第22話


 一夜明けた翌朝。俺はいつもよりも、少しだけ早く目が覚めてしまった。


「……まだこんな時間か」


 枕もとにある時計は、まだアラームが鳴る前。6時を指している。苦し気に唸って布団から抜け出れば、窓から差し込む朝日が眩しくて、俺は目を細めた。


 ベッドを降りて立ち上がると、固くなった体をほぐそうと伸びをして、壁に掛けてある制服には目もくれず1階へと向かう。今着ても動きにくいだけだ。


 足を引きずりながら廊下を歩いて階段を降り、リビングに入る。食卓ではすでに起きていた姉さんと母さんが朝食を食べていた。俺のぶんも並べてある。


「おはよう、2人とも」


 俺はまだこちらに気が付いていない2人に、朝の挨拶をするのだが。


「「……え?」」


 2人は食事の手を止め、驚いたようにあんぐりと口を開け、視線をこちらによこす。誰も微動だにせず、時間が停止したように錯覚した。母さんの箸から、ぽろりとなにかの食材が落ちた時。再び時間が動き出す。


「あ……え、ええ。おはよう龍巳。こんな時間に起きてくるなんて、珍しいわね。お母さん、驚いちゃった」


「そんなに珍しいか?」


「いつも、私たちが出た後に起きるからね」


 姉さんの言うように、2人とも早くに家を出るから、朝は大抵1人の記憶しかない。こんな時間に2人と顔を合わせるのは、たしかに珍しいかもしれない。


 再び食事に戻る姉さんは、すでに制服姿だった。きっと今日も生徒会の仕事があるのだろう。


 姉さんは、努めていつも通りを装ってはいるが、昨晩泣いていたせいか目元が赤くなっていた。心なしか、声も少しよそよそしいさを感じる。


 俺はキッチンで水を飲んで喉を潤し、手を洗いながら、今の自分の気持ちを告げた昨晩の姉さんとのやり取りを思い出す。


 桜井をどう思っているか。姉さんにどう思われていると思っていたか。


 そしてそれを聞いた姉さんが、ぽつりと零した言葉。


『……嫌ってない』


 今も、はっきりと覚えている。


 正直、どうしていいかわからない。何年も嫌われていると誤解し続けていたのだ。もっと早くに話しておくべきだったという後悔と、勘違いで自ら距離を取ってしまっていたという後ろめたさで、昔と同じように接するのはまだ難しい。


 だから俺は、ふぅっと細く息を吐き、肩の力を抜くと。


「おはよう姉さん。まぁ、たまには早く起きるのも悪くないからな」


 姉さんと同じく、いつも通りに振る舞う。まだ若干のぎこちなさはあるが、これから時間をかけて、開いてしまった距離を縮めていこう。


 俺は自分の席。姉さんの隣に腰を降ろすと、用意されていた朝食に手をつける。

 

 すると不意に姉さんが、隣からひと言。


「ねぇ、龍巳。朝早く起きれたのなら、せっかくだし、たまには一緒に学校に行かない?」


 箸を止め、俺は姉さんの方を向く。

 

「……駄目?」


 不安そうに尋ねてくる姉さん。そんな表情をされて、断れるわけもない。

 

「いや、そうだな。今日は、一緒に登校しよう」

 

 軽く微笑むと、俺は姉さんの提案を受け入れた。まずは、そういったところから始めていこう。


「え、ええ、そうね……ふふ」


 久々に一緒に登校できるのが嬉しいのか、姉さんは表情をぱぁっとほころばせる。頬は、目元の赤を霞ませるほど朱に染まっていた。


「2人とも、なんだか昔に戻ったみたいね。よかったわ~。あ、そうそう。ねぇ聞いて、龍巳。朱里の目元が赤いからどうしたのって聞いたら、夜中に恋愛映画を見て泣いちゃったんですって」


「ほぅ、そんなことがあったのか」


 随分と乙女な言い訳をしたんだな。事情を悟られないよう、俺も話を合わせる。


「やっぱり、朱里も女の子よね~」


「ちょっとお母さん、それどういう意味?」


 母さんが茶化せば、姉さんは憤慨と厳しい目を向けるのだが、久々の家族そろっての朝のひと時。母さんは手を合わせて謝罪をするも、その声と表情は弾んでいる。姉さんも苦笑しているあたり、そこまで気にはしていなさそうだ。


「ごちそうさま。上手かったよ、母さん」


「ええ、お粗末様でした」


 朝食を食べ終わると、そろそろ登校する時間が迫っていた。楽しい時間はあっという間に過ぎる。


「もうこんな時間か。姉さん、すぐに支度をするから、少し待っていてくれ」


「ええ。でも、急がなくて大丈夫よ」


「いや、だが生徒会の仕事が……」


「そんなのいいから」


 生徒会の仕事をそんなの呼ばわりは、流石にどうかと思うぞ。他の生徒会役員に迷惑がかかる。俺は食器を片付けると、なるべく急いで支度を整えた。


「「いってきます」」


「えぇ、いってらっしゃい。気を付けてね」


 朝の挨拶を3人で交わし、俺と姉さんは並んで通学路を歩く。横では姉さんがそわそわとしていて、どこか浮ついた雰囲気だ。


「あ……」


 家から出て2分もしない内に、後ろから声が聞こえた。振り返れば、まず目に入ったのは、見覚えのある栗色の髪。桜井だ。彼女と視線が交わる。もちろん、姉さんとも。


「…………」


 間が悪すぎるな。昨日の今日だぞ。姉さんの眉間にしわがより、纏う空気がぴりついていくのを感じる。昨夜はあぁ言ったが、一晩で解決できるような簡単な問題ではない。


「あ、あの、私……」


 姉さんの剣幕に、桜井はおののいて若干気おされている。だが姉さんは。


「………ふぅぅ」


 溜め込んだ気持ちを吐き出すように、深いため息を吐いた。


「おはよう」


「え、あ……お、おはよう、ございます……」


 爽やかな、というには程遠いが、それでもなんとか挨拶を交わす桜井と姉さん。恐らく、相当な葛藤があったのだろう。姉さんはすぐにぶすくされてそっぽを向いた。


 俺はその様子に苦笑しつつも、2人に続く。


「おはよう、桜井。結構早いんだな」


「う、うん。たっくん、おはよう。いつも、この時間だから……」


 声にわずかな喜びを添えて、桜井は挨拶を返す。


 隣では姉さんが歯を軋らせ軽く舌打ちをした。これくらいで一々突っかかるな。


「突っ立ってると通行人の邪魔よ。どうせ道は同じなんだから、ついてきたければついてきなさい」


 だが、なんの心境の変化があったのかは知らないが、あろうことか姉さんの方から桜井に一緒に登校しようと提案する。俺は耳を疑ったし、桜井も驚いて目をぱちくりと瞬かせている。


「え、あの、いいんですか?」


「そう言ってるでしょ。それから……今日の放課後、時間空けておきなさい。大事な話がある」


「え? は、はい」


「…………」


 これは、2人の関係悪化の原因。当事者である俺も、やはりその場にいた方がいいのだろうか。尋ねる前に、話はまだ終わっていなかったのか、姉さんが先回りでその問いに答える。


「龍巳は帰ってて。これは、2人だけで話すことだから」


「そ、そうか」


 地獄を見ずに済んだと安堵する半面、桜井のことが心配になってきた。まぁ、いきなりひっぱたくことはないだろうから、恐らく大丈夫……だと思う。

 

 桜井と姉さんの話し合いが無事に済んだと知れるのは放課後。それまで、こんな一抹の不安を抱えたまま今日1日を過ごすのかと思うと、胃が痛くなってきた。


「……ふぅ、まったく」


 俺は天を恨みがましく見つめる。早起きは三文の徳ということわざは、全くあてにならないな。


* * * * *


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