになり、各々が自分の好きな席に座るとこういった形になった。


 俺の目の前に葵さん。


 そして両隣を春花と姉さんが固め、葛城先輩は姉さんの前に座り、夏海は春花の前に座る。テツたちは俺のすぐ後ろに位置どった。


「ふふ、龍巳と学校一緒にご飯が食べられるなんてね」


「龍巳、なぜ下ばかり見ている? せっかく目の前にいるのだから、もう少し私と目を合わせたらどうだ?」


「あ、ああ」


 顔を上げれば葵さん。両隣を見れば春花と姉さんが。夏海と葛城先輩ももちろん忘れてはいない。複数の美少女に囲まれるというこの状況は、世の男どもが見ればさぞうらやましがる光景だろう。


 だがなぜだ。俺の逃げ道が完全にふさがれた気がする。


 言いようのない不安を覚えて、俺が表情をこわばらせていると、後ろからテツとトワがこそりと小さな声で話しかけてくる。


「なぁタツ、前もそうだけど、これってどういう状況?」


「知るか。俺が聞きたいくらいだ」


「そういえば、こないだリュウくん生徒会室に行ったよね? その時に会長さんとなにかあった?」


 確かにあった。色々と。


 だがそれをこの2人に教えるわけにはいかない。葵さんの名誉のためと、俺の平穏な学園生活のため。

 

 俺は目の前にいる葵さんに、アイコンタクトでどうにか自分の気持ちを伝えようと試みる。頼むから、妙なことは言わないでくれと。


「……む?」


 願いが届いたのか、葵さんは俺と目が合うと一瞬呆けた後に微笑む。これは伝わったか?


「な、なんだ龍巳」


 しかし、そう思ったのも束の間。途端に恥ずかしそうに頬を赤く染めると、頬に手を当てくねくねと身をよじらせる。


「そんなに熱い眼差しを送られると、て、照れてしまうじゃないか……」 


「…………」


 違う、この色ボケ姫め。そんなものは送っていない。


 俺の気持ちなど1㎜たりとも伝わっていなかった。やはりアイコンタクトなんかで伝わるわけがなかったか。


 だがこの様子だと、この前の出来事をぽろっと口走ってしまいそうだ。なにか他に手段はないか。藁にもすがる思いで周りに視線を送っていると、今度は葛城先輩と目が合った。


「……ふっ」

 

 先輩はニヤッと笑うとこちらに向けて親指を立ててくる……嫌な予感しかしない。


 葛城先輩は俺から視線を外すと、隣にいる葵さんの腕をとんとんと突く。


「ねぇねぇ、葵ちゃん」


「ん? なんだ寧々」


「私も弟とかほしいなぁって思ってたんだけど、参考までに、この前龍巳くんにお姉ちゃんって呼ばれた時の感想を――」


「ふんっ」


「へぶっ!」


 先輩が余計なことを口走りそうになったので、俺は飲み終わったコーヒーの缶を投げつけた。カランッと缶が床を転がり、少し残っていた中身が数滴こぼれ出る。


「しまったな、床が汚れてしまった。あとで拭いておかなければ」


 今しでかした無礼を誤魔化すように、俺は床を転がる缶を拾い上げた。


「おいこら後輩! まず先輩に缶を投げつけたことを謝らんか!」


 先輩は鼻を抑えながら憤慨、といった様子で席を立ち、机を回ってこちらに寄ってくる。ちっこいので全く持って迫力に欠けていて、まるで癇癪を起こした子供を見ている気分だ。


「私は葵ちゃんのように甘くは……ん? なんだ、お前ら。そこを通さんか」


 葛城先輩は俺の元へとたどり着く前に、そんな不満げな声を出す。


 見れば先輩は、席を立ちあがったテツとトワに妨害を受けていた。


 2人の表情は『あ、このくらいならやってもいいのだな』と、童心に返ったように生き生きとしている。どうやらまた面白そうなものを見つけたらしいな。


「おうおう、ちびっこ。どうしたよ。もしかして、小学校と間違えたか?」


「会長さんの妹さんかなぁ? かわいいでちゅねぇ、おいくつでちゅかぁ?」


 テツとトワが、聞けば無性に腹が立つ言葉を言いながら、おふざけで先輩の頭をポンポンと叩く。


 そのたびに左右に分かれたピンク色の髪がぴょこぴょこと跳ねるものだから、見ていて滑稽だった。


「2人とも止めておけ。こんなちんちくりんでも一応、ギリッギリ、もしかしたら、俺たちの先輩、なのかもしれんぞ」


 俺は2人のそのおふざけに乗っかる。普段こちらを小ばかにしてくるのだから、日頃の鬱憤をここで晴らさせてもらおう。


 ただ、俺のそのひと言を聞いた葛城先輩はわなわなと体を震わせ、とうとう我慢の限界になったのかプチと切れる音を鳴らし「ウガァ―!」と唸ってテツとトワの手を跳ねのける。


「お前ら、舐めるのもいい加減にしろよ。私を誰だと思っている! その優秀さから生徒会の会計を任され、成績は学年次席! 学校の妹にしたいランキングでは常にトップの葛城寧々先輩だぞ! 先輩なんだからなっ!」


「「「見えない」」」


「んなっ⁉︎」


「大体、次席で威張るな。そこに主席がいるじゃないか」


 俺は主席である姉さんに視線を向ける。


「…………」


 その姉さんはというと、春花を見つめていた。


「あ、あの。朱里さん?」


 春花は姉さんが放つ圧に押されて身を引いている。


 ……波乱の予感しかしなかった。


* * * * *


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