第25話



 桜井と姉さんのことが気になって集中を欠き、下校途中で信号無視をしたすえ、車に轢かれかけた俺だったが、昨夜普段通り晩飯を食べていた姉さん。


 そして、今日学校で会った桜井の様子を見るに、どうやら心配は杞憂に終わったらしい。


 逆に。轢かれかけた件を、わざとらしい笑い声を交えて、夕食時の会話のネタにした俺の方が心配されてしまった。


 話しやすい空気でも作れれば、桜井となにを話したのか聞きやすいと思った稚拙な策は、一家団欒の和やかな食卓を騒然とさせるだけで終わる。

 

 まぁその後落ち着いて、どんな話をしたのか姉さんにいくら尋ねても、心配するようなことではないとはぐらかされるだけで、結局答えてはくれなかったのだが。


 なぜだか最近、俺だけのけ者にされているような気がしてならない。


 つい先月辺りまでは1人でいても孤独というものを感じなかったが、周りに誰かがいる日常に慣れてしまったから、こんなふうに感じるのかもな。橘学園長の言う出会いの意味というのが、少しだけ理解できた気がする。


 ……しかし、1人というのも存外悪いものではない。


「そういえば、洗剤がそろそろ切れそうだったな。あと他には……」


 落ち着いてもの思いに更けることが出来れば、ついつい忘れてしまいがちな買い物メモの内容も思い出せることだってある。


 桜井と姉さんの一件から1日経った翌日。その放課後。1人で校門までの道のりを歩いていた俺は、指折り数えて買い物メモに書いてあった、あれやこれやの生活必需品を思い出す。


「掃除もやらなきゃだな。どうせまた散らかってる」


 大分主婦じみた悩みをこぼしているが、実際あいつの部屋で家事を全てこなしているのは俺なのだから、さして変わりはないだろう。


 最近は家に帰ることも多くなったが、俺は今でも恩人の世話になって……もとい、恩人が野垂れ死になどしないよう世話をするため、あいつの家に入り浸っていたりする。なんだかんだ居心地もいい。


 今日も家には帰らず、このまま行くつもりだった。以前のように無断外泊などではなく、今ではきちんと姉さんと母さんにそのことを伝えている。


 その度に、2人とも不満そうに唇を尖らせるのだが。


「2人とも、そろそろ子離れ弟離れでもしたらどうなんだろうか」


 俺だってもう高校生。思春期真っ盛り、年頃の男子なのだから、たまには1人になりたい時もある。


 川辺に座り、夕陽を眺めてたそがれていれば、それっぽいだろうか。隣に野良猫でも寄り添ってくれていれば文句なしだ。


 哀愁漂う光景を想像すれば、無性に川辺に行ってみたいというおかしな欲求に駆られる。


「……なんてな。大体、そう都合よく野良猫なんているわけ――」


 ……いた。見つけた。


 視線を地面に落とした時。狙いすましたかのように、後ろから少々土で汚れた白い猫が、とてとてと足元を通り過ぎていったのである。


「……いる、もんだな」


 ぼそりと言った俺の声に反応したのか、前を行く猫は止まって振り返り「ニャッ」と短く、挨拶のような鳴き声を発すると、再び校門の方へと駆けて行く。


「ニャ? ニャニャッ⁉︎」


 だが、驚いたように急に飛び上がると、一目散にこちらへと引き返してきた。


 気になって猫が向かおうとしていた先に視線を向ける。そちらから野太い男の叫び声が聞こえて来た。


「ここの生徒だってのはわかってんだよ! さっさと連れて来い!」


「だから、それは出来ないと何度も言っているだろう。それに、桐生ヶ丘の生徒というだけでは、探しようもない」


 校門付近では、葵さん。それに、他校の男子生徒数人がなにやら揉めているようだった。下校する生徒たちは巻き込まれないよう距離を取っている。


「なんの騒ぎだ?」


 聞く限りでは、向こうが桐生ヶ丘うちの生徒の誰かを探しているらしいが。


 ただ、数人で1人を囲むというのは見ていて気分が悪い。それが知り合いなら尚更。俺は諍いいさかいをおさめようと、早足で近づくが。


「舐めやがって、このアマっ」


 焦れた向こうの1人が、葵さんの胸ぐらを掴もうと手を伸ばした。俺はすかさず手首をとっ捕まえて止める。


「事情はよくわからんが、女に手を出そうとした時点で、男としては下衆もいいとこだな」


「……あ? 誰だてめぇ!」


 掴まれた手をそいつが振り解けば、ぞろぞろと、案の定他の奴らも突然現れた俺に詰め寄ってくる。


 堪え性のない奴が今すぐにでも飛びかかってきそうな雰囲気を漂わせていて、一触即発の空気だ。


「葵さん、危ないから少し下がっててくれ」


「あ、ああ。しかし、龍巳は?」


「ん? あぁ、これくらいなら問題ない」


 周囲を見回して、この程度の数なら1人でなんとかなりそうだと、なんとはなしに頷く。


 むしろ差し迫っての問題は、教師たちが駆けつけて来てしまった後だ。柊先生が来れば、また殴られかねない。結構力が強いのだ、あの人。


「おいこの野郎。いきなり出て来たと思ったら、これくらいってどういう意味だ!」


 考えていると、言い草が癪に障ったのか、葵さんに掴みかかったそいつは、つばでも飛んできそうな勢いで怒鳴り散らかしてきた。


「とにかく、俺の背中に隠れていてくれ」


 大声で叫べばこちらが萎縮すると思っているのだろうが、それで怯む俺ではない。構わず葵さんを背中に庇う。


「ちっ!」


 自分たちに目もくれない様子に、もはや怒り心頭。額に青筋でも立てそうな剣幕で舌を打ち。

 

「てめぇ、なに無視して――」


「っ!? ちょっと待て。こいつ、どっかで見た気が……」


 我慢の限界に達して、とうとう拳を振りかぶり距離を詰めて来たのだが、後ろに控えていたやたらと体格のいい男が、なにか気付いて慌てて肩を引っ張る。


「やっぱりてめぇ、あん時の……二頭龍の!」


「…………」


 この大男。風貌や態度からなんとなく嫌な予感はしていたが、どうやらこちらのことを知っているようだった。俺はぴくりと眉根を動かし、表情を険しくさせる。


 ただ、剣呑な空気になってはいるが、真面目な話その厨二臭い恥ずかしい名称は本当にやめて欲しかった。よくも公の場で叫べたな。努めて平静を装ってはいるが、俺は羞恥で悶え苦んでいた。


「なぁ、お前たち。今日はこのくらいにして……」


 腕っぷしでは負けるつもりはない。しかし心理戦では完敗したらしい。白旗でも振れば良いのだろうか。なるべく下手に出て、この場はお帰り願おうとしたのだが。


「ちっ! おいてめぇら、今日のところは退くぞ!」


「え? どうしたんっすか、武藤さん?」


「いいからっ。こいつには、関わんねぇ方がいい……」


 武藤と呼ばれた男は仲間を連れて、そそくさと踵を返していった。少々拍子抜けだが、大事にならなくて一先ずは安心する。


「何だったのだ、あれは。まぁともかく。助かったぞ、龍巳。ありがとう」


「困ってそうだったからな。それで、一体なにがあった? 随分と穏やかじゃない様子だったが」


「いや、うちの生徒が、先日彼らを見下したように笑ったらしくてな。その生徒を探し出して、連れて来いと言われたのだが……」


「それは、たしかに難しいな」


 何故だろう。記憶に新しい話だ。


「どこの学校だ? 学ランじゃ、ぱっと見わからなかった」


「襟に校章が付いていただろう? あれは黒士館高校のものだったはずだ」


 ということは、笑った生徒というのは先日廊下で話していたあの2人らしいな。くだらないことをするから、おかしな因縁を付けられるのだ。とばっちりを受けるこっちの身にもなって欲しい。


「噂には聞いていたが、素行の悪い生徒ばかりだったな。話も通じないとは」


「まぁ、ああいった連中はメンツが大事だからな。侮辱でもされれば根に持つ。また何かしてくるかもしれないし、葵さんも気をつけろよ」


「うむ、わかった。ところで……先程あの男が言っていた〝にとうりゅう〟というのは、なんなのだ?」


「……二刀流だろ」


 口に出してほしくない。葵さんまで俺の羞恥心を抉るつもりか。


「おぉ、龍巳は剣道でもやっているのか?」


「多分、あいつの勘違いじゃないか?」


 目を逸らして言えば、葵さんは納得して頷く。流石に厳しいかと思ったが、案外簡単にごまかせた。


 騙すようで心苦しい。しかし、知らなくていい……と言うより、知られたくないというものがこの世にはある。これも葵さんの為だ、わかってくれ。


「……しかし、なんだ」


 俺が言い訳じみたことを内心呟いていると、葵さんはそわそわと身をよじり、顔を赤くした。


「助けに来てくれた時の龍巳は、その、頼りになったというか……か、かっこよかったぞ」


「そう、か」


 しおらしく乙女な様子に、咄嗟になにも浮かばず、俺は当たり障りのない返事しか出来なかった。

 

 何か、他にも気の利いた言葉をかけた方がいいのか? 少ない引き出しから言葉を探す俺に、葵さんは。


「あぁ、少しだけ体がほてってしまったよ。これが雌になるということなのだな」


「俺はもう、葵さんにかける言葉が見つからないんだが」


 聞けば、耳を疑うような変態発言を、恥ずかし気もなく口にする。こういう部分にもっとしおらしさを持って来てくれ。


 他の生徒たちが距離を取っていてくれて良かったと、俺は胸を撫で下ろす。


「先生たちが来ると厄介だから俺はもう帰るが、葵さんはどうする? あいつらもまだこの辺にいるかもしれないし、送っていこうか?」 


「心配してくれるのは嬉しいのだが、まだ生徒会の仕事が残っている。もうしばらくは学校に残るよ。だが、そうだな。今日は家族に迎えに来てもらおう。朱里も一緒に送っていくから安心してくれ……ん? なんだ、その子は?」


 ふと葵さんは俺の足元を見る。つられて俺も視線を落とすと、先程の猫が足に擦り寄っていた。


「なんだ、さっきの猫じゃないか。随分と人慣れしているな。最初に鳴いた時も挨拶みたいだったし、野良じゃなくて飼い猫だったか?」


「わかるのか?」


「ああ。昔、野良猫を拾ったことがあってな。その時に色々調べた」


 俺は猫を抱え上げる。「ニャー」と甘える声が、さっきまでの殺伐とした空気を和らげた。


「飼い主を探してやりたいんだが、どうしようか?」


「なら、今日はこちらで預かろう。学校内にいたのなら、近所の猫かもしれないし、生徒会でも飼い主に心当たりがある生徒がいないか探してみる」


 猫を受け取ると、まずは学校に確認してみると言って葵さんは校舎に戻っていった。早く飼い主が見つかるといいな。


「さて、俺も行くか……それにしても」


 黒士館高校。そして、あの武藤とかいう男の態度。


 やはり、どこかでばったり出会っていたようだ。それもとびっきりの恨みを買って。


 去り際に見た顔を思い出す。恨み、憎しみ、怒り、怯え、そういった酷く濁った負の感情がごちゃ混ぜになった表情だった。


 ああいった表情をする奴は、経験則から大抵ろくでも無い事を引き起こす。これは勘だが、いずれまた出くわすことがあるかもしれない。


「……まぁ、どうでもいいか」


 それはその時になったら考えよう。この件は一旦保留にしておく。


「そんなことよりもだ」


 俺はスマホを取り出すと、同居人の人間に通話をかけた。さっきもぼやいていたが、今日泊まる部屋の現状が不安だったからだ。きっと、地震でも起きたのではないかと思うほど物が散乱しているに違いない。


 買い物をしている最中、少しくらいはあいつに片付けさせるべきか。


 しばらくプルルルという通知音が響いて、やがてプツっと途切れると、スマホの向こうから押し殺したような声が聞こえてくる。


『もしもし、龍巳か? まだ学校なんだが……』


「あぁ、急に電話して悪いな。それより、どうせ部屋散らかってるだろ? 俺が行く前に、少しは片付けておいてくれよ。いいな、光」


* * * * *


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