第24話
放課後になって、夏海ちゃんたちと別れた私は、茜色に照らされた屋上に来ていた。
校庭からは運動部の掛け声が。校舎からは吹奏楽部の、管楽器の音色が聞こえてくる。
耳を澄ませると、踏切の警報音を塗りつぶして走る列車の音が遠くに聞こえた。
その他にも、カラスの鳴き声や、近くを歩く子供たちの笑い声。たくさんの音が辺りを彩っているのに、無骨なコンクリートが剝き出したこの屋上だけは、もの悲しい静寂で満たされている。
今、この場所には私1人だけ。まだ朱里さんは来ていない。
緊張した面持ちで昨日のことを思い出せば、記憶に残った痛みがよみがえってきて、もう赤みもなくなった頬を触る。
今朝は一緒に登校させてもらえたけど、朱里さんの気持ちを考えれば、本当は私の顔なんて見たくないはずだ。それでも、ぶたれるのを覚悟の上で、私は生徒会室の前で待った。
たっくんと、話がしたかったから。
話をして、それで謝ることが出来たらと。
結果は、何も話せず仕舞いだったけど。
けれど、あの時謝っても、きっと彼の心には私の気持ちは届かなかったと思う。
『形だけの謝罪に、意味なんてないだろ』
この言葉に、私の心は不安で揺れたから。喉元に刃物を添えられた気持ちだった。
私の言葉は、形だけにならないか。彼に届くのか。償いの気持ちは本物だけど、気持ちが揺らいで、および腰で謝っても、きっと伝わらない。
けれど、何を言えば伝わるかな。
抜け出せない渦の中に、飲み込まれているような感覚だった。同じことでもがき続けて、頭の中がぐちゃぐちゃになってくる。気持ちも沈んでいた。
今まで、本気で謝ったことがないのだと痛感する。怖いし、辛い。こんなにも心が苦しくなる。
「…………」
この苦しみが大切な人を傷つけた罰なんだと、改めて確かめるように、胸をぎゅっと強く握りしめた。
形を変えるほど握られた胸が痛みを訴えるけど、それでも私は止めない。
だって、たっくんの方が、もっとずっと痛かったはずだから。
「なにしてるのよ、自分の胸掴んで」
目を瞑って痛みにこらえていると、不意に扉を開く錆びついた音。その後すぐに少し不機嫌そうな声が静かだった屋上に響いた。
咄嗟に振り向けば、朱里さんが腕を組み、声と同じように不機嫌そうに口を結んで、扉の前に立っていた。
「しゅ、朱里さん」
「お待たせ。今日は生徒会の仕事遅れるって伝えてきたから遅くなったわ」
「い、いえ。大丈夫、です」
傍から見れば、怯えたような震える声で、私は答える。
「……はぁ。そんなに怯えなくても大丈夫よ。昨日みたく、いきなりひっぱたいたりとかは、しないから」
「あ、その。怯えたり、とかは……」
否定しようとするけど、またしても声が詰まって震えてしまって、朱里さんは表情を少し困ったように歪めた。
「これだと、話が進みそうにないわね」
「す、すいません」
「いいわよ、このくらいで。それより……私の方こそ、改めてごめんなさい。昨日は、その。ちょっと、やり過ぎたわ」
「…………え?」
3秒ほど間を開けて、思わず私は間の抜けた声を出してしまう。まさか、謝られるとは思っていなかった。
朱里さんは、バツの悪そうにそっぽを向いて頬を掻く。
「なによ?」
「え? あ、いや。謝られるとは、思ってなくて……」
「私だって、謝る時は謝るわよ」
心外だと鼻を鳴らすけど、無理もないけどねと自嘲して、朱里さんは短くため息を吐く。
私は、普段見せない朱里さんの様子にしどろもどろになりながらも、何度か口を開きかけ、躊躇い、言葉を飲み込むを繰り返し。やがて意を決して、深く頭を下げた。
「あの、その。私も、すいませんでした。朱里さんの気持ちも考えないで、自分勝手に……」
「……まぁ、あなたもそれだけ必死だったってことでしょ」
温情のある言葉だった。それだけに恐縮してしまって、申し訳ないやらなんやらで、私は身を縮こまらせる。
「でも」
だけど、次に朱里さんが発した言葉で、はっと我に帰った。
「あなたが龍巳にしたことは、絶対に許さない」
優しさの欠片もない、鋭い瞳と低い声。息が一瞬止まり、ごくりと喉が鳴る。
「当然でしょ。あなたは龍巳の好意を、信頼を踏みにじったんだから」
「は、い……」
喉が張り付いて、上手く声が出ない。言葉が棘となってぐさりと心を抉る。まだぶたれた方が優しく感じるほどに、胸がずきずきと痛んだ。
「……でもね」
怒りを押し殺して、声を抑えた朱里さんは、瞳を伏せて薄く微笑む。
「あなたのことを、憎まないでくれって、龍巳に言われたわ」
「え?」
「けど勘違いしないで。許したわけじゃないし……ただ、そういう悲しい生き方は、しないで欲しいって」
朱里さんは昨夜のやり取りを聞かせてくれた。
「たっくん、そんなことを……」
「私は、龍巳の気持ちを尊重したい。正直まだむかつくけど、もうあなたを邪険にしたりしないわ」
「はい……あの、ありがとうございます」
不満たっぷりに言った朱里さんに、私はお辞儀した。
「礼なんていいわよ。それよりも、龍巳にちゃんと謝って来なさい。話くらいは聞くって言ってた。今度は、邪魔しないから」
私はもう一度はっきりとした声で頷くと、深く頭を下げる。朱里さんはその様子を一瞥し、話はこれで終わりと言い捨てると、踵を返して校舎に戻っていく。その間、こちらを振り返ることはなかった。
だけど、扉の前で足を止めると。
「…………私も」
俯いて、小さな声でなにか言いかける。
上手く聞き取れなかったし、逃げるように中に入って扉を閉めてしまったので、なにを言いかけたのか、尋ねることが出来なかった。私は不思議に思い、しばらく扉の方に視線を送る。
だけど、最後に見た背中が少しだけ悲しそうに見えたのが、とても印象に残った。
「…………」
朱里さんが去っていけば、私はまた1人、屋上に立ち尽くす。
すると、びゅうっと音を立てて春の暖かい風が吹き荒み、もの悲しい静寂に満たされていた場所に、少しだけ穏やかな色を添えた。
風で髪が舞い、俯いていた瞳が、燃えるような夕焼けの鮮やかな景色を映す。
「……綺麗」
眩しくて、私は思わず目を細める。
夕焼けに照らされて紅く染まった私の顔は、覚悟と緊張と不安が入り混じって強張り、けれどさっきよりもほんのわずかに憑き物が落ちたような、そんな複雑な表情をしていた。
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