第48話


 一瞬、葵さんの言っていることが理解できなかった。私はすっとんきょんな声を上げてしまう。


「ん、どうした? 春花は龍巳に告白したのだろう? なら君は龍巳のことが好き。私も龍巳のことが好き。そうなれば、私たち2人は恋敵にならないか?」


 思考が追い付かない。


 葵さんが、たっくんを好き? え、なんで? 


 意味は理解できるけど処理しきれず、頭の中がパンクして放心状態になる。口を半開きにして呆けているそんな私に、葵さんは笑いかけた。


「はははっ。驚いた、という顔だな」


「……えっ? あ、あの。は、はい」

 

 葵さんの声で、はっとする。


「けど、どうして?」


 気が気ではなかった私はおそるおそる尋ねる。葵さんは顔をほんのり赤く染めると、恥ずかしそうに視線を泳がせながら答えた。

 

「あぁ、その、なんだ……恥ずかしながら、一目惚れというやつだ」


「ひ、一目惚れ?」


「自分でもな、よくわからないんだ。だが、異性をここまで意識したのは初めてだよ」


「は、初めて……」


 もじもじと口元に手を当ててそう言う葵さんは、もう乙女の顔だった、さっきまでの生徒会長としての風格はなりを潜めている。


「最初は龍巳と朱里を見て、弟という存在が羨ましかったのかもしれない。けれど、龍巳と接して、暴漢に囲まれているところを助けてもらって。その時に胸がときめいてな。ずっと治らなかった。だからその時、この気持ちが恋なのだと、そう感じたのだよ」


「そ、そうだったんですね……」


「ああ。だから悪いが、恋敵である春花に対しては恋愛面では助太刀できそうにないな。まぁ、お互い頑張ろうとだけ言っておこう」


 葵さんは不敵に笑って、すっと手を出す。


 ここで引いたら負けてしまうと思った私は、さっと強く握り返した。


「はい。私も、負けません。もう1度好きになってもらうって、約束しましたから」


「ふふっ、凄い意気込みだな」


 握手した手にぎゅっと力を込めて放すと、葵さんは背を向け手を振り校舎の中に戻っていった。去っていく後ろ姿に、スポーツの試合前の礼みたいに、私はお辞儀する。


「負けられないな」


 この勝負だけは、負けたくない。


 気持ちを新たに。清々しさが漂う表情で、頭を上げたその時。


「っ⁉ な、なにっ?」


 ズダンッと、なにかが地面に着地するような音が後ろから聞こえた。びっくりして、私は肩を跳ね上げ飛び退き、ばっと振り返る。


「え? た、たっくん?」


 私の真後ろでは、今の今まで待っていたたっくんが、着地の衝撃を和らげるようにしゃがんでいた。もしかして、飛び降りたの?


「んなっ!? 3階から飛び降りるなんて、なんて非常識なっ!」


 しかも3階からだった。上から声がしたから見てみると、窓から学園長が顔を出したっくんを睨んでいる……あれ? いつもと雰囲気が違う?


「非常識なのはどっちだっ! 生徒に水槽の水を飲ませようとする学園長が何処にいるっ!」


 気が立っているのか、たっくんは立ち上がると、学園長に対して乱暴に言い返す。私は状況がわからなくて、オロオロするばかりだ。


「たくっ。あの学園長、とうとう本性を…………ん、春花?」


 ようやく私が目の前にいることに、たっくんは気づいた。


「ここで待っていたか。ちょうどいい。学園長が降りてくる前にさっさと帰るぞ」


 答えを待たないで、たっくんは私の手を引いて走り出す。


「…………あ」


 いきなりのことに驚いたけれど、久しぶりに手をつなげた。たっくんは意識していないけど、私の目はじっと握られたお互いの手に向かっている。


 ずっとこうしたかった。想像していたものとは少し違ったけど、その手のぬくもりを感じられたのが嬉しくて、私は……。


「うんっ!」


 私は、たっくんの手を握り返して、朗らかな笑顔でそう頷いた。


* * * * *


 学園長から逃げきった俺たち(追いかけられていたのは俺だけだが)は、帰宅の途についていた。


 帰り道を夕陽が照らし、後ろには長い影を作っている。


 もう4月も下旬で風は暖かく穏やかだ。早いもので、来週からはGWという学生にとっては待ちにまったイベントが控えている。


 そういえば、クラスメイトたちも教室で話題にしていたな。どこに遊びに行こうかとか。


 恐らくあいつらは、そのゴールデンな連休で誰もがうらやむような輝かしい青春を過ごすのだろう。


 俺? 俺は特に予定などない。まぁ、強いて言うならテツの家にでも邪魔しようかなという程度だ。


 寂しい奴だと思われるかもしれないが、色々あったからここ数年はまともな青春などほとんど送っていない。だから、普通の学生が休日になにをするかなんて知らないんだ。


 そんな、周りに言えば可哀想な目で見られるようなことを考える俺に、隣を歩く春花が、言おうかどうか迷いながらも尋ねてくる。


「あ、あのさ。たっくんはGWに、なにか予定はある?」


 ちょうど今考えていたことだった。


「いや、特に決めていないな。テツの家にでも行ってみようかな程度か」


「ふ、ふぅん」


 なんだか煮え切らないな。どうした? 表情からして、それほど深刻でもなさそうだが。


「なぁ、春花。言いたいことがあるなら、はっきり言えばいい」


「え?」


「なにか言いたげだったからな。言わずに後悔しない方がいいと、前にも言ったろ」


「……う、うん。そうだよね」


 俺が少しだけ後押しすれば、春花は1度深呼吸をすると、意を決して。


「ゴ、ゴールデンウィークッ! いっ、いいい、一緒にお出かけしないっ!?」


 少しつっかえながらも、そう言った。

 

 相当緊張したのだろう。目を瞑り、頬を上気させ、手を胸の前で組んでいる。


 覚悟の表れなのか、はたまた勢いが余ってしまったのか、姿勢は少し前かがみになっていた。


 だからこそ、強調される大きな双きゅ――。


「……あほか」


 ぼそりと呟きさっと目を逸らす。勇気を出してくれた春花に対して、俺はなんて邪な視線を……。


 こんなの、俺がもう1度好きになれるようにと約束した春花への裏切りに等しい。この性欲にまみれた猿めと、心の奥底に眠る破廉恥な自分を深淵へと再び沈める。


「た、たっくん?」


 いかん。突然目を逸らしたことで、春花が不安がってしまった。

 

「いや、なんでもない。GWの話だったな」


「う、うん……」


 緊張した面持ちで、春花は俺の答えを待つ。


「あぁ、特に予定もないし、久しぶりに出かけるか」


「――っ。う、うんっ」


 ぱぁっと笑顔に花を咲かせ、春花は大仰になんども頷いた。


「大袈裟だな、一緒に出かけるだけだろう?」


「だ、だって、嬉しくて……」


 まぁ、ここまで来る過程を振り返ってみれば、春花の気持ちもわかる。あの告白がなければ、きっと俺は断っていただろうからな。


 しかし、誘いを受けはしたが出かけると言ってもどこに行けばいい? 今時の女子が行きたい場所なんて、俺には皆目見当もつかん。


 ここは恥を忍んで、誘った本人に尋ねてみるか。


「それで、春花は行きたい場所とかはあるのか?」


「行きたい場所?」

 

「ああ。すまないが、今時の女子が喜びそうな場所がわからなくてな」


 考えていなかったのか、春花はこてりと首をかしげて、申し訳なさを表すように眉を下げた。


「ごめんね。私もお休みの日は、あまり出かけないから。たっくんと一緒じゃないと、楽しくないし……」


「そう、か……」


 まずい。空気を悪くしてしまった。


 あんなことがあったのに、1人だけ楽しく出かけるなんてこと春花は出来ないだろう。これは失敗したな。もう少し考えればよかった。


「わ、私のことより、たっくんは?」


 落ち込んだ雰囲気を察したのか、春花は努めて明るく振る舞う。


「たっくんは、去年はどうやって過ごしたの?」


「……去年か」


 俺は去年のGWを思い出す。正直、思い出したくもないが。


 あれは、GW前日の深夜だった。光の奴が唐突に『ゴールデンなんだから、なんけ金ぴかなもん見に行こうぜっ!』なんてことを突拍子もなく言い出したのだ。


 俺は当然面倒臭いと言って断ったのだが、光は抵抗する俺の首根っこをひっつかみ、強引にバイクの後ろに乗せると、なにをとち狂ったのか『日本で金っつったら、やっぱ金閣寺だろ!』と言って、俺の制止も聞かずにバイクを走らせる。


 光の後ろで風を受けること数時間。

 

 やっとの思いで金閣寺に着いたと思ったら『……思ったほど、光ってねぇな』などとあいつはほざきやがる。

 

 流石の俺も頭に来て『日ごろから管理に務めている人たちに謝れっ!』と説教したが、あいつはそれを無視し『んじゃ、今度はしゃちほこなっ!』と我が道を行くかのごとく、再びバイクを走らせ今度は名古屋へ。

 

 それからGWが終わるまでの間。俺はあいつに日本中を連れまわされるという地獄を味わったわけだ。


* * * * *


ここまでご覧いただきありがとうございます。


よろしければ作品のフォローや⭐︎レビュー評価をよろしくお願いします。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る