第21話


 その日の夜。風呂からあがった俺は、自室のベッドで仰向けになり、頭の後ろで手を組んで天井を見上げながら、今日の出来事を思い返していた。


「今日は、色々とあったな」


 桜井と久々に会話らしい会話をし、自分自身を見つめ直すことができた。


 葵さんは……まぁ普通にしていればいい人だし、あれもあれで、学園長の言うような良い出会いなのだろう。


 葛城先輩に関してはよくわからん。が、あの憎たらしい笑顔には腹が立った。あのちんちくりんめ。


「あとは……」


 そして、桜井と姉さん。帰り際のあの光景が、色濃く脳裏に焼き付いている。


 何故姉さんがあそこまで桜井を嫌悪しているかは、考えてもついぞわからなかった。


 昔も喧嘩することはあったが、それは子供同士の可愛げある喧嘩。仲は普通に良かった。今日のように、露骨に怒りをあらわにして、平手まで打つことなどなかったはずだ。


 いったい何が原因で、2人の間に深い溝が出来たのか。


「……ま、俺が考えることではないか」

 

 今日のように行き過ぎた時には、また間に入らせてもらうが、これはあの2人がどうにかしなければならない問題だ。そこに他人が口を挟むのは、無粋というものだろう。


 今日一日の総括が終われば、途端に眠気に誘われて、俺はあくびをひとつ。考え事をしていたら、もう結構な時間になっていた。


 明日も学校があるし、そろそろ寝るとしよう。電気を消そうと起き上がる。


 するとちょうどその時。コンコンと、部屋のドアがノックされた。


「……龍巳。その、入っても、いい?」


 ドアの向こうから、少し遠慮がちな声がかけられる。姉さんだ。


「姉さん? あぁ、大丈夫だ」


 返事をするが、一向に扉が開かれる様子はない。なんだか、躊躇っている雰囲気を感じた。


 仕方がないと、俺はベッドから抜け出て扉を開け、外で緊張気味に縮こまっている姉さんを中へと招き入れる。


(……そういえば、こうして姉さんが俺の部屋に来るのは、あの日以来か)


 あれから数年間。姉さんが俺の部屋を訪れた事はない。同じ家に住んでいるのにだ。それを思うと、これも少しずつ関係が改善されている証拠なのだろう。


「お、お邪魔します……」


「なにをそんな緊張しているんだ? たかが部屋に入るくらいで」


「だ、だって龍巳の部屋に入るの、久しぶりだし……」


「別に家族なんだから、気にすることでもないだろうに」


 家族。そんな言葉が、自然と零れ出た。


 それが出てきたということは、俺も俺で、気持ちに何か変化でもあったということか。


「……龍巳?」


 少し感傷に浸る俺を見て、姉さんが首をかしげる。


「いや、なんでもない。それより、こんな時間にどうしたんだ?」


「え、う、うん。今日の、ことなんだけど……なんで、あいつ……ハルのこと、かばったの?」


「あぁ、そのことか」


 その呼び方を聞くのも、久しぶりだ。


「別にかばったわけじゃないんだが……しかしまぁ、平手は流石にやりすぎだ。いくら仲が悪いからって、手を上げることはないだろう?」


「だ、だってあいつは、龍巳のことを裏切って、傷つけて……それなのに、あんなふうに話しかけようだなんて……」


「……ふむ」


 なるほど、そういうことか。


「以前にも家の前で平手を打ったと聞いたが、同じ理由か?」


「う、うん……」


 姉さんと桜井の関係が悪くなった理由がようやくわかった。何がもなにも、原因は俺か。


 ならこれは、2人だけの問題ではないな。


「……なぁ、姉さん。俺は――」


 他人事でないのであれば、遠慮なく口を挟まさせてもらう。俺は姉さんに、桜井についての話をしようとする。が……。


「だって……だってあいつ。いつも龍巳の傍にいたくせにっ、龍巳のこと好きなくせにっ、それなのに龍巳のこと裏切って、傷つけて。あの日だって、謝りに来ていたのはわかってた。でも、悪いと思うくらいならあんなことしなければいいのにって、その場で謝ればいいのにって。そう思ったら、あいつが憎くてしょうがなかった。何であんたみたいな奴が龍巳の傍にいるんだって。私だったら絶対あんなことしない。 だって、私の方がっ――」


「もういい、姉さん」


 涙を流しながら、せきを切らしたように、とめどなく言葉を溢れさせる姉さんを、たまらず俺は止める。


「謝りに、来ていたんだな?」


「――っ!?」


「別にいい。もう過ぎたことだ」


「あ、あの、私……」


 姉さんは罰が悪そうにオロオロとする。言ってしまったというやつだ。


「ご、ごめんなさい。黙っているつもりは、なかったんだけど……」


「話しづらかったんだろう。あの頃は、俺も荒れてたからな。家にもほとんどいなかったし」


 姉さんは口をつぐんで否定しない。黙り込む姉さんに、俺は先程言いかけたことを話始める。


「なぁ姉さん。俺は別に、桜井に謝って欲しいわけじゃないんだ」


「え? それって」


「だからって気にしていないというわけではないが……少なくとも、恨んだりとか、憎んだりはしていない」


「な、なんで?」


「あの件には俺にも非はある。クラスの連中が増長する前に、どうにかしておけばよかったんだ。そうすれば桜井だって、巻き込まれずに済んだ……それに」


「それに?」


「……恩人に、言われたからな」


「恩人って、龍崎って人のこと?」


「あぁ。たしかにあの直後は、なんでって思ったりもした。……多分、桜井を恨んだり、憎んだりもしたんだと思う」


 その頃の俺は、相当荒れてた。そんな俺に、たとえ曲がりなりにも居場所をくれたのがあいつだ。


 はじかれ者やならず者ばかりで、世間からは垣谷の言うように、不良だのなんだのと良い目では見られないだろうが、それでも俺にとっては大事な場所なのだ。あんな連中呼ばわりはされたくない。


「じゃあ、なんで今は違うの?」


「……ふてくされてた俺に、あいつが言ったんだよ。『楽しいことも辛いことも、全部ひっくるめて人生だろ? お前は辛いことがあったからって、楽しかったことを無かったことにして生きるのか? 周りの人間全部を恨んで、憎んで……そんな生き方、悲しすぎんだろ。俺はお前に、そんな悲しい生き方してほしくない』って」


「それは……でも、そんなのっ」


「綺麗事だっていうのはわかってる。でも、俺はあいつを信じてるからな。あいつの言葉も、信じてみようと思ったんだ」


「……龍巳にとって、その人は、なんなの?」


「ふむ、そうだな」

 

 なんなんだろうな、本当に。あまり考えたこともなかった。


 擦り切れるように鋭い雰囲気を放ち、ゆりかごのように優しく包み込んで、蕩けそうなくらい甘く諭してくれる。


 時に父のようで、時に母のような存在。友人とは少し違う。師匠に近いかもしれないが、一番しっくりくる言葉は、これだろう。


「あいつは俺の、半身だ。たまに言い争ったりもするが、俺にはあいつが必要だし、あいつにも俺が必要、なんだと思う」


 俺がいなければ、どこぞで野垂れ死にそうだからな。

 

 余計なことを考えたが、それが答えだ。2人で1人。というわけではないが、信頼しあっているという意味では、間違いはないだろう。


「そう、なんだ」


 姉さんは納得したのか、こくりと頷く。そして今度は、桜井について尋ねてきた。


「……じゃあ、龍巳は、ハルとどうしたいの?」


「別に、どうしたいわけじゃない。けど、あいつがまた謝りにくれば、話くらいは聞く」


「そうしたら龍巳は、どうするの?」


「さぁな。その時にならなければわからない」


 もしかしたら、また心無い言葉を浴びせるかもしれない。また元の関係に戻りたいと思うかもしれない。それは、その時になってみないとわからないだろう。


 まぁ、そんな時は来ないかもしれないしな。考えても仕方ない。


「そういうことだ。だから姉さんも、桜井のことはあまり憎まないでやってくれ。姉さんにそんな悲しい生き方はしてほしくない」


 これで2人の関係が改善されるとも思えないが、きっかけにはなったはずだ。


 そうやって締めくくろうとする俺に姉さんは、俯きつつ小さな声で話しかける。


「……じゃあ、私は?」


「ん?」


「龍巳は私のこと、恨んだりとかしていない?」


 姉さんは、不安そうに俺の様子を伺う。


「恨む? 俺が、姉さんを?」


 俺は不思議そうに首をかしげた。それは違うだろう。だって。


「恨むもなにも、嫌われていたのは、俺の方じゃないのか?」


 これを直接聞いたことはない。確かめるのが怖くて、今まで言おうかどうか迷っていた。声も躊躇いがちだ。


 けれど、姉さんの方からきっかけをくれたのだ。俺も答えなければ。


 俺の言葉を聞いた姉さんは。


「…………てない」


 俯いた顔を上げて、俺の瞳を真っ直ぐに見ると。

 

「嫌ってない」


 小さくも、はっきりとした声で言った。


「おやすみなさい」


 姉さんは言い終えた途端。逃げるように部屋を出る。俺はその背中に、声をかけることができなかった。


「……嫌われて、なかったのか」


 誰に聞かせるわけでもなく、ぽつりと零す。


 そうして、いくつかのわだかまりを解かして、色々とあった今日が終わっていった。


* * * * *


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