第49話
今考えると、あれは俺がGW中も1人寂しくひきこもらないようにという、光なりの気遣いだったのだろう。
しかし、流石に長時間バイクの後ろに乗っているのは堪える。思い出したらあの時の乗り物酔いが蘇ってきて気分が悪くなってきた。口元を押さえる俺を見て、どうかしたのと春花が心配して声をかける。
「……いや、なんでもない。去年は……そうだな。光と一緒に過ごしていた。大したことはしていないがな」
実際、ぱっと行ってちらっと見てさっと帰ったから、大したことはしていなかった。
ならネットかなにかで見てもよかったのではと思うが、光いわく。他人の意見を聞いただけで、あれは凄いとわかった気になるより、自分で見て感じた方が遥かに感動するとのこと。
言いたいことはわかるが、だからと言って全部を1度に見に行くのも、ありがたみに欠けるというものではないか? それに感動よりも疲労の方が先に来る。
「ああ、そうだ」
そこまで考えて、俺はふと思った。光の名前を、春花は知っていただろうか。
「光ってわかるか? 前に1度会っているから、顔は知ってると思うが」
「うん。この前も、助けに来てくれたし。けど私、気を失ってたから、まだちゃんとお礼、言ってない……」
春花は、光の名前が出た途端、なにか神妙な顔つきになった。歩みを徐々に緩めて止まると、そわそわした感じで尋ねてくる。
「ねぇ、たっくん。今度、あの広場に連れて行ってもらってもいい? あそこにいた人たちに……龍崎さんに、ちゃんとお礼を言いたいの」
お礼を求めるような奴らではないから、気にしなくてもいいのにな。
「わかった。俺から伝えておく。あいつらも、別に礼を言われるために助けに来たわけじゃないしな」
それに、言っちゃ悪いがあんな野蛮な場所に春花を連れて行きたくないというのもある。なにか悪影響があるかもしれない。
だが、俺の言葉を聞いても、春花は気持ちを曲げる様子はなかった。
「ううん、この前のことだけじゃ、ないの」
助けてもらった礼の他に、なにかあるというのだろうか。
「たっくんに、今までずっと居場所をくれていた。裏切った私がなに言ってんだって言われるかもしれないけど、それでもそのお礼がしたいの」
なるほど。春花なりのけじめというやつか。そういうのは、自分で直接言いたいのだろう。俺が付いて行かなくても、1人で行ってしまいそうな真剣さを感じた。
なので、俺もその真剣な気持ちに応えることにする。
「そう、だな。春花がそうしたいなら、今度一緒に行こう」
「……うん」
俺がそう言うと、春花は少しはにかんで答えた。
そして再び歩き始めるも、静まった空気は変わらず、俺たちの間には会話がなくなる。
だが、以前までと違って気まずさはない。ほんの少しだけ、心地いい感じもするほどだ。
道行く人はまばらで、静かな通りには、靴底とアスファルトが擦れる足音が2人分、重なって響く。
すると、そんな心地の良い音色に混じって。
「きゃっ!」
という、女性の声が聞こえた。俺たちはその声に反応し揃って目を向ける。
「いたた……転んでしまいました」
視線の先には、長い黒髪の少女が背中を向けてしゃがんでいた。つまずいて転んだのだろう。膝をついて、つまずいた方の足をさすっている。
よく見ると、辺りにはカバンから飛び出たものが散乱していた。
これは見過ごせないな。俺たちは困っていそうなその少女に近づく。
どうやら、他校の女子生徒のようだった。その制服には見覚えがある。身近に通っている奴がいるから。
「あの、大丈夫ですか?」
俺が制服を見て、学校名はたしか……と思い出していると、春花が少女に話しかける。
「え?」
春花の声に少女は振り向くと、気まずそうに照れ笑いした。
「あ、は、はい。すいません、お見苦しいところを見せてしまって」
いかにも大和撫子といった清楚な顔立ちだった。育ちがいいのだろう。肌や髪の手入れが良くされている。
そして、長く綺麗な黒髪には、これまた綺麗な花の髪飾りが刺されていた。
少女は立ち上がると、スカートについた埃を払いお辞儀をした。所作からも、やはり育ちの良さを感じる。
「足とか、怪我してませんか?」
「はい。つまずいて転んだだけなので、大丈夫ですよ」
声も凜として透き通るようで、思わず聞き入ってしまいそうだ。
少女は居住まいを正すと、にこりと笑って自分の名前を口にする。
「ご心配していただいて、ありがとうございます。私は
「あ、あの清澄学園の……」
学校名を聞いて、春花がどこか納得したような声を出す。きっと、この清楚で純な大和撫子然とした佇まいに対してだろう。
この辺りだけでなく、隣県や遠方からも多くの社長令嬢や政治家の娘たちが通う、いわゆるお嬢様学校というやつだ。
セキュリティ面に関してももちろん万全で、自宅から通うのが難しい生徒のために、24時間体制で警備の者が常駐している敷地内には巨大な学生寮があったり、送迎用の車を言えば貸し出してくれるなど、その設備は異常なほど整っている。
なぜ、俺がそんなことを知っているか?
別に淑女たちとお近づきになりたいとかそんな邪なことは考えていない。というか興味もない。
さっき言った通っている奴に、聞きたくもない学校の愚痴を延々と聞かされているため嫌でも覚えてしまったのである。
そんなふうに、清女についての印象をざっと頭の中に並べながら、俺と春花、そして先程の少女、華恋は散乱した荷物を拾い集めていた。
「わぁ……なんか、難しそうな参考書ですね」
春花は落ちていた参考書の表紙を見て感嘆の声を上げる。
「ふふっ、春花さん、同い年なんですから敬語は不要ですよ」
「あ、そ、そうで……そうだよね。えっと、ほ、八朔日、さん?」
聞きなれない名前だから、たしかに呼びづらくはある。春花はたどたどしく名前を口にした。
「華恋で結構ですよ、私もお名前で呼ばせていただいていますし。それから『さん』もいりません」
「じゃ、じゃあ、華恋、ちゃん……」
「はいっ」
華恋が返事をすると、女子2人は笑いあう、とても和やかなムードだ。
因みに華恋は育ちゆえに敬語が染みついてしまっている為、老若男女問わず話し方は変えないらしい。さすがお嬢様学校。同じ学校に通っているあいつにも見習ってほしい。
「春花さんと……えっと……」
そういえば、まだ俺は自己紹介してなかったな。
「龍巳だ」
「龍巳さん、ですか?」
名前を聞くと、華恋はこちらをまじまじと見て首を傾げる。
「どうかしたか?」
「え? あ、いえ。なんでもありません。春花さんと龍巳さんは、桐生ヶ丘の生徒なんですよね」
なにか誤魔化されような感じだった。
気になるところだが、会話に華を咲かせる女子2人の中には入りづらい。なので、男である俺は黙々と作業するのみだ。
そうすると、大して時間もかからず荷物はあらかた集め終わったのだが。
「よし、これで最後だな……ん?」
最後に拾ったものを見て、俺は首を傾げた。
「なんだ、これは?」
俺が拾ったのは…………本当になんだこれ。棒?
漆塗りされた黒い木の棒。大体20cmくらいの長さで、表面には色とりどりの花の絵が描かれている。
そして、なぜか手の中に感じる確かな重さ。ただの木の棒ではないようだ。
不思議そうにそれを上から横からまじまじと見ていると、華恋が心底安堵した表情で、その棒を受け取りにやってくる。
「ありがとうございます龍巳さん。これは私にとって、とても大切なものなんです」
俺が渡せば、受け取った華恋はその棒を大事そうに握りしめる。
「……これは、私の大切な方からいただいた、大切な宝物なんです」
「宝物?」
「はい。おまもりに、と……私をいつでも守ってくれるように。そう言って、その方が渡してくれたのです」
「……そうか」
おまもり。その単語に、俺と春花はそれぞれの手首に着けられている、自分たちのおまもりに目を向ける。
「本当に、大切な人なんだね」
多分、昔の俺たちと、華恋を重ねて見たのだろう。春花は思い出すようにそう口にする。
「……えぇ。普段は少し乱雑なところもありますけど、優しくて、強くて、聡明で……自分の大切なもの為ならどんな困難にも立ち向かえる、そんな人です」
華恋も、その大切な人を思い浮かべているのだろう。少し顔を赤らめながらそう口にする。
「ふふっ、少し恥ずかしいことを言ってしまいましたね」
「いや、恥ずかしくはないだろう。華恋がそいつの事を心底想っていることが伝わってきた」
なにも恥ずかしがることはない。
華恋の声からは、彼女がどれだけその人物を想っているかがわかる。その想いを素直に口にできるのは、なにも恥ずかしいことではない。
俺がそう言うと華恋は少し驚き、そして華のような可憐な笑みを見せる。
「そう言っていただけると、嬉しいです」
助けていただいてありがとうございました。そう言って華恋は深くお辞儀をすると、これからその人物の元へ行くと言って嬉しそうに帰っていった。
「……なんだか、素敵な関係だね」
「そうだな」
華恋の話を聞いて、なにか思うことがあったのだろう。去っていく背中を見て、春花がそう口にする。
「私たちも、もう1度あんなふうになれるかな?」
「それは、これから頑張っていくと約束しただろう」
「……うん」
俺が頭にぽんと手を乗せると、春花ははにかんで小さく頷いた。
……華恋とその想い人の関係は、昔の俺たちに似ている。
このまま春花と一緒に居続ければ、いつかもう1度。俺も華恋のように素直に自分の想いを口に出来る日が来るのだろうか?
そんなことを考えながら、俺たち2人は夕陽が照らす通学路を、伸びた影をさっきよりも近づけて歩いて行った。
* * * * *
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