第26話


 これは、俺と桜井の関係が壊れてしまった、少し後の話だ。


 時刻は深夜。場所は俺が住んでいる街のイベント広場。そこにある、今はもう使われていない野外舞台の観客席に座って、俺はぼぉっと上の空で、目の前の景色を眺めていた。


「ここも、随分と廃れたな」


 俺がまだ小さかった頃は、ここも季節のイベントなどが催され、多くの家族連れで賑わっていた。


 しかし時が経つにつれてイベントを行う団体も。それを見に来る人間も少なくなっていき、今では誰も寄り付かない廃墟のような場所になっている。


 ボロボロになって塗装が剥がれた壁面。舞台の床には亀裂が入り、隙間から雑草が伸びていた。もう使われなくなって久しい。にも関わらず、そこは煌々と眩しくライトで照らされていた。


 昔は、ヒーローショーや歌手たちが歌う場として使われていたであろうその場所。しかし今はそんな煌びやかな演者ではなく、2人の男が息を切らし、満身創痍の状態で睨みあっている。そして観客は家族連れなどではなく、少々やんちゃな格好の若者たちだ。


 対峙する2人は雄叫びを上げながら殴り合い、汗やら血液やら色んなものを飛び散らせる。観戦している連中はやんややんやと騒ぎ立てていた。格闘技の会場のような熱気だ。ちなみに俺は見たことはない。


 この光景。傍から見ると、ただ不良同士の喧嘩に見えるが、別に2人は仲違いをしている訳ではない。単純に力比べをしているだけで、普段は結構、仲のよい関係だ。


 何故、俺がこんな連中と一緒にいるのか。


 それは俺の恩人がここのリーダーみたいな存在で、そいつに付いて行ってたまに世話になっているから。なりはこんなんだが、意外と面倒見がよく全員優しい。


「……まぁ、知らない人間が見れば、ただの不良だがな」

 

 だから垣谷が言っていたことは当たらずも遠からずといった感じで。俺がここの連中と一緒にいるところを、偶然どこかで見かけたのだろう。そんなことを考えても、今更だが。


 舞台上では2人が同時に倒れ込んだ瞬間が目に入る。相打ちか。俺はそれを眺めながら、春花のことに思いを巡らせていた。


 あれからもう5日も経っているが、未だに気持ちは沈んだままだ。


「結局、あいつも離れていってしまったか……」


 春花の言葉、あの時の光景を思い出すと、貫かれたように心が痛む。


 もしかしたら彼女だけは。そんな甘い想像をしていた。


 だけどやっぱり彼女も、父さんや母さん。そして姉さんと同じように、俺から離れて行ってしまった。


 裏切られた、信じていたのに。


 落ち着いて考えればそんなことはないとわかるはずだが、心が疲弊して不安定だった俺の感情は、自暴自棄になって爆発してしまった。結局のところ、俺は子供だったのだ。


「あんなこと。言うつもりは、なかったんだけどな」


 感情に任せて、心無い言葉を浴びせてしまった。悲愴に揺れる瞳で俺を見上げる彼女の顔を思い出すと、罪悪感で押しつぶされそうになる。


 離れたのは、なにも彼女だけではなく、俺も彼女を突き放した。きっともう一緒にはいられない。それくらいのことをしてしまった。


「……こんな気分になるなら、あんな感情、持つべきじゃないな」


 好きになっても、辛くなってしまうのなら、こんな感情は持つべきじゃない。


 だから忘れよう。あいつを好きだったことも、楽しかったことも、何もかも全部。


「なにアホなこと言ってんだ、お前?」


 落ち込み膝を抱え、ふさぎ込んで弱々しく呟く俺に、そいつは後ろから呆れた声をかけてきた。


「ん? あぁ、光か」


 しゃがみこんで、目線の高さを俺と合わせるそいつは、龍崎光りゅうざきひかる。細身だが、ここの連中全員からリーダーだと慕われている。


 そして、俺の恩人。


「あいかわらず目立つな、お前」


「ふふん。カリスマ性、あるだろ?」


「誰もそんなこと言っていない」


 光のことをひと言で表すなら〝白〟という言葉がふさわしいだろうか。

 

 白い肌に、肩口まで伸びた真っ白な髪。今はそれを後ろで束ねている。


 趣味なのか、服装も白いシャツに白ぽいジーパン。白いブーツを履き、そして白いジャンバーを羽織るという白一色。その姿は、真夜中の闇の中にいても、はっきりとわかるほど。


「お前の方こそ、あいかわらず暗いというか、なんというか」


「……ほっとけ」

 

 対して俺は、髪は真っ黒。服装も黒のシャツに、黒のスウェットパンツ。黒いスニーカに、黒いパーカーを羽織っているという黒一色。正反対である。この闇の中だと、うっかり見失ってしまいそうだ。


「おまけにそんな辛気臭ぇ顔してたら、暗すぎて、夜中になったら見失っちまうかもな」


「……それならそれでいい。今は1人になりたい気分なんだ」


「はっ。残念だけど、そん時は俺が見つけてやる。そう簡単に1人になれると思うなよ?」


 俺は答えず黙り込む。光が、俺のために気丈に振る舞ってくれているのが丸わかりで、申し訳ないやらなんやらで言葉が出ない。


「……はぁ、まったく。しょうがねぇやつだな、お前は」


 光は中性的なその顔を、ふてくされている俺に近づけて苦笑した。


「幼馴染の子のこと考えてたんだろ? まぁそう落ち込むな……って言っても、無理か、やっぱ」


「……いや、気を遣わせたな。もう、大丈夫だ」


 本当は大丈夫などではない。けれど、それを光に言ったところ仕方がないだろう。


 光はそんな俺の心情を察したのか、バツが悪そうに頬を掻いて少し考えた後。1つため息を零し、俺の頭をわしゃわしゃと乱暴になでた。


「っ⁉︎ なんだ、いきなりっ」


「はははっ。安心しな、龍巳。なにがあっても……俺はお前の前から、いなくなったりしねぇから」


「…………」


「俺のこと、信じらんねぇか?」


「……いや」


 光のことは信頼している。春花がいなくなって、多分俺の傍にいてくれる唯一の人間だろう。


 光すら離れていってしまえば、俺はもう。


「ああ、信じてるよ。誰よりも」


 すがるような声で、俺は頷く。


「……ふっ、そうかよっ!」


 光は意味ありげな間を空けて、笑いながらバンバンと強く俺の背中を叩いた。地味に痛い。


「あと、すまん。喧嘩してしまった」


「まぁ、人間なんだし、そういう時もあるさ。気にすんな」


 このくらいの懐の深さが俺にもあれば、なにか変わったのだろうか。謝罪する俺を、特に咎めたりもせず、光は笑って許す。


 春花とは別に、光とも喧嘩をしないという約束をしていた。俺と光が、初めて出会った時のことだ。


* * * * *


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