第20話


 しばらく争い続ける姉さんと葵さん。長くなりそうだったので、その隙に俺は葛城先輩に許可を貰って備品のコーヒーを淹れ飲みながら、2人の様子を離れたところから傍観していた。


 やがて落ち着きを取り戻した2人は再び席に腰を降ろすと、先程までのことを思い出して、申し訳なさそうに俯く。


「……ごめんなさい、龍巳」


「すまなかったな。私も、少々取り乱した」


 姉さんと葵さんが、揃って頭を下げる。


 葵さんの場合、なにか別のものも乱れている気がしなくもないが、言えば余計な一言だろう。また話がややこしくなる。俺は葵さんから視線を外し、その言葉をそっと心の隅にしまった。


「いや、それほど気にしていない。それに、喧嘩が収まってなによりだ」


「そ、そう? まぁ、喧嘩ってほどでも、ないんだけど……」


 女性に頭を下げさせるのは、気分のいいものではない。頭を上げるよう促すと、2人ともほっと息を吐いて姿勢を元に戻す。


「だが、たしかに熱くなっていたみたいだな。もうこんな時間だ」


 葵さんが窓の方を見れば、外には夜の帳が降り始めていた。2人の言い争いがしばらく続いていたからか、時計を見れば、すでに18時半を過ぎている。


「そうだな。外も暗くなってきたし、俺はそろそろ帰るが、いいか? 葵さん」


「あ、あぁそうだな。私たちも、帰るとするか」


 部活をしているならともかく、大した用もなくこんな時間まで長居するべきではないだろう。俺は一足先に、部屋を出ようと扉を開けるが。


「……なんで、ここにいる」


「えっと、その……たっくんと、少し、お話したくて……」


 扉の前には、少し居心地を悪そうにした桜井が立っていた。結構な時間待っていたのか、その顔には疲労の色が見える。


「テツたちから、ここにいることを聞いたのか?」


「う、うん。大牙くんが、教えてくれて……」


 やっぱりか。今日ここに来ることは、テツたちにしか話していない。


 テツの奴、何を企んでいる。というより、いつの間に接点が出来た?


「どれくらい待っていた? 中にいるとわかっていたのなら、入ってくれば良かっただろ」


「そ、それは……」


 言いにくそうに、桜井は口ごもる。俺も自分で言っていて、それが難しいことは理解していた。

 

 長い間待っていたのだから、話を聞くくらいならいい。一緒に帰るのも、まぁいいだろう。この時間だ。日向たちも帰っているだろうし、桜井1人だけで帰らせるのはまずい。


 だが、それ以上に厄介な問題がある。


「……ちょっとあんた、なんでここにいるのよ」

 

 そう、姉さんだ。


 以前より、姉さんは桜井のことを毛嫌いしていた。直接は見ていないが、なんでも姉さんが桜井に平手打ちをしたという話を、ちらと耳にしたことがある。


 その他にも、顔を合わせれば怒りをあらわにするなど、姉さんの桜井に対する態度は目にしてきた。だから桜井を見れば、姉さんが何か言ってくるんではないかと思っていたのだが、案の定。怒りで声を振るわせ、どかどかと荒々しく桜井に詰め寄る。


「あ、しゅ、朱里さん……」


「……龍巳には近づかないでって、言ったわよね」


「で、でも……」


「それに、あんたが龍巳と一緒に帰るなんてこと、許すとでもっ――」


「落ち着け、姉さん。葵さんたちも驚いている」


「でも、こいつはっ」

 

 このままだと掴みかかりそうな勢いだったので、俺は2人の間に入ると姉さんに落ち着くよう諭す。まだ中にいる葵さんと葛城先輩に視線を送れば、2人とも姉さんの剣幕に驚いているようだった。


「それに、こんな時間に桜井1人だけで帰らせるのもよくない。一緒に帰るくらいいいだろう?」


「……わかった」

 

 姉さんは渋々頷くが、納得はしていないようだった。


「けど、2人きりは駄目。私も付いて行くから」


「それでいい。桜井も、それでいいな?」


「あ、その……は、話だけでも、2人で――」


「――っ」


 パシンッと、乾いた音が廊下に響いた。


「……え?」


 次いで桜井の呆けたほうけた声。彼女は赤くなった頬に手を添えた。姉さんにはたかれたのだ。


「調子に乗らないで。一緒に帰れるだけでも、ありがたいと思いなさい」


「あ、あの……は、はい……」


 桜井は俯き、声を震わせる。目尻には、わずかに涙が流れていた。


 いきなりの出来事に、他の3人は目を見開き言葉を失う。息を飲み、呼吸することも忘れ、まるで時間が止まったかのように辺りが静かになる。


 その静寂を破ったのは、弾かれたように姉さんに詰め寄り、肩を揺さぶる葵さんの声だった。


「おい朱里っ、事情は知らないが、なにも手を上げることはないだろう!」


 きっとこれは、生徒会長としてではなく、友人としての叱責だろう。しかしそれを聞いた姉さんは。


「……ええ、そうね。ごめんなさい。はいこれ、ハンカチ。濡らして、赤くなったところ冷やしてちょうだい」


 冷めた視線で桜井を見下ろし、心の籠っていない謝罪の言葉を並べると、未だに俯く彼女にハンカチを渡す。そしてその様子を唖然と見ていた3人に向き直り、雰囲気を変えて、こちらには頭を下げて謝罪をした。


「3人ともごめんなさい。ちょっと取り乱したけど、もう大丈夫だから」


「あ、あぁ……」


「う、うん……」

 

 葵さんと葛城先輩は、戸惑った様子だった。


(……しょうがない)


 俺は、姉さんに少々厳しい視線を向ける。


「姉さん。桜井に、ちゃんと謝るんだ」


「…………え?」


「そんな形だけの謝罪に、意味なんてないだろう。ちゃんと謝るんだ」


 形だけの謝罪なんて、いくら並べたところで相手の心に届かない。そんなものに意味なんてないだろう。やるだけ無駄だ。


「で、でもっ!」


「でもじゃない。謝らないのなら俺1人で帰る。姉さんたちは2人で帰って和解でもしていてくれ」


「うっ……」


 それはそれで嫌なのか、姉さんは渋々ながらも桜井に頭を下げて、今度はしっかりとした口調で謝罪する。


「その……ぶっちゃって、ごめんなさい……」


「い、いえ、あの、こちらこそ……ごめん、なさい……」


 どちらともぎこちないが、今はこれでいいだろう。姉さんの怒りも治まったようだし、一先ずは安心と2人から視線を外して、俺も葵さんたちに軽く頭を下げる。

 

「2人とも、驚かせてすまなかったな。俺も詳しいことはわからないが、あの2人にも色々あるんだ」


「いや。少し驚いたが、大丈夫だ」


「そうか……今見たことは忘れてくれ、とは言わないが、出来ればこれからも姉さんと仲良くしてくれ」


「うむ。もちろん龍巳と……そこの女子生徒ともな」


「……そう、だな」


 俺たち3人が仲良くなるのは、この先あるのか見当もつかないがな。


「色々と迷惑をかけたが、今度こそもう帰る」


「うむ、では私と寧々はもう少ししてから帰る。3人とも気を付けてな」


「え? 私も帰りた……むぐっ」


「馬鹿者っ。少しは空気を読めっ」


 葛城先輩が余計なことを言おうとしたが、咄嗟に葵さんが止めようと口をふさぐ。気を使ってくれたのだろう。普通にしていれば、気配りの出来るいい人なのだこの人は。


 俺たちは残る2人に挨拶をすると、生徒会室を後にした。


 外に出て空を見上げれば、群青色の夜空に、沈んでいく夕陽が燃えるような橙色の細い線を作って、もの悲しい雰囲気を漂わせている。


 学校を出てしばらく。ぽつぽつと灯った街灯が怪しく照らす夜道を、俺たち3人は並んで歩いていた。俺と桜井の間に、姉さんが挟まれる形だ。これで妥協してくれるらしい。


 ただ、3人一緒に歩いてはいるが一切会話がない。周りが見ればさぞ異様な光景に移るだろう。


 そんな沈んだ空気の中、俺たちは重たい足取りで家路につくのだった。


* * * * *


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